こんばんは、しろもじです。
現在当サイトの記事は種類によりタグづけされており、ガジェット系やニュース系を除くと『Column』『Essay』などがメインになっております。
このColumnの中に創作系とそうでないものが混在しておりますので、今後は創作系は『創作日記』として分けることにしました。
といっても、この創作日記のタグは以前「自分の創作過程を綴ったもの」で使っていたので、ややとっ散らかってしまいますが再利用することにします。
で、今回の話題は「AIが創作に関わる中で、最も最悪なシナリオ」というテーマでお話したいと思います。
生成AIが創作界隈で問題になっているが
私がいうまでもなく、ここ数年ほど小説やブログのテキスト系を始め、イラスト・マンガ、動画などあらゆるコンテンツに生成AIが利用されており、それによって大量のコンテンツが生成されています。
その結果、色々なところに問題が出てきており、例えば小説であれば「どこまで生成AIを利用するのか」というのは、一部のコンテストなどでは線引されてはいますけど、ネット系ではない公募などではまだ整備されていない、もしくは「生成AIを使う前提になっていない」というものもあったりします。
生成AIを利用したコンテンツ作成の問題点はいくつかあると思いますが、個人的最も問題であると思うのが「コンテンツ生成スピード」です。
フルAIでコンテンツ制作すれば、人間が創る場合と比べ圧倒的な早さで出力できるため、いわゆる「粗製乱造」になってしまい結果的に業界自体の地盤沈下を招きかねないというわけですね。
また「生成AIを使ってイラスト描きました!」というのが一時期問題になっていたように「一定のスキルを手に入れるために人間が努力しなければならない時間」までも圧縮されることも、多くのクリエイタには受け入れられないのも理解できる話です。
ただし「生成AIで生成されたコンテンツには著作権が付与されない可能性が高い」ということや「他の人の著作権を侵害している可能性がある」という部分も、コンテンツを制作する上で危険をはらんでいるわけですから、個人的には「基礎の基礎以外は使用を避ける」というのが、現時点ではクリエイタとしては正しい身の振り方ではないかと思っています。
小説家も出版社もいらない世界
前置きが終わったところで、今回のメインテーマである「最も最悪なシナリオ」について語りましょう。
簡潔に言えば「ユーザが自分で生成AIにコンテンツを生成させ、それを楽しむ世界が訪れたら、そこに小説家(クリエイタ)も出版社(ディストリビュータ)も必要無くなるのではないか」ということです。
私は生成AIを使って(テストとして)短い物語は出力したことがあります(もちろん、破棄しました)。
現時点で「文庫本1冊程度の小説を出力できる?」と訊いたところGeminiは「できへんで」Chat GPTは「できるで」とのことでした。
文庫本1冊といえば8万から10万字くらいになるのですが、恐らくできると言ってたチャッピーでも「完全に破綻のない物語」の生成は、今の段階では難しいのではないかと思います(違ってたらごめん)。
ただ今後生成AIがもっと高度になっていくと、そういうこともごくごく簡単にできるようになるかもしれません。
また1冊を一気に出力するのではなく、例えば2万字程度を出力させ、その後の展開をまた入力した上でまた2万字……みたいな使い方なら、現時点でもできそうですし、昔のゲームブックのような感じで逆に面白そう。
そういうように、現在のコンテンツとは別のものがAI時代には流行るようになるのかもしれません。
そのときに、小説家や出版社というのは「必要ない。むしろない方がいい」という存在に成り下がる可能性があるというのが、今回の記事の要点です。
つまり現時点では「全て自分で書いてる小説家 vs 生成AIを駆使する小説家」という図式が「人間の小説家 vs 生成AI」というものに変わってしまう。
そうなったときに、小説家の生き延びる道はどこにあるのでしょうか?
「いやいや、そんな邪道なコンテンツを好む人は一部やで。やっぱ昔ながらの本こそが至高」
私もそう思うのですが、でも時代は変わっていくものです。
そこに適応していかないと、クリエイタとしては生き延びていけないのも確かだと思うんですよね(好む好まざるに関わらず)。
ひとつにはよくいわれているように「自分をブランド化していく」ことが重要であるとのは間違いないでしょう。
また上記で書いた「新しいコンテンツ」というものを開拓するというのも、重要になってくるのかもしれません。
「それ、教えてくれ!」
私もない頭を捻って日々考えていますが……分かりません!


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