平成が終わる年に平成元年を振り返る

2019年1月2日雑多記事平成

お正月も1日ゆっくりしたら、もう十分堪能し切った感が満載になってしまったので、今日(1月2日)からは本格的にテキスト活動に戻ろうかと思います。取っ掛かりとして今年大きな話題になるであろう「平成」という時代を振り返りたいなと思いました。

と言っても30年も続いた時代全てを振り返るのは難しいし、的も絞りにくい。だから、前回元号が変わった平成元年を主眼として、そのときを生で生きていた(変な言い方)人間が当時どう感じたのかを書いていきたいかな、と思います。

平成初期から中期生まれの方には、ある意味面白い部分もあるかと思いますし、同世代の方々(もしくは上の世代の方々)にとっては「そうだったな」と思い出に浸れるようなものになればと思います。

スポンサーリンク

平成元年はこんな時代だった【時系列順】

パッと「平成元年はこんなときだった」というのを思い出すことはできないので、主にWikipediaを中心にネットや書籍からその時代にあった出来事の中から、面白そうなものをピックアップして、そのときどう感じたのかを書いていきます。

補足事項として平成元年当時、私はまだ義務教育期間真っ只中でした。あまり詳しく書くと歳がバレてしまいますが(バレてもどうということはないのですが)、小学生ではありません。

では、順番に見ていきましょう!(※今回ちょっと文体を変えています)

(1月7日)昭和天皇崩御

まずはなんと言ってもこの話題から。

当然のことながら、天皇の崩御は初めてのこと。昭和64年1月7日のことだから、当時70歳くらいよりも若い方の多くはそうだったわけで、ほとんどの人にとって同じことだったということ。

個人的には天皇については、ごくごく一般的な方と同じく「特にどうとも思っていないけれど、かと言って天皇制がなくなればいいのかと言えばそうではない」というスタンス。

あまり政治的なことは書きたくないのだが、昭和天皇と言えば指導者としての戦争責任の是非を問われるべきなのかという話もある。しかし、私の祖父もWWⅡに従軍したと聞いている(当時のことは話したがらなかったのであまり聴けていないが、まぁ私たちが想像する以上に悲惨だったようだ)。

その祖父も「悪の枢軸」の一員だった、と言われるとやや複雑な心境になる。それは昭和天皇と言えど一緒のことで、私の知っている昭和天皇を見る限り(主にTVなどで)とてもそのような極悪非道な人間だとは思えない。

むしろ現代でも「◯◯に核を落とせ」なんてことは、日本だけではなく世界で言われているわけで、それが冗談だとしたとしても、人間の残虐性というものは「昔よりも今の方がマシ」というわけではないのではないかと思う。

話を戻そう。

そう言うわけだったので「崩御」という言葉を知ったのも初めて。翌日にすぐ「平成」に改元された手早さにも驚いた記憶がある。故小渕恵三首相(当時は確か官房長官)が掲げた台紙を見たときは「平成?」と違和感しかなかったことが、今となっては懐かしい。

きっと次の元号の発表のときにも「なんだそりゃ?」となるんだろうなぁ。でもまぁ、きっとすぐに慣れる。

冒頭に書いたように私は学生だったので「なんだそりゃ?」程度で済んだのだが、当時お仕事をされていた方々は大変だったらしい。父親は公務員だったのだが、本当に大変そうだった。

当時は職場にコンピュータが入りつつあったものの、まだ「手書き」だったり「ハンコ」だったりが主力だった時代。今度の元号改正の際にはエンジニアが悲鳴を上げそうだけれど、それでもまだアナログ的な部分が残っていそうなのは、ある意味興味深い(現にウチの会社の本社は、未だにハンコを多用している。そういう所、多いのではないだろうか)。

ちなみに次の元号になったときは「昭和」は2つ前の元号となる。昭和生まれの方にとっては「自分が明治生まれ」のような扱いになるというわけだ。これも実に興味深い部分である。

(1月20日)ジョージ・H・W・ブッシュが第41代アメリカ合衆国大統領に就任

「あぁ、ブッシュ大統領ね。あれ、そんなに前のことだっけ?」と思われる方もいるかもしれない。よく勘違いが起こるのだが、「テロとの戦い」を主導したのは「ジョージ・W・ブッシュ」。息子の方だ。こちらはその父で、いわゆる「パパブッシュ(以下父ブッシュ)」。

自分自身がまだ若かったということもあるのかもしれないが、当時の政治家は日米問わず「怖い、迫力のある人」が多かったと思う。イメージ的には「全員プーチンみたいな」と言えば、若い方にも分かりやすいかもしれない。逆らったら闇に葬られそうな、そんな怖さが漂っていた(もちろん、そんなことはそうそうありえないが)。

今と昔、どちらが良いのかは個人的な意見は差し控える。

子ブッシュがテロとの戦いでイスラム圏を攻撃したのと同様、父ブッシュも湾岸戦争を指揮している。このときの標的はご存知サダム・フセイン。よく誤解されるし、私自身も思い違いしていたのだが、このときフセインは逮捕されていない。

イラクに占領されていたクウェートを開放した時点で、戦争は終結している。その後、子ブッシュの代に改めてイラクに侵攻したのも興味深いが、本稿とはあまり関係がないので、ここまでにしておく。

余談としては、戦争の犠牲になった方々には誠に不謹慎な話だが、当時の砂漠を走るM1エイブラムスはかっこよかった。今後兵器は実戦で使われることなく「かっこいい」だけのものになることを、心から願う。

(2月9日)手塚治虫氏死去

恐らく平成生まれの方でも知らない人はいないと思われる漫画家手塚治虫氏。

「昭和生まれなら身近な存在だったのか?」と言われると、私程度の年代であればもちろん知ってはいるが、かと言って氏の作品を愛読したのかと言われるとそうでもない。

どちらかと言うと藤子不二雄氏の方が、幼少期を含めてお世話になっている。

手塚氏の作品に触れることになったのは、その多くがもっと大人になってから。よって亡くなったことがニュースに流れたときも、それほどのショックではなかったと記憶している。

手塚氏自身もそうなのだが、当時の漫画家さんの多くは本当に多作だった。世代は別としても、当時活躍していた漫画家の経歴を調べると、その作品数の多さに舌を巻く。手塚氏も完全に漫画中心の人生だったようで、その殆どの時間を原稿用紙に向かうことに費やしていたと聞いている。

超絶ブラックなのだが、本人がやりたいことを無我夢中で、それこそ命を削ってやれるということは、ある意味幸せなことなのかもしれない。現代は色々とやること、やれることが多すぎてしまったのかもしれない。

なんてことをフッと思った。

(2月28日)FM TOWNSを富士通が発表

FM TOWNSを知っているだろうか? FMを受信できるラジオ……ではない。

富士通のPCブランドだ。

我が家にあったPCはNECの「PC8801 mkⅡSR」。調べてみたら1985年発売だそうで、確かにそのころBASICなんかを夢中で打ち込んでいた記憶が残っている。

PC88の頃は「8ビット」の時代のPCで、その後16ビットのPC98シリーズや、X68000なんかも出てきて「いいなぁ、欲しいなぁ」と思っていたのも良い思い出。

後にWindows95が出てきて、PCが一般化するまでは新しいマシンが登場する度にドキドキしていたものだった。

当時はソフトウェアのコピーなんかも横行……というよりは当たり前に行われていて(確か違法でしたが)、街には「ソフトウェアレンタルショップ」なんかもあった。ソフトを1泊単位で貸してくれるもので、おおっぴらには言ってなかったが、要は「一晩でコピーして返して」という感じ。

CDレンタルみたいなものなのだが、CDがコピーによって劣化(当時はカセットテープにコピーするのが当たり前だったので)するのに対して、全く劣化がないコピーなので相当問題だったのだと思う。

ちなみに私はお金がなかったので借りられなかった。友達に借りて信長の野望を一度コピーした……と記憶している

まぁ、ソフトウェア屋さんからすれば、暗黒の時代だったのかもしれない。

(4月1日)消費税法施行

奇しくも今年、再び上がるとされている消費税が初めて導入されたのがこの年。

当初は3%だった。駆け込み需要などもあったのだと思うが、学生には全く関係のない話でよく覚えていない。

買い物をするときに不便だったのは記憶にあり、値札見てレジに行くと違う値段を言われるので困った。内税表示が多くなってからはそんなこともなくなったが、逆に「税を払っている感」も薄れてしまったのかもしれない。

(6月4日)天安門事件

北京で起こった学生を中心とした民主化デモ隊と、人民解放軍が衝突した事件。

他国のことであるし、実際に居合わせたわけでもないので、事件そのものに触れるのはやめておこう。

当時もTVでニュースとして流れていたが、広場に集まったデモ隊が火炎瓶などを投げている姿と、その前に立ちはだかる戦車、という絵をよく覚えている。

それを見ながら「凄いな」と思ったものだが、何より驚いたのが「軍隊が自国民に銃口を向けるということがあるのだな」と思ったこと。

中国人民解放軍と言えば、ゲームの大戦略で言えば「それを選べばハードモード」というほど弱いと思っていただけに、結構衝撃的だった。

中国では「天安門」はもちろん「64」なども検索対象外(検索できないだけでなく、検索すると危険なのだそうだ)なので、ここが日本で良かったと思う。

日本の政治も腐っているし、日本社会もどうにもならないと言われているが、こういったことを考えると言論の自由が保証されているのは大切なことなのだと思う。総理の悪口を書いたら、どこかに消えてしまった……という時代になったらいよいよ終わりなのだろう。

(7月29日)スタジオジブリ『魔女の宅急便』公開

Wikipediaを見てて「あれっ?」と思ったNo1がこれ。

そうか、そんなに昔だったか。

魔女宅は今見ても面白い、間違いなく名作。キキやジジも可愛かったけれど、舞台の雰囲気が最高だった。思えば「魔法使いものなのに、現実世界を背景にした作品」というのは、魔女宅辺りから流行りだしたのかな、という印象。

個人的にジブリNo1は『紅の豚』なのだが、こちらは3年後の1992年公開。こちらも世界設定が秀逸で「こんな世界に住みたいなぁ」と本気で思わせてくれる作品だった。

(8月14日)Sega Genesisが北米で発売

冒頭で補足しておくが「せがた三四郎」や「湯川専務」のハードではない。前者はセガサターンだし、後者はドリームキャストだ。Sega Genesisはそれよりも前のメガドライブに相当する。

当時は初代ファミコンが現役のころで、その後継機種であるスーパーファミコンがそろそろ出るのでは? と言われていた時期だ(スーパーファミコンの登場は翌年の1990年)。

セガの発売したメガドライブは、日本では前年の1988年に発売されている。当時は1987年のPCエンジンなどと合わせて「ポストファミコン」ハードが元気の良かった頃だ。

もちろん、結局は90年に発売されたスーパーファミコンに全てかっさらわれてしまうわけだが、それでもセガは「ハイスペックなマシーン」という立ち位置を確保していたと記憶している。ちなみにネオジオが発売されたのも90年。

当時のハードでは「完全なポリゴン」というものはまだ表現できず、主にドット絵が主流だった。後期には「ポリゴンの走り」みたいなソフトも出てきていたが、ポリゴンが主流になるのはその次世代機、ご存知初代PlayStation、セガ・サターン、3DO Realなどから。

個人的にはこのメガドライブ辺りは「人生のゲーム空白期間」でもあった。高校への進学や、更に大学受験など、ゲームよりも勉強をしなくてはいけないという空気に包まれた時期だったからだ(勉強をしていたとは言ってない)。

よって、私にとって最もよく遊んだゲーム機は初代ファミコン、もしくは初代PlayStationとなる。任天堂系のハードはファミコン以外には、DSしか持っていない。あ、ゲームウォッ……なんでもない。

初代PSからはPS2、PS3と順調に買い求め、完全なソニー信者へと改宗した。そのPSも4は持っていない。仕事に忙殺されてゲームをする時間がなくなってしまった、というのとゲーム自体に対する興味が薄れてしまったというのがその理由だ。

しかし近年「やはりゲームをしなくてはならない」という謎の使命感に襲われている。PS4は恐らく買わないだろうが、PS5が出たら飛びつく……かもしれない。

(9月1日)ユーノスロードスター発売

今や世界的な名車となったマツダのロードスター。その初代が発売されたのがこの年。

見出しにもあるように、当時はユーノスという冠が付いていた。当時マツダはユーノスの他にもオートラマ、オートザム、アンフィニなどのブランドを作っていて、一般の車好きはもちろん多くの評論家でさえも「どう違うの?」と聞かれると困ったのだと思う。

それは別としてもロードスターという車は偉大だった。特に初代が秀逸で、色々なメーカーがフォロワーになってしまった車でもある。未だにロードスターを見ると「ユーノス」と言う人がいるほど、初代の影響力は強かった。

ちなみに私は二代目ロードスターを所有している。流石にガタが来ているのだが、買い替えは考えていない。どうしようもないほどの故障が起こればしょうがないと諦められるのだが、なんとかなる内は手放さないと決めている。過去に似たような車を、居住性が悪いとかうるさいとかいう理由で手放して速攻で後悔した覚えがあるから。

現在そのような車を所有されている方は、手放す際には十分注意して欲しい。きっと後悔することになるから。

更にちなみに同年には、以下のような車が発売されている。

  • 日産 180SX
  • 日産 スカイライン GT-R(R32)
  • ホンダ CR-X SiR(追加モデル、3代目)
  • ホンダ インスパイア
  • トヨタ MR2
  • トヨタ セルシオ
  • トヨタ 80系ランドクルーザー

車界のヴィンテージイヤーとも言われるのがこの年であるだけあって、名車がゴロゴロしている。

車繋がりで言えば、前年の1988年はマクラーレン・ホンダが16戦中15勝した年であり、89年もプロストがワールドチャンピオンに輝いている。当時のホンダエンジンはまさに世界最強であり、ホンダを積めば速くなるという時代。

今はレギュレーションの関係で、エンジンパワーだけでなんとかなる時代ではないので苦戦しているが、今年こそは結果を残して欲しいところ。

(10月7日)三菱地所が米ロックフェラーセンターを購入

今では考えられないだろうが、当時は「日本が最強」と言われていた時代で、まさに「Japan as No.1」だった。

ニュースには「◯◯がアメリカの□□を買った」というものが連日流れ、もはや「日本に敵う者はいない」とまで言われていた。完全に洗脳されてしまったのか、当時の私も「そうなんだ」と馬鹿みたいに思っていた記憶がある。

現在の企業の時価総額ランキングでは、GAFAを始めとしたアメリカ企業が上位を占めており、その中に中国、韓国がポツポツといった感じだが、当時はトップ10の内ほとんどが日本企業という状態。

バブル崩壊(1991年から)で、それらが幻想だったことがはっきりとしたわけだが、当時の日本人の多くは同じような感情を抱いていたのではないかと思う。個人的には現在の米国企業が独占している状態も異常であると思うが、当時も異常だった。健全だと言えそうなのは「ランキングの上位に先進国を代表する企業がある程度均等に入る状態」ではないだろうか。

ロックフェラーセンターについて言えば「アメリカの魂を買った」と非難の対象になっていたと記憶している。先程も言ったように、連日「買った買った」ばかりで「もう止めておけよ」と思ったりもした。

が、そんな状況でも私のような平民にはあまり直接的な恩恵はなかった。もちろん、現在に比べれば恵まれていたのだと思うのだが、かと言って「お年玉が札束」なんてことはなく、月々のお小遣いも少なかったし(本を数冊買ったら終わった)、家自体も高級車を乗り回したりしていたわけではない。

日本自体にしても、確かに対外資産を購入していたりはしたが、現在の中国やドバイのように「金持ってるなぁ」という程の発展はしていなかった。そう考えると、ある意味バブルが弾けて良かったのかもしれない。ああいう状況がもう少し続けば、流石に日本人全体が大きな勘違いをしてしまったようにも感じる。

(11月10日)ベルリンの壁崩壊

ご存知の通りWWⅡ以降、ドイツは東西に分断されていた。

ベルリンの壁の崩壊をニュースが伝えたときは、あまりに突然のことに「えっ!?」とびっくりした覚えがある(当時ニュースを精査していればそうじゃなかったのかもしれませんが、学生にとってニュースとはTVや新聞程度しかなく、そこまで読み込めていなかった)。

この件については「日本は分断されなくてよかったよなぁ」ということ。

IF創作などでは東西に分断された日本を描いたものも多くあるが、当時北方より攻め込んできていたソ連がそのまま南下していれば、沖縄から北上してきた米軍と衝突し、関東か東海あたりで東西に別れていた可能性だってあるわけで、それを思うと背筋が凍る。

そうなればもっと多くの犠牲者が生まれただろうし、多くの不幸があったのだろう。日本の復興も立ち遅れていた可能性もあるわけで、敢えて言えば「不幸中の幸い」だったのかもしれない。

総評

あくまでもWikipediaなどから、平成元年(1989年)に起こった出来事を抜粋して書いた記事なので、どちらかというと暗い記事が多かったような気もする。

ただ記事中にも書いたが、日本はバブル真っ盛りでまさに「イケイケ」な時代であった。翌年からジワリと始まるバブル崩壊まで、日本にはそういう空気が満ち溢れていた。これも先程言及したが、それでも庶民にとっては「実感のない話」だったのだが、そういう空気の中で「日本人凄いっ!」という感覚に陥っていた人は多かったのだと思う(私も含めて)。

日本人は非常に団結力が強い。「こっちだー!」という空気が充満してくると、それが正しいのかどうかは別として「そうだ、こっちだ!」と皆が盲目的に進んでしまう傾向がある。

もう一度政治的なことを書くと、私は右か左かで言えば恐らく「真ん中の少し右より」だと思う。最近の近隣諸国との摩擦の記事を読むと憤慨するし、怒ることも多い。しかし、それが果たして本当に自分の意見なのだろうか、それとも空気に毒されているのではないかと考えることはとても大切だ。

それ自体に右も左もないと思う。

特に創作に身を捧げておられる方々には、そういう自分の感性というか意見を大切にする姿勢を持って欲しいなと思う。

前にもどこかの記事で書いたが、本当に尊敬すべき外国人も多いし、軽蔑すべき日本人も多い。大切なのは国籍ではなく個人だ。言葉の主語が「〇〇人」となっているときは特に注意が必要だろう。

さらに総評

なんて感じで、正月早々硬い文章を書いてみました。「である」調で書くと、どこか偉そうになってしまうのが分かったので、それだけでも収穫があったように思われます。

個人的には面白かったので、平成が終わるまでにもう少し掘り下げた記事を書くかもしれません。

最後に出来事関係なく、当時がどういう時代であったか簡単にまとめておきます。

携帯電話はありませんでした。ポケベルはありましたが、個人(それも学生)が持つことはなく、友達との連絡は「家の電話」しかありませんでした。

ですので「待ち合わせに遅れる」ということはかなりの死活問題で、絶対に遅れられないという雰囲気があったと思います。

そういうことからも、少し余裕を持った生活パターンだったかなとも思いますね。「◯時に待ち合わせ。その後◯時からは別の……」みたいなのはあまりなくて「◯日は誰々と会う」みたいな感じだったような。

また学生にとって死活問題だったのが「気になる異性に連絡を取るとき」で、家に電話してご両親が出てしまったときの絶望感は筆舌に尽くしたいものがありました。2度ほど無言で受話器を置いた覚えがあります(笑)。

当然インターネットもなかったので、何かを知るには本を読むしかありませんでした。初めてネットに繋いだのは当分先の話で、確か……その10年後くらいのことだったでしょうか。ニフティサーブというパソコン通信でしたね。

繋ぐ度に電話代がかかるので、テレホタイム(深夜時間に安くなる)を使ってダウンロードしていた記憶があります。

ワープロはあったような気がしますが、家にはありませんでした。ですので、初めて書いた小説は手書きでした。原稿用紙や便箋、ノートなどに書いていました。多分もう残ってないはず。と言うかなくなってて、と思います(実家を漁るとありそうで怖い)。

書いた小説を発表する場もないので、書いたものは人に見せていました。極々親しい友人や大人に読ませていましたね。怖いもの知らずでした(笑)。これを書いている今、当時を思い出すと汗が滲んできます。

あの頃が良かったのか、今の方が良いのかと言えば、間違いなく今の方が良いと断言できます。

昔は本当に個人よりも団体、企業などが強い時代でした。既得権益というものが今よりも強く、ポッと出の個人の意見を言う場所も機会もない時代でしたから。

もちろん、今の方が良くないということもあるのですが、総合的に見れば現在の方が良い時代だと思います。

ただ、個人の幸せについてはあまり進歩していないなという感じです。

機械が発達して、作業が効率化され、個人の時間が増える……わけではなく、今でも労働者はそれほど裕福にはなっていません。

よく「お金よりも重視すべきものはある」と言われることもあり、それはそうだとも思いますが、そうは言ってもお金があることで幸せになれることがあるのは間違いない部分です。お金がないと、できないことも多いですし、受けられないサービスもたくさん増えてきます。

そう言う意味で、これからの世界はそういう面で改善されていくと良いなぁと思ったりします。資本主義の社会ではなかなか難しいことだとは思いますが。

□ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □
今日も最後までお読み頂きありがとうございました!

小説執筆関連の記事は   →「小説講座
小説の投稿関連の記事は  →「小説投稿記
ブログ関連の記事は    →「小説家のためのブログ運営
読んだ本のレビューは   →「読んでレビュー
デジタルガジェット関連は →「デジタルもの

に、ありますのでぜひ合わせてお読み下さいね!

[合わせて読みたいおすすめリンク]