創作における自分の実力の測り方を考える

小説LABO小説執筆

以前「小説を書き始めて半年のほどのあなたが、もう止めたくなってしまう理由」という記事で実力と実績、自信について考えてみました。

そのときの記事では「実力は時間と共に右肩上がりに上昇していく」と書きました。あくまでも三者間の関連性について考えたのでそのように簡略化したわけですが、当然そんなに単純なものではないですよね。

今回は実力の上昇について考えてみたいと思います。

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実力と才能と好き

「才能」という言葉があります。

確かに世の中にはそういうものがあるのは否定できない事実です。

プロ野球選手になりたければ、身体的な素質も才能のひとつでしょうし、数学が得意な人、絵が得意な人、物作りが得意な人……など色々な素質(≒才能)を持った人がいますよね。

ただ才能だけでは、何かをやり遂げることができないのも事実です。よく世の中でも言われているように「才能+努力」の結果、ある一定の成果を得られるようになるのだと、私も思います。

ところが折角才能があっても本人には全然その気がなく、結局それを伸ばしきれないまま終わってしまうこともあったりします。よく小学校や中学校時代に「バットとボールを持たせたら本当にすごいんだけど、本人はサッカーが大好きだと言う」というような人を見かけたことはありませんか?

つまり最も重要な才能は「それが好きである」ということなのかもしれません。

「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったものです。好きだからこそ夢中になってそれに取り組める。取り組み時間が長くなればなるほど、実力も向上していく。

かける時間は無駄じゃない

そう考えると「好きである」ということの次に大切なのは「それにどれだけ打ち込んだか」ということになりそうです。「1万時間の法則」は現在では万能の法則ではないとされていますが、それでも約3年(1日9時間)という時間を費やすことで一定の実力を獲得できるというのは、あながち間違ってはいないと思います。

人間が行うことのできるものの多くは、時間をかけることである程度の実力向上を図れるというのも事実だと思います。もちろん、その分野でのトップ、それも飛び抜けたトップになるためには、そこに才能は必要だとも思います。

私が考える才能とは「実力の向上を後押しするブーストのようなもの」です。ブーストと言ってもなんだかよく分かりませんが、イメージ的にはレース映画などでよく見る「ニトロボタンを押せ!」とかSF映画のワープのようなものです。

つまり実力を加速度的に向上させてくれるもの。それが才能なのではないでしょうか?

だから日本一、世界一のようなトップ中のトップまでたどり着くには「才能というブースト」が必要になるのだと思います。逆に言えば才能とはそれだけのものであり、それがないと何もできないというわけでもないわけです。

特に小説などの創作に関しては、どれだけ時間をかけたのかが如実に現れる分野だと思います。それは書く時間ということもありますが、読む時間、考える時間なども含めてのものです。

よく「処女作でいきなりデビュー! ○○万部突破!」などというのを見かけたりしますが、それはそれまでに「たくさん書いてきた」か「たくさん読んできた」か「たくさん想像してきた」か、もしくは運が良かったのいずれかだと思います。

「小説や創作のことなど一切考えてきてなかったけど、たまたま書いたらすっげーヒットしちゃった、てへ」なんてのはあり得ません。「ものすごい野球の才能がある人が、全くバットもボールも触ったことがないのに、いきなりメジャーで大活躍!!」なんてことがないのと同様に、です。

ただここでひとつ気をつけたいことがあります。

「1万時間の法則」が無効化するやり方

それは「ただ単に時間をかければ良いというわけではない」ということです。

よく仕事などでも勘違いされている方がいらっしゃるのですが「時間をかければ良いものができる」わけではありません。もちろんやっつけ仕事では良いものはできないのですが「努力とは時間をかけることではない」わけで、時間とその成果には相対的な関連性はないわけです。

野球の話ばかりで申し訳ないのですが、例えばガムシャラにバットを降り続けたからと言って、いつかプロ野球選手になれるわけではないですよね。

何度かボールを打ってみる。なんだか上手くボールが飛ばない。少しバットを短く持ってみる。打席の位置を変えてみる。ビデオで撮って観察する。監督やコーチにアドバイスをもらう。上手い人の打席を何度も見てみる……。

そういう努力や工夫を行うことが「時間をかける」ということです。

小説で言えば「一作書いて課題を見つけ、次作に活かす」「面白い作品を見て、何が面白いのかを考えてみる」などを行うことだと思います。

残念ながら我々の暮らす世界には「チート能力」は存在しません(少なくとも私の知るところでは)。またRPGゲームのような「時間をかければレベルが上がる」という仕組みも採用されていません。

結局は「どれだけ有効に、時間を使うか」が大切なのではないでしょうか。それが積み上がっていった結果、他人から見たら「あれはチートだよな」と言われるような力が身につくのだと思います。

実力は長い目で見る

最後にこの記事で一番言いたかったことを書いて、終わりにしたいと思います。

実績、つまり成果はある日突然花開きます。仕事でしたら「大口の契約が取れた」とか「開発していたものが完成した」とかですね。小説ならば「賞を受賞した」「書籍が発売された」などでしょうか。

このように実績は突然ポーンと跳ね上がるように上昇することがあります。

一方で実力はそうではありません。もちろん人や分野により上昇速度やムラはあるとも思いますが、概ねゆっくりと右肩上がりに上がっていきます。

下のグラフを見てください。

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黄色の線は間違いなく右肩上がりになっていますよね。ところがある一点だけを見てみると(丸枠で抜き出した部分)横ばい、もしくは下がっているようにも見えなくもありませんよね。

このように短期的に見ると「本当に上がっているのか?」と首を傾げてしまうのが実力というものだと思います。

ですのである程度のスパン、少なくても年単位で実力は見るべきだと思います。1年前に自分が書いた小説を読み返してみる。そのとき思っていた「改善点」は今出来ているだろうか? Yesであれば実力はついていると言っていいのでしょうか。

もちろんNoなら考え直しが必要になりそうですね。

まとめ

実力というのは目に見えないものです。RPGのように「レベルアップしました」と通知してくれたりステータスを見ることができれば簡単なんですけどね(笑)。

でも逆に言えば「見えないからこそ面白い」とも考えられます。見えないから自分で推し量るしかない。それがいつか実績とリンクしたとき、喜びに変わっていくのだと思います。

今日も長々と最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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