働くこととお金のこと

2019年7月5日雑多記事エッセイ

私たちは(一般的には)学生時代を終えると社会に出て働くようになりますよね。

今の世の中では「会社に入って働く」ということがほとんどの人にとっての常識となっており、あまり深く考えず朝起きると会社に行き夜遅くに帰ってくる生活を続けています。

仕事は楽しいこともありますが、辛く苦しいこともたくさんあったりしますよね。

「あー、もう帰って寝たい!」「毎日アニメ観てダラダラしたい!」

そう思っても月曜日の朝には再び会社へと向かうわけです。

どうしてそんな思いまでして働くのかと言えば、多くの人にとっては「お金を稼ぐ」ためでしょう。

お金がなければ今日の晩ごはんも食べられませんし、お家に帰っても明かりを点けることすらできません。

税金も収めねばなりませんし、保険代も必要です。

必要なお金だけではなく、娯楽のためにもお金は必要です。

よりスペックの高いPCやスマホも欲しいですし、観光地に遊びにも行きたいし美味しいものも食べたいわけです。

だから私たちは今日もあくせくと働くわけですよね。

でも長いこと会社員をしていると、ふと「働くって何だ?」と思うことがあります。

言い換えれば「お金を稼ぐって何だ?」と言ってもいいかもしれません(生きがいとしての働くもあると思いますが、ややこしくなるので今回は除外します)。

そんなことをについて、調べたり考えてみたことをまとめてみます。

スポンサーリンク

お金ってなんだ?

これを読んでいる方のほとんどは、物心ついたときからお金の存在を知っていますよね(異世界転生して来られた方は除く)。

ただお金とは人類が誕生したときから存在したものではなく、その長い歴史の中で「仕組み」として作られたものです。

はるか昔は「自分の食べ物は自分で採る」ことをしていたわけですが、それだと「魚を捕るのが上手い人は魚ばっかり食べなきゃいけない」ってことで「ねぇ、君の作ったおイモと僕の魚を交換しない?」というふうになってきました。

ただそれも欲しいときに欲しいものが手に入らなかったりするので面倒です。

そこでお金が誕生しました。

始めは価値のあるとされていた金属、つまり金や銀が通貨として使用されたんですよね。

そうです、ファンタジーものでよく見る「金貨・銀貨・銅貨」ですね!

多くの人が「金や銀には価値がある」と思っていたので、それを硬貨にしたものも一定の価値があるとして使用できたわけです。

その後お金は紙幣の誕生により簡略化され、やがてそれ自体が価値を持つようになります(不換紙幣)。

簡単に言うと、これが現在私たちが使っているお金というものです。

お金自身が価値を持っているということは、言い換えれば価値はお金に換算することができると言うことですよね。

これが働くということです。

つまり働くということは「価値を生み出すこと」と言えるのではないでしょうか。

労働って何?

先程「労働とは価値を生み出すこと」と書きました。

価値を生み出すとは言い換えれば「人の役に立つ」とも言えそうです。

パンを焼くのが得意な人は美味しいパンをたくさん焼くことで、パンを焼くのが苦手な人の役に立っているというわけですね。

だからパンを焼いてそれをお金に換えることができます。

illust070519_2

ところが人の役に立ってもお金を得られないことがあります。「食べた後食器を洗う」ことでお金を貰えるのはせいぜい小学生までで、大人になると黙って洗うしかありません。これは「自分のことだから」とも言えますが、他人に役に立ったとしてもお金にならないことは山のように存在します。

それは「仕組み」がないからです。

労働によりお金を得るためには、そのための仕組が必要です。

それを有しているのが「仕事」であり、近年では「会社に行くこと」がそれに当たるようになってきています。

これからの仕事はどうなるのか?

私の祖父や祖母は田舎で小さな商店を営んでいました。当時は車を持つことが一般的ではなく、また公共交通機関も脆弱だったため、食料品や日用品を買うこと自体が困難な時代でした。

だから自分の代わりに仕入れて来てくれることが、仕事として成り立っていたわけです。

ところが時代が進むと車を持つことが当たり前になり、またバスや電車などの交通機関も発達してきました。同時に「大量に仕入れて安く売る」というお店が出現してきました。

いわゆるスーパーマーケットですね。

こうなってくると「近所で高いものを買うよりも、自分で買いに行った方が安くていいよね」ということになり、祖父・祖母のお店は成り立たなくなってきます。

(更に時代が進むと高齢化が進み、逆に「遠くまで行くのが難しい人」が増えてみて、今度は町の小さなお店、つまりコンビニがそういう方の頼みの綱になっている辺りは面白いところですが、やや脱線するので省略します)

大量生産・大量販売・大量消費の時代には、モノの値段はドンドン下がっていきます。たくさん売れることで利益が上がるとお給料も増えます。安くものを買えることで生活は右肩上がりで豊かになっていきます。

これが高度成長期でした。

ところがモノがあらかた普及してしまうと、それ以上は売れなくなる時代がやってきます。もちろん壊れたりしての買い替えなどの需要はありますが、サイクルが長くなることで今までのようには数が出なくなってしまいます。

当然お給料は上がらなくなります。

加えてAIやロボティクスの発達により、人がやるべき仕事がますます少なくなってきています。かつてはブルーカラーの仕事がなくなると言われていましたが、最近ではむしろホワイトカラーの方が仕事がなくなりそうだと予想されていますよね。

当然全ての仕事がなくなるわけではありませんが、これまで「お金を稼げていた仕事」の多くがなくなってきます。

では、今後は失業者で溢れかえってしまうことになってしまうのでしょうか?

私はそうは思いません。

恐らく一時的にはそのような状況になると思われます。ですが、やがて「新しい仕事」が誕生してくると思っています。

今までも「なくなった仕事」はたくさんありました。上記のように「田舎の商店」は今では殆ど残っていませんし、小さな工場なども少なくなってきています。

ですが、それらの仕事が全盛期だった時代にはなかった仕事が今ではありますよね。PCを作ったりそれを使って仕事をするのは、ここ2,30年で誕生した仕事です。Amazonが誕生したのも、20年前くらいですよね。

なのできっと「これまでは仕事として成立しなかったこと」でもこれからは仕事になる可能性は大きいと私は思っています。

それを踏まえて、今後は「個人の時代」になるのではないかと思います。

ものを買うときには一見「安いほうが良い」と思いがちですが、モノがあまねく普及した時代には「安さよりも本当に欲しいもの」が大切にされるのではないでしょうか。

現に今でもその兆候は見て取れますよね。特に飲食店などでは「セントラルキッチンで大量生産して安く売る」というビジネスモデルが崩壊しつつあります。「多少高くても美味しいものを食べたい!」という需要は必ずあると思います。

創作関連で言えば、もちろん大手の出版社からの書籍がなくなることはないとは思いますが、個人レーベルのものがこれからは増えてくると思います。

それらは今でもあると言えばあるのですが、残念なことに大手出版社の書籍と価格競争をしてしまっていたりします。AmazonではKDPという仕組みを使って個人でも出版することが可能なのですが、結構安く売られているんですよね。

前に投稿した『同人誌の価格については、私も言いたいことがある』の記事でも書きましたが、個人出版(やアクセサリなど創作物)は価格設定に気をつけることが大切だと私は思います。

でもまぁとは言え、いきなり強気の価格にもしにくいとは思いますので、いくつか見本としての無料版や低価格版などは必要だとは思いますが。

個人でのお仕事は「東京に本社ビルを建てる」ことはできなくても「細々とやっていける程度」の価格でやれるようになればいいのではないでしょうか。例えば家賃の安い田舎でやるとか、大量の社員を抱えるのではなく、数人程度で上手くやるとか。

そういう工夫次第でどうにかなる程度なら、個人でのお仕事としての創作(ではなくてもいいのですが)が成り立っていける時代になればと思っています。

まとめ

なんだか書いている内にドンドン話が逸れてしまった感もなきにしもあらずですが……(笑)。

結局の所「会社に入ることや、大手に頼ることだけがお仕事じゃない時代になるんじゃないのかな?」ということが言いたかったわけです。

ただ「会社に入ることを否定している」というわけではありません。「今すぐ会社を止めてフリーになれ」と煽っているわけでもありません。できれば会社に勤めながらそういう活動をしていき、やがて「会社給料<個人収入」になって自信がついたら辞めてもいい、という程度です。

逆に言えば「会社に入ってのほほーんと与えられた仕事だけをこなす」ことを続けていくと、いつか破綻する可能性があるとも言えそうです。

[合わせて読みたいおすすめリンク]