他人からの批判的な意見の9割5分は「うるせぇ、ばーか!」で問題ない

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こんばんは、しろもじです。

誰かからの一言や、何気ない行動で傷ついたときにお読みください。

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生きていると批判は避けられない

学生であれ社会人であれ、生きて生活していると誰かからの言動でうっかり傷ついてしまうことがあります。

SNSなどでの悪意のあるポスト。

知り合いからの嫌味な一言。

会社の上司からの理不尽な叱責。

昨今の「主人公さん、すっごーい!」的なラノベでもない限り、このことから逃げることはできません。

なぜなら人は皆違うからです。

違うから「自分と違う考え方、行動を許せない」「正してあげないといけない」などという心理が働き、その結果あなたへの心無い言動へと繋がるというわけですね。

もちろん受け取り側の問題の場合もあります。

でも「君のためを思って言ってるんだ」といくら力説したとしても、あなたが傷ついた事実は変わりません。

ここではどちらが良い悪いという話ではなく、あくまでも「あなたが傷ついた場合にどうすべきなのか?」ということを考えてみましょう。

ぼくらはしゃかいてきないきものだ

さて、なぜ私たちは他人の言動にいちいち傷ついてしまうのでしょうか?

色々な説がありますが、よく言われていることに「人間が社会的な生き物である」ということが挙げられます。

かつて狩猟を行っていた私たちの先祖は、比較的小さな集団で生活していました。

そういう集団生活の中では「いかにうまく集団に溶け込むか」が非常に重要でした。

いわゆる「ハブられる」ことは死につながる恐れがあったからです。

それは農耕社会になっても続き、というか恐らくほんの最近までそういう生活を私たちは送ってきたものと思われます(今ではひとりでも生きていける世の中になりましたけどね)。

つまり「他人の言動を気にする」のは、私たちのDNAに刻み込まれた本能なのですね。

本能が故に、その呪縛から逃れることは容易ではありません。

親しい人からの一言でなくても、私たちはショックを受けてしまうようになっています。

例えば私が外を歩いていて、見知らぬ人からすれ違いざまに「この豚が!」と言われると、その人が二度と会うこともないどうでも良い人であったとしても良い気分ではいられません(訓練され特殊な技能を身につけ「豚」がご褒美になっている場合を除く)。

そのくらい、外部のことに心乱される。

それが私たちなのです。

ですからここでは「傷ついた私たちが悪いわけではなく、人間とはそういうものなのだ」と思っておくととを覚えておきましょう。

他人の言動の95%以上は「正しくない・偏見である・どうでもよい」ことである

ここからは私が50年近く生きてきて、実際に経験したことから得られたことをお話していきます。

記事タイトルにあるように「人の言ってることの9割5分(95%)以上は、後々考えてみると正しくない」のです。

正しくないとは「論理的でない」「解決策へ結びつかない」「法に触れる可能性がある」「その人の偏見、ポジショントークである」「時代に合ってない」「他の人には違うことを言ってる」「別の人は違う意見だった」という感じで、つまり簡潔に言えば「どうでもいい」ということです。

正直、言われたときはショックを受けたり「そうかも」と思ったり反省したり凹んだりしますが、後々考えてみると「あいつ、いい加減なこと言ってたんやな」ということが多い、というかほとんどです。

会社の同僚上司、学生時代の先生先輩などの中で、私が「この人優秀だなぁ」と思う人の言葉で「2、30%くらいの正解率」になるくらいです。

さらに言えば、人生の中で二人ほど「この人には何をしても敵わない」という人と出会いましたが、そういう人でも半分も合ってないという感じです(もちろんそのときには、凄いなと思ったりしますが)。

人の言うことなどその程度のものであるということです。

翻って、自分の言動を考えてみるとよく分かります。

自分が他人にあれこれ言うとき、それほど熟考して話していますか?

その場の勢いや雰囲気で言っていませんか?

言っていますよね?

つまりそういうことです。

具体的対処法

このことから表題のとおり「他人からの意見はほとんど当てにならない」ということになります。

もちろんそれは良い意見も、です。

「でも、誰からの意見も受け入れないのなら、それはただの慢心では?」

それは確かにそうです。

ですが、途中でも書きましたが重要なのは「それによってあたが傷つくこと」なのです。

これはどうやっても避けられませんし、耐性もつきません(慣れることはあります)。

仕方がないからといって受け入れていては、いつかあなたの心が壊れてしまいます。

ですから、それをうまく処理する方法を身につけることが大切であると、私は考えます。

そのための第一歩として「実際、他人の言うことはそれほど正しくはないし、どうでもいいことだよ」ということを知るということがある、というのが本記事の目的です。

その「事実」を知った上でどう対処するのか?

残念ながら、これは誰にでも応用の効く方法というものはありません。

理詰めで考える人。

感情を大切にする人。

損得勘定が好きな人。

色々な人がいますからね。

私の場合、あるときこう考えました。

「もしかして私は人を平等に扱っていないのかもしれない」

『人間は平等である』

これはほとんどの人が同意することだと思います。

では、あなたと批判的な人は平等でしょうか?

意見される人が上になっていませんか?

上司だから、先輩だから、上に見ていませんか?

上に見るということは、誰かを下に見る可能性があるということです。

そういう考えを持っていると、いつか誰かを自分の下に置いて、あなたが受けたことをやり返してしまうかもしれない。

本当に人が平等であると考えるのならば、自分のポジションを確立してあげる必要があるのではないでしょうか?

自分のやってることが批判されたとしても、それはあくまでも「そういう意見もある」という程度のことで、絶対的な事実ではない。

自分が絶対正しいわけではないように、他人の言うことも絶対ではない。

世の中には色々な人がいて、それぞれに思想を持っており、正義の感じ方も違う。

よく「数字は嘘をつかない」と言いますけど、数字だって切り取り方を変えれば見方は変わります。

感情が混じった話であれば、見解の相違があるのは当たり前の話となるわけです。

というわけで結論。

「人の言うことなど『ばーかばーか!』と聞き流しておけばOK」

まとめ

先ほども書きましたが、この件の万能薬は存在しません。

というよりも、心の問題のほとんどはそうです。

自分に最も合った、腑に落ちるものを見つける必要があります。

この記事がその一助となれれば、幸いです。

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