「マウントを取る」についての考察

雑多記事エッセイ

主にネットを徘徊していると「マウントを取る」という言葉や行動に度々出会います。

元々の意味は格闘技などで相手に馬乗りになるということだと思われますが、そこから転じて「相手に対して優位な点をアピールする」という言葉として理解されていますよね。

今日はそんな話です。

スポンサーリンク

マウントを取られたときに

皆さんはマウントを取られたことがありますか? それほど気にするほどないことだったら、日常的によくあることかもしれませんが、数日間ほど悔しい思いをするほどのことはあまりないかもしれません。

私はかなり前、1週間ほど寝込んでしまいたくなるほど盛大にマウントを取られたことがありました。あまり具体的な話はできないのですが、仕事上のことでした。

すごく悔しくて悲しくて、相手を憎んで「絶対見返してやる」とか「いつかやり返してやる」ということばかり考えていました。結果的にはそれは成功したのですが、でもスカッとしたのは一瞬でその後には何とも言えないモヤモヤとしたものが残るだけでした。

そのとき「マウントを取ったり取られたりすることはきっと今後もある。そういうのとは無縁の世界に行きたい」と思ったんですよね。海外に行けばそうじゃないのか? 田舎のもっとど田舎に行けば大丈夫なのか?

でも結局のところ、どこにいっても同じことは起こるだろう、という結論に達しました。そして「どうしたらこんなことで心を消耗しないで生きていけるのか?」を真剣に考えたわけです。

ネットで色々調べてみると「マウントを取る人の特徴」とか「マウントを取りたがる人の真理」など、相手のことばかり書かれていました。それを見ていたときふと、あることを理解したんですよね。

マウントは「取られている」のではなく「取らせている」が正解

私の結論を言うと「マウントは自分自身が取らせている」です。

逆の立場から考えてみましょう。

あなたがとても高価なブランド品を買ったとしましょう。そしてそれを誰かに自慢したいと思ったと仮定してみます。

同じジャンルの商品で、あなたの持っている物よりも安価なものを持っている人がいます。あなたは自分のものがいかに高級であるかを長々と語ります。

そのときもし相手が「いや、でもこれで満足しているから」と平然な顔をしていたら、あなたはどう思うでしょうか? 多分「違う人にターゲットを変える」のではないでしょうか。

このことから「マウント取り」には「マウントを取る人」と「マウントを取られる人」の共同作業であると言えそうです。つまり「マウントはひとりでは取れない」という当たり前のことです。

冒頭でお話した格闘技のマウントで言えば、

※イラストでマウントを取らないで下さい

ではなく

となっているというわけです。

言い換えれば「マウントは取られる側次第」とも言えそうです。取られる側が何とも思っていなければ、マウント取りは空回りしてしまいますからね。

マウント合戦からの脱却

ここまで来れば話は簡単です。

「何とも思わなければいい」というだけの話です。

でも、それが意外と難しいんですよね。熱湯風呂に入りながら「熱くない、全然熱くないよ」とやせ我慢しているようなもので、どう考えても無理があります。

それにそもそも「マウントは取られる側次第」なのですから、あなたがあなた自身の心を騙すことは容易ではないのは明らかですよね。

ではどうしたらいいでしょうか?

それは「ベクトルを変える」ことです。

多くの場合、マウント取りには軸が存在します。お金の場合もありますし、身体的な特徴や自身の人間関係などもあるかもしれません。その軸からずれたところで、自分が選択するようにすればいいというわけです。

ブランドバッグを例に挙げましょう。あなたが「本当はAというブランドの物が欲しかったんだけど、金銭的な面で妥協してBを買った」場合、これはマウントを取られに行っているようなものです。場合によれば、相手にはマウントなんて心理は微塵もないのに、勝手にあなたが「マウントを取られた!」と誤解するようなこともあるかもしれません。

ですから、そういう場合は「本当に欲しいものを買えばいい」ということになります。余程経済的に困窮していない限り、現在の日本で「頑張って買えないもの」はありません。即金でポーンと買えるか買えないかは人によりますが、コツコツ貯金をすればほとんどの物を誰でも買えると思われます。

ヴィトンのバッグだってプラダのお財布だって「どうやってもお金を貯めることができない」ということはないのではないでしょうか?

昔からネットでよく言われている言葉で

「金額」が買う理由なら買わない。「金額」が買わない理由なら買う

というものがあります。まさにこの通りで「本当はAが欲しいんだけど、金額が高いからBを買を買う」というやり方は、結局のところ幸せにはなれません。それならAを買えるようになるまで貯金すればいいだけなんですよね。

自分さえ良ければいい

金銭的なことでなく、本人にはどうしようもないこと、例えば身体的なことはどうでしょうか?

これはもう諦めるしかありません。だってどうしようもないんですから。

例を挙げると私は身長がとても低いんです。具体的に言えば自称160cmしかありません(そしてそれは最近更に縮んでいる傾向にあります)。なのでこれでよくマウントを取られそうになることもあります。

若い頃は随分悩んで困ってしまったこともあるのですが、歳を取るに従い「身長の高さだけが人間の能力とは限らない」と思うようにしました。

「どうしようもないことはどうしようもない。それ以外の部分で人より優れている箇所を持つようにしよう」

そう考えると身長はどうでもよくなって、今では「コンパクトにできているんだよね」と流すことができるほどになりました。

結局のところ「自分さえよければいい」ということなんですよね。この言葉は主に悪い意味で使われることが多いのですが、ここでは「自分さえ満足できていればいい」という意味合いです。

自分が納得して、自分が満足していれば他人がどう言おうが関係ないです。人の意見は人の意見。「そう思う人もいるんだなぁ」程度に考えるのがいいですよね。

まとめ

元々こんな話題すら忘れていたほどにマウントとは無縁に生きていたのですが、つい先日ネットであるものを見たときにふと思い出したんですよ。

それは例のバイクの話です。

前にも書きましたが私が買ったバイクはHONDAの「クロスカブ110」という原付二種です。よく知らない方のためにざっと補足しておくと、このバイクは昔販売されていた「CT110(ハンターカブ)」というもののオマージュとして作られたバイクです。

CT110はトレッキングカブとも言われ、要はオフロードっぽいカブだったんですよね。それを現代に復活させるに辺り、もうちょっとオフロード感をなくして「オンロードでの使用を想定した」のがクロスカブになります。

で、この前の東京モーターショーで、HONDAが新しく「CT125」というのをコンセプトモデルとして出展したんです。つまり「CT110の後継としてクロスカブ(CC110)を発売したら結構好評だったので、CT125を出そうかな」ということですね。

当然クロスカブ(CC110)を「CT110の後継だ」と思って買った方にとっては、困ったことになります。それを知ってか、とあるネット掲示板にはそれを揶揄するような書き込みがあったんですよ。「偽物を買った気持ちはどう?」とか。

まぁネット掲示板の書き込みは本気にしてはダメなんですが、それを見て「まだCT125を買ってないのに、すでにマウント合戦が始まっている」と感慨深く見ていたとき、この話を思い出したというわけです。

私は既にスクープとしてCT125の情報が出たあとにクロスカブを買いました(しかも増税後)。スクープを見て一瞬「おぉ」とは思ったのですけど、使用用途的に「それじゃない」とちゃんと理解して買ったので、今後もマウントを取られることはないと思われます。

まぁ先ほども書きましたが、特にお金で買えるものはマウント取ったり取られたりするのはバカらしいんじゃないかなぁと、個人的には思います。だって、上の件で言えば「CC110をCT110の後継だと思って買った」という方なら、またお金を貯めて買えばいいだけですからね。

いずれにしてもそんなしょうもないことに頭を使うのは損だということです。マウント合戦に巻き込まれない方法は「自分の軸をしっかり持つ」ことです。言い換えれば「自分の選択は自分で決める」ことと言えるのかもしれません。

自分が決めたことを他人に否定されても「あぁ、そういう人もいるんだなぁ」という程度の話です。あなたにとって、あなたの決定以上に大切なことはないんですからね。

[合わせて読みたいおすすめリンク]