創作と単純作業は相性がよい?
前回の記事で「久々に小説を書く」と宣言した。
誰に断ってやるべきことでもないし、やりたければ黙々とやればよいのだが、とはいえ宣言した以上はきちんとやる。
それが大人というものだろう。
ところが1文字も書けていない。
構想だけは積み上がっていくというのは創作あるある?
言い訳がましいように聞こえるかもしれないが、一応書いたことは書いた。
久々に書いたわりには結構な勢いで書くことができ、3日で2万字程度は書いた。
4日目に読み返したのち、悶絶して即消去してしまった。
40を過ぎた人間が書いてよい文章ではなかった。
と思ったのだが、よくよく考えてみると元々そんな高尚な文章を書いていたわけではない。
試しにカクヨムなどに投稿していた小説をざっと読み返してみた。
あまり変わらなかった。
これはあれか?
「文章が下手になった」のではなく「元々文章は下手」であって「自分の文章に対する感度」が上がっているということだろうか?
感度が上がると書くとなんだか良くなっているように聞こえるが、実際創作においてそれは余計だと思う。
慣れていくしか……。
ただよほどショックだったのか、それ以来一切書けていない。
仕事が忙しいというのもあるのだけれど、家に帰ってPCの前に座って「さぁ書くか」となると、途端に文章が出てこない症候群に襲われているのだ。
もしくは集中力の欠如と言い換えてもいいのかもしれない。
少し話が変わるが、私の仕事では一部単純作業がある。
単純作業と言っても簡単な仕事というわけではなく、ある程度の技能は必要なのだが、とはいえ頭を使わなくてもできてしまう作業だ。
最近思うのが、その作業をしているときが一番創作のネタが積み上がっていくような気がするのだ。
ネタというより、実際の文章がスルスル出てくるという感じだ。
それを記憶しておいて、帰宅後にタイピングすればよいだろうと思われるかもしれないが、中年男性のストレージ容量を侮ってもらっては困る。
そんなの覚えられるわけがない。
そういうわけで小説の完成度は一向に上がっていかないわけだが、ひとつ分かったことがある。
「単純作業と創作活動は相性が良いのでは?」ということである。
具体的には手先を無心に動かしているとき、色々頭に浮かぶことがある。
この「手先」というのが個人的には大切なようで、例えば掃除など身体ごと使っているときだと、同じようにはいかないようだ。
仕事を家でやるわけにはいかないので、それに変わるものを模索中で、ひとつ候補に上がっているのが「模型作り」だ。
ただ、唯一の問題は、そこまで考えたあとで「そういえばこういうことを前にも考えたような」と思い、押し入れを開けてみたところ、十年ほど前に買って手つかずのまま放置されている『ティーガーⅠ』を発見したことだ。
歴史は繰り返す、ということだろうか。
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