「ゲームは1日1時間」の今昔物語
幼少期にファミリーコンピュータが登場した世代にとって、ゲームとは一過性のブームではなくほぼ人生そのものと言っても過言ではないのではないかと思う。
ただ歳を重ねるごとに、いつまでもゲームゲームと言っていられなくなるのも事実。
本記事は、歳を重ねすぎてうっかりコントローラの持ち方すら忘れかけてしまったおじさんが、久々にゲームにはまってしまったというお話。
しろもじ、ゲーム機を買う
このブログでは公開していなかった気がするのだが、実は密かにNintendo switchを購入していた。
買ったのはちょうどコロナ禍真っ盛りの頃で、確かSwitch自体が品薄になっていたころのこと。
たまたまゲームショップを訪れた際、そのことを思い出して任天堂のコーナーを「どれどれ」と覗いてみたところ、案の定普通のSwitchはなかったもののLightの方が僅かながら陳列されていた。
全く買う気はなかったのだが「買えそうにないものが目の前にある」というものは、時として恐ろしいほど財布の紐を緩めまくるものだ。
気がつくと車の助手席にはSwitch Lightが鎮座していたというわけだが、それも仕方がないところだろう。
同時に買ったソフトは『』。
その後もいくつか買い求め、ダウンロードが思っていた以上に便利だと気づいてからは、結構な数のソフトを購入した。
ところがクリアまでやりきったソフトがないのだ。
どれも最初はそこそこ遊ぶのだが、気がつくと放置している。
そしてまた次の話題のソフトを買っては同じことを繰り返す日々が過ぎていった。
言い訳に聞こえるかもしれないが、数々のゲームたちを放り出してきたのには理由がある。
買っては投げ買っては投げ
まずひとつ目には「難しすぎる」のだ。
これにも様々な意味合いがあり、一部のゲームはその言葉通り「おじさんには難易度的に厳しい」。
冒頭で「ゲームは人生」とエラソーに語っておきながら何言ってんだと思われるかもしれないが、昔なら失敗しても失敗しても何度でもコンティニュできていたのが、今では数回程度で「もういい」となってしまう。
根気……といえばそうなのだが、タイパ的にそこまでゲームに時間をかけられないという切実な面もなきにしもあらず(ということにしておこう)。
また一部のゲームは「ネット対戦」という要素があるため「自分のスキルでは周りのプレーヤに迷惑をかけてしまうのでは」と萎縮してしまうこともあった。
BattleField1942(もちろん無印だ)で周りに散々迷惑をかけてきたのは若気の至りであったが、いい歳になった今ではそれもややキツイ。
また、これはLightを買ってしまったのが悪いのであるが「画面が小さすぎて長時間ゲームするのが辛い」のだ。
これは向き不向きの問題かもしれないが、私は元々携帯ゲーム機があまり得意ではない。
スマホのゲームも長時間することが難しかったりする。
大画面、とまでいかなくても、そこそこ大きな画面でないと、長時間ゲームをするのは難しいようだ。
そんな中、先日(と言っても2023年5月12日発売とのことなので、記事執筆時半年も経ってるのだが)『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム(以下ToK)』が発売された。
実は初めてのゼルダシリーズ
ネットでは軽いお祭りみたいになってて、私もなんの疑問も持たず当日にダウンロードで購入した。
しかしSwitchのホーム画面に並ぶ未クリアのゲームたちを眺めて(きっとこれもすぐに放り出すのだろうな)と思ったのは、多少は学習能力があるという証であろうか(その前に、即買っちゃう辺り能力不足な気もするが)。
で、やはり買って数日後には放り出していた。具体的には始まりの空島で。
Tok未プレイの方に補足しておくと、始まりの空島とはゲーム開始後スポーンする場所でチュートリアル的な所でもあったりする。
理由は上記に書いた通りで、私には難しすぎた。
そもそもゼルダシリーズには全然縁がなく、実はTokが最初だったりする。
別にゼルダやリンクに恨みがあるわけではなく、元々RPGはターン制のものしかやっておらずアクションRPGに分類されるであろう同シーリーズは守備範囲外だっただけだ(ちなみにアクションRPGをやらなかった理由は、ただ単に私がドンくさいからだけ)。
そして年月が経ち先月。
久々にSwitchの電源を入れてみてゼルダの存在を思い出す。
放り出すのが習慣化しているとはいえ、流石に序盤15分くらいで放置するほど富豪でもないので再開。
何度も挫けそうになりながらも空島脱出。
この辺りからあることに気がついた。
やはり任天堂
プレイ時間が日に日に伸びているのだ。
最初の頃は5分くらい触ったら投げ出していたのが、気がつくと20分くらいやってる。
相変わらずよく死ぬ。
次に何をやるべきなのか分からなくなることも多い。
ただやっているうちにゲームの仕組みが分かってくると、段々死ななくなるし、謎解きも躓かなくなる。
ゲームの種類は違うが、この感覚はスーパーファミコンでマリオをやってたものに近いと感じた。
イベントは同じようなことが繰り返される。
ムービーも使い回しが多い。
だからこそ分かりやすい。
スマホゲーにもそういう部分はあるが、これはちょっと違う。
ゲームに匂いはないが、これは明らかに任天堂臭のするゲームだと思った。
全ての任天堂ゲームがこれに当てはまるかは分からないが、これこそが任天堂の強みなのだろう。
ゲームは1日1時間
ファミリーコンピュータ全盛期「ゲームは1日1時間」『まで』だった。
何時間でも猿のようにやれるからこそ、制限があったのだ。
それが最近の私は「ゲームは1日1時間」『くらいはやれよ』になっていた。
5分、10分で投げ出すな。そのくらいの根気は必要だろという感じだった。
そして今、再び『まで』の時期になりつつある。
先日も休日の記憶がリンクとゼルダくらいしかない有様だったくらいだ。
切実な問題としてはゲーム以外の活動(小説執筆とかブログ更新とか)に支障をきたしかねない。
いや実際、きたしている。
特に小説は危機的状況に陥っており、ここ数週間全然書けていない。
別にプロ小説家ではないし、誰か楽しみにしてくれている方がいるわけでもないのだけれど。
ジョブズのように朝起きて鏡に映る自分に「それ(ゼルダ)がやりたいことか?」と問えば、「ちょっと違うかも」となってしまうので、やはり1日1時間以内に抑える必要はありそうだ。
……ということをつらつらと書いていながら、昨日(お休み)の記憶もゼルダとガノンドロフしかなかったりするので、事態は想像以上に深刻な状況だと言えそうだ。
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