「はだかの王様」のつくり方

2018年9月3日小説家のためのブログ運営

こんばんは、しろもじです。

今日は「はだかの王様のつくり方」というお話をします。

つくり方、と言っても創作の話ではありません。

仕事を通じて得た経験を元に「他人の意見との付き合い方」とうものを考える企画です。

「小説講座」に入れようか迷ったのですが、ブログを通じての活動の方が(小説+ブログという意味で)このようなことで迷うことがあるのではないかと思い「小説家のためのブログ運営」のジャンルにしてみました。

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はだかの王様とは?

『はだかの王様』をご存じない方はいらっしゃらないと思いますが、念のため補足しておくとアンデルセンの童話のひとつですね。

仕立て屋に「バカには見えない服」というものを掴まされて、家来たちも「バカには見えない」ことから「素敵なお召し物です」と言い、当の王様にも見えないのだけれど、それを言うことができず「見事な服じゃ」とご満悦になってしまう。

城下町を歩いていると国民も「バカには思われたくない」「王様には逆らえない」ことから「素晴らしい」と言ってしまうのだが、ある子供に「なぜ、王様は裸なの?」と言われてしまい、嘘がバレてしまうというお話です。

 

この寓話が指し示しているポイントは「例えそれが虚構であっても、絶対権力者には逆らえない」ということだと思います。

寓話なので「王様も家来もバカだな」と思ってしまいますが、社会に出てみるとそういう人が意外と多いことに気づきます。

そしてある日、自分もそうなっていることに愕然とすることがあったりもします。

なぜ、はだかの王様になってしまう?

そう言う私も実際に「はだかの王様」になったことがありました(笑)。

若い内はなりにくいんですよね。

学校や部活なんかででも上下関係はありますが、如何せん権力というものが少ないため、なかなか裸の王様化することは少なかったりします(ないとは言い切れませんが)。

ところが、社会に出て会社で働きある程度の地位になってくると、色々「自分が決定できること」というのが多くなってきます。

 

実際には「役割として役職があり、それに応じた決定権がある」というだけなのですが、まるで「それが自分の力」のように勘違いしてしまうことがあるんですよね。

これは体験的には30歳くらいのときに起こりやすい現象だと思います。

今までペイペイの平社員だった者が役職に就き、ある程度の決定権を初めて手にしそれを行使し始めるのがだいたい20代中盤から後半。

30歳くらいになると、役職がもうひとつくらい上がって、より権力を手に入れるようになるのと、それを「自分の力」と錯覚してしまうころになってきます。

 

と言っても、もちろん全員が全員「裸の王様」になるわけではありません。

裸の王様になるには、もうひとつ条件があります。

それが「人の意見を聞かなくなること」です。

もう少し踏み込んで言えば「自分の意見と異なる意見を言う者を、断罪、もしくは晒し上げするようになる」ことで、裸の王様の基礎は完成します。

 

順序で言うとこうなります。

  1. 自分にある権力(決定権・地位)を、自分の力であると錯覚する
  2. 自分の力が大きくなった(と勘違いする)ことにより、段々人の意見を聞かなくなる
  3. 自分とは違う意見を言う者に対し、一方的な反論をするようになる

ここで重要なのが「一方的な反論」という部分です。

勘違いしてはいけないのですが「裸の王様にならないように、なんでもかんでも意見を聞きまくる」というのは、これまた問題です。

後で書きますが「自分の意見は持っておく」というのは、大切なことです。

 

そして、このようになってくると次に

4.自分の意見と異なる者を、晒し上げてしまう

ことに繋がり、最終的に

5.誰も意見を言えなくなる

ことに繋がっていきます。

これで裸の王様は完成となります。

 

「自分は絶対にならない」と思っていても、なる人は一定数必ず存在します。

ただ、個人的には一時的にでもそういう経験はしておいた方がいいんじゃないかな? とは思います。

「知っている」ことと「経験したこと」というのは、一見同じことのように思われますが、実際に「説得力・解決力」の観点からはかなりの差が出てきます。

ですので、将来的にそのようなことに陥ってしまった人を指導したりする場合に役立つことになります(仕事の場合ですが)。

程度にもよりますけどね。

はだかの王様化することでの弊害

はだかの王様になる、ということは「あまりよくないことだ」とは思いますが、具体的には何がいけないのでしょうか?

周りから「バカじゃないの?」と思われること?

それもありますが、最も問題なのは「自分に都合の悪い情報が入ってこないこと」です。

 

つまり情報に偏りが生まれるということですね。

人間ですから「耳の痛い意見」には接したくないものです。

ただ、そういうものを遠ざけることによって、情報の多様性は失われ結果として自分自身のアウトプットも凝り固まってしまう可能性があります。

「決して曲げない信念」というほど、自分が譲れないものなら、そういう考え方もあるとは思いますが、一事が万事それではただの「頭の固い人」になってしまいます。

 

もちろん「根拠のない批判」というものは別ですよ。

そういうものははだかの王様以前に「無視」でOKです。

前にも記事しましたよね。

上の記事に書かれた内容は、自分が王様でもなんでもない場合のことです。

本記事は、そういうものに付き合えということを言いたいわけではありません。

はだかの王様とネットでの活動の関連性

さて、はだかの王様がどのようにして作られていくのかは、ざっくり理解して頂けたと思います。

では「それが私たち(小説・ブログなどで活動している人)とどう関係があるの?」という疑問が湧きますよね。

 

会社と違って、そのような活動には明確な「地位や権力」というものは存在しません。

しかし、長く活動していると「擬似的な地位や権力」というものは、生じてくるものだと私は思っています。

「多くの人に読まれる小説を書いた」

「書いた小説が書籍化した」

「ブログの来訪者が増え、有名ブログになった」

このようなことは、そうでない人との優越の差ではないことは、誰にでも分かりそうです。

 

しかし考えてみれば、会社での役職・地位も「あくまで規定としてあるもの」であり、それが人間の優越を表しているわけではないですよね。

そのようなことから、一見違うことのように見えることでも、似たような要素は持っているのではないかと私は思っています。

はだかの王様にならない方法

では、はだかの王様にならないためにはどうしたらいいのか?

まず一番大切なことは「自分と異なる意見を言う人を晒し上げないこと」です。

晒し上げとは、自分と相手以外(第三者)の目に留まるようにすることです。

「みんな見て見て〜。この人、こんなこと言っているよ〜。おかしいよね?」と、第三者に見えるように批判することですね。

 

それを行ってしまうと、第三者から「あの人に逆らうと、ああなっちゃうんだ」と思われてしまい、誰も意見を言わなくなります。

ネットではそれでも意見が止まることはないのですが、少なくともあたなを慕ってくれている人たちは、何も言えなくなってしまいます。

 

正当な意見交換との区別は難しいところですが「核心以外の些末なことを取り上げる」「論点をずらそうとする」「個人的な攻撃をする」このような場合は、意見交換ではなくただの「言いがかり」ですから相手にする必要はありません。

逆に言えば、晒し上げとは上の3つ「核心以外の些末なことを取り上げる」「論点をずらそうとする」「個人的な攻撃をする」を、自分自身がやってしまうことと言えるでしょう。

キチンとした意見交換は問題ありません。

ただ、ネットは「個人間の秘匿されたもの」というものはないということは、頭に入れておきましょう。

常に見られているのだという意識が大切です。

 

もう少し根本的な「はだかの王様にならない方法」としては、考え方として「人に優越などない」ということを知ることです。

能力としての優越、地位や知名度などの優越は確かに存在しますが、人としてのそれと混同してはいけません。

知らない人がいないような有名人にもクズはいるでしょうし、無名でも素晴らしい人は存在します。

会社の社長が、社会人1年目の新人よりも偉いというわけではありません。

 

そんなことは皆ご存知でしょうが、本当にそれを「実感している」のか「知っているだけ」なのかはとても大切なことです。

まとめ

記事中にも書きましたが、私もかつてはだかの王様になっていた時期がありました。

誰かが意見を言ってくれても「何言ってるの? それは違うでしょ」と速攻で否定し、自分に肯定的な意見を言う者だけが周囲にいればいい、という考え方で異論をできるだけ排除しようとしていました。

その考え方を変えてくれたのは、アメリカのSFテレビドラマ『スター・トレック』でした。

初代ではなく2作目、いわゆるTNGというやつですね。

作中で、エンタープライズ館長のジャン=リュック・ピカードは、困難に接した際「意見を聞こう」と周囲に意見を求めていました。

全員の意見を聞き「それでいこう」と誰かの意見を採用します。

 

もちろん、作品によっては「誰の意見も聞かず、頑なになる」ということもあったりはしたのですが(笑)。

その場合は「本当に誰の意見も聞かない」わけで、ある意味信念と言うことができます。

 

つまり、広く意見が出てくるような環境を保ちつつも、自分の意見は持っている。

自分が決して曲げられないこと、信じていることは、どれほど批判されようとも貫き通す。

これははだかの王様とは異なる行為です。

はだかの王様には、たいした信念はありません。

ただ「バカに見られなくない」という恐れと「他者よりも偉いんだ」という優越感があるだけです。

 

自分はバカである。

そう思うことも大切なことかもしれません。

知らないことは多いものです。

人が一生をかけて収集できる知識などしれています。

故に自分はバカなんだ。

バカだからもっと学ばなくては。

あまりバカバカと思い込むのも良くなさそうですが(笑)そのくらいの謙虚さはあってもいいかもしれません。

 

今日も最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございます!

久々に長い文章になってしまいしたね。

それでは、また、明日。