6月21日は夏至。夏に至る日だが、至っているのは夏だけなのだろうか?
ご存知の通り、北半球では昼の時間が最も長くなる日、それが夏至。
至っていたい
夏を「昼が長い期間」と定義すれば、最も夏な日であるから「夏に至る」というのは正確な言葉だと言えそうだ。
反対に冬至というのがあるが、当然こちらは「最も昼が短い日」で12月21日だそう。
イメージ的には2月あたりが一番日が短い感じがするのだが、ちょうど半年ごとに訪れてる辺り、妙な几帳面さを感じてしまう。
さて夏至に冬至はあるものの、春至や秋至は存在しない……と思ってWikipediaを調べてみたら「それは春分と秋分だ」と書いてあった。
なるほど……。
ただなぜ「至」ではなく「分」なのか?
学がないのでよく分からないが、恐らく「暑い夏」と「寒い冬」という両極端な季節に対して、春や秋は「その過程」という要素なので、グラデーション的な意味合いがあるのかもしれないと予想する。
話は変わるが「至る」という字。
皆さんは好きだろうか?
私は結構好きだったりする。
『死に至る病』や『殺戮にいたる病』など、書籍のタイトルに使われることが多い。
至るという言葉には「到達する」とか「達成する」にはない、どこか知的でミステリアスな、使っている人の品格を上げてくれるような、そんなイメージがある。
そんなことを考えていたとき、ふと「私は何か至っているのだろうか?」という疑問が湧いてきた。
「分」ではなく「至」。
つまり、何かを成し遂げているのか?
小説は至ってないし、ブログや動画も至っているとは思えない。
仕事は……どうだろう?
仕事を至るというのは定年退職のことを指すのだろうか?
それだとややイージーなイメージがあるが、でも23歳くらいから65歳まで40年以上働き続けるというのは、それほど簡単なことではない(私は途中、二度リタイアしたが)。
いずれ仕事面で私も至れる日がくるのだろうが、それはもう少し先の話だ。
現状を考えると、何も至っていないことに気づき愕然とする。
40歳を過ぎて、何も至せていないというのはどうなのだろう?
でも考えようによっては「まだ至ってないだけ」とも取れる。
そう「俺達が至るのは、まだこれからだ!」的な感じだ。
人生は挑戦の連続である。
至ってしまうということは、人生の終着駅に到着してしまったようなものだ。
まだ半分ほど人生を残している(と思われる)ことを考えると、むしろまだ至れてないことにホッとする。
仕事に疲れて帰宅しながら、そんなことを延々と考えていた。
皆さんは、何か至っているだろうか?
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません