輝いているかい?
「今自分が輝いているのか?」と聞かれて、自信を持って「Yes!」と言い切れる人は少ないのかもしれない。
多くの人は「輝いているかどうか」など気にしないで毎日を過ごしているのだろう。
でも「輝きたい?」と聞かれれば、ほとんどの人が「そりゃそうよ」と答えると思われる。
今日はそんな話。
輝き方には二つの方法がある
そもそも輝くとはどういうことだろうか?
様々な解釈があると思われるが、ここでは「現状に満足している。日々の生活が満ち溢れている」と定義してみよう。
どうすればそうなれるのか?
私は2つの方法があると思っている。
ひとつ目は「自分以外の他に依るもの」。
例えば承認欲求。
他人に認められたり、褒められたり、必要とされていたり、信頼されていたり。
承認欲求といえば昨今では邪魔者扱いされがちであるが、社会的な生き物である人間にとって、これは重要な要素だ。
上司から褒められば嬉しくなるし、貶されれば面白くない。
家族から信頼されていれば心は満たされるが、会話もなければ荒んでしまう。
そう思うのは人として当たり前のことだと、私は思う。
だが問題はそれに依存しすぎることである。
自らの行動や考えが、常に他者ありきで成立しているようであれば、ひとりの大人として自立しているとは言えないだろう。
また、それは本人を不幸にするだけである。
そこでふたつ目の方法だ。
比喩表現になるがひとつ目の方法が月だとすれば、ふたつ目の方法は太陽である。
月は自分では輝けない。他者(太陽)の光を受けたときだけ輝くことができる。
一方で太陽は誰に照らされるわけではなく自ら輝く。
具体的に言えば、自分自身で自分が充実していける方向へと動いていく。
行動、言葉、考え方……日々のちょっとしたことなど、全てをそういう方向に向いているか、常に考えながら修正していく。
今の発言は自分を幸せにするものだったろうか?
今日の行動は将来の自分のためになっただろうか?
創作系ブログらしく、創作についても考えてみよう。
自分が書いた創作物が、他者に評価されない。
そういう悩みは誰しも持っているだろう。
小説がヒットしてコミカライズになってアニメ化して単行本もバンバン売れてお金がうなるほど入ってきて……夢のような話だ。
でも、私たちはそういうためだけに創作をしているのだろうか?
もちろん「そうだっ!」という方もいるに違いない。
でも、創作を止めたくても止められない。
いつも新しい話のことばかり考えている。
もっとみんなに読んでもらいたい……。
そういう原動力は決して他者から与えられるものではないはずだ。
私たちは書きたいから書く。
ただひとつ問題がある。
太陽であるためには、とてつもなくエネルギーが必要だ。
それは体力とか気力というわけではなく、自分が太陽であると信じ続けられる力だと私は思う。
冒頭で述べたように人は社会的な生き物だ。
故に他者から認められることを本能的に望んでいる。
それは社会的な仕組みとしての欲求という側面もあるが、少し乱暴な言い方をすれば「そっちの方がより簡単だから」だとも言える。
自分で自分を信じ続けることはとても難しい。
他者に認められなくても、自分がしたいことをし続けるのは、とても困難な道だ。
だけれど、最終的にはその道こそが私たちが歩みべき道なのだと私は思う。
時々、自分に問いかけてみよう。
「輝いているかい?」
答えがNoなら、行動を言葉を思考を変えていこう。
自分を一番幸せにできるのは自分自身なのだから。
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