「経産省がアニメ業界の生産性革命に乗り出した」という記事を見て
こんばんは、しろもじです。
ネットのニュースを眺めていたら、こんな記事を見つけました。
詳しくは記事を見て頂くとして、概要を抜粋すると
- 経済産業省が主体となって、アニメ業界のIT化を促進するため、描写ソフトの規格化に乗り出した。
- アニメ業界の関係者が集まり、制作ソフトのデータ規格を統一することをまとめ、今後経産省に提出する予定。
- 日本のアニメ業界は品質に拘る一方、アナログな手法で行われており、生産性が低い。
- このままだと、中韓に抜かれちゃう。
ざっくり言うとこんな感じかと。
私自身も、この問題は聞いたことがありますし「なんで? あんなに視聴されていると思うんだけど?」と疑問に思って調べたことがあります。
とは言え、当然「中の人」ではありませんから、同じように「好き勝手言っているやつ」の1人なのですが、それでも、自分で創作をしている末席に属している身として、もう一度少し考えてみたくなり、記事を書いてみました。
ある意味「小説を書く」という行為の、将来にも繋がる話なんじゃないかな? と思ったりもしています。
アニメータの待遇改善?
産経ニュースでは「アニメの制作現場を見直し、生産効率とアニメーターの待遇改善が急務だ(産経ニュースウェブ記事より抜粋)」という一行で記事が閉められていました。
「データ規格の統一で、アニメータの待遇改善?」
と思わずツッコミを入れたくなったあなた。
間違ってはいません。
もちろん、生産性を上げることは待遇改善に繋がる可能性は確かにあります。
しかし、他の産業を見て分かるように、IT化の生産性向上が必ず待遇改善に繋がる保証などどこにもないのも確かだと思います。
中には「むしろ悪化してるんじゃないか」と思えるような事例さえあります。
それは生産性の向上が誰のためのものかを考えれば分かるかと思います。
生産性の向上は、アニメータなど末端(失礼)の方のためのものではなく、企業体のためのもの、だからです。
「生産性の向上=利益の向上」です。
その利益が正しく労働者に還元されていなければ、労働者は生産性の向上(=IT化)のために余計なスキルを覚えないといけないという、ただのハードル上げになるだけです。
しかし「これだからお役人は」と言い切れない部分もあります。
それは、どこが主導でこれを行っているかを見れば分かるかと思います。
経済産業省と厚生労働省
記事に記載されている通り、この取組に乗り出しているのは「経済産業省」です。
経産省は、当然「日本の産業としてのアニメ業界を守ろう」としています。
霞が関、とまではいきませんが、お役所の人と話をすると、彼らは意外にも(失礼)真剣に自分たちの仕事に取り組んでいることが分かります。
これも「このままでは、日本のアニメ業界が危ない。中韓に抜かれちゃうよ!」という危機感から、取り組まれたことだと思います(無論、他にも色々あるんでしょうけど)。
一方、アニメータの待遇改善、というところだけにスポットを当てると、これは「厚生労働省の管轄なのかな?」という気がします。
厚労省>労働基準監督局ですからね。
先程書いたように「アニメ業界が儲かる=労働環境が改善される」とはなりません。
経営者次第、と言うところがありますから、会社によってはそれが可能なこともあるでしょうけど、根本的な解決方法とは言えないわけです。
だからと言って、経産省としてみれば、放置はできないというのもあったのでしょう。
経産省は、当然、労働環境自体にメスを入れることなんてできません。
彼らにすれば、業界の人間を集めて「何をすれば良いと思う?」とヒアリングし、その後押しをするくらいしか出来ないのでしょう。
デジタルが全てを解決できるのか?
一旦「アニメータの待遇改善が、IT化(デジタル化)で効率化されることにより、改善される」と仮定しましょう。
デジタル化するということはどういうことなのでしょう?
以前、アニメの制作現場の動画を視聴した時に「中割をデジタル処理する」という話を見ました。
中割とは、2枚の原画の間を埋める絵を描くことであり、それにより動くアニメーションが表現できるようになっています。
私も皆さんもよくやったと思いますが、教科書の端を使ってパラパラ漫画を書きましたよね。あれは1枚ずつやって行ったと思いますが、アニメの場合は、1枚目と5枚目を先に書いて(これが原画)、その間の2、3,4枚目は別の人がやります。これが中割ということになります。
その中割をデジタル処理で補完することにより、自動で創れるようになるソフトがあるらしいのです。
と言うか、これ。昔のFlashなんかだと、元からそういうことになっていた気もします。
私もその動画を見た時に「え? むしろ1枚1枚、本当に書いてたの?」という驚きを感じたのを覚えています。
とは言え、全て「原画と原画の間をコンピュータが中割してくれる」のかというと、そういうわけでもなく、そういうことが出来るというレベルだそうですが。
いずれにしても、もっとソフトの力が上がって「原画さえあれば中割が自動で行える」ようになったとした時、それが果たしてアニメのためになるのか? ということも考えないといけないでしょう。
作業工程が自動化されれば、制作現場の疲弊は消えるかもしれませんが、それに伴って制作の敷居は下がって、参入は増えます。
記事が指摘しているように「中韓」どころか、世界中からアニメーションが溢れる世界になるでしょう。
それは競争の激化に繋がり、結果としてアニメ業界のためになるのか? そこまで考えないといけないと思います。
また、中割の話にもどりますが、自動化するということは、汎用化するということでもあります。
つまり誰が創っても同じようなものになるということになります。
アニメを「工業製品」と捉えるのか「芸術作品」として捉えるのかでも、考え方は変わってきます。
アニメ制作会社が儲からない理由
最終的に「アニメ制作会社が儲かれば、アニメータなどにも還元される」としても、現状ではアニメ制作会社は儲かってないと言われています。
これは何故か?
私の調べたところによると、次の通りです。
現在のアニメ制作は「委員会制度」で創られています。
これは、テレビ局や広告代理店、出版社や映画会社、それに一部の大手制作会社などが共同出資し「製作委員会」というものを作って、それがアニメを創る主導権を握っているというものです。
よく「これが諸悪の根源」と言われることもありますが、どうやら一概にそうとは言えない部分もあるようです。
というのも、アニメ制作にはとてもお金がかかります。
その一方で、アニメがこける(いわゆる爆死)と、儲けが出ないばかりか、大きな赤字になることだってありえます。
アニメ製作員会にしても、そのようなリスクを取るわけですから、それに関する利益(リターン)もそれなりにないと、誰も出資したくないというわけです。
当然小さい制作会社はこれに出資することができません。
そうなると、大手の下請けに回ることになります。
リスクは減る一方、リターンも見込めません。
そこに所属しているアニメータの待遇は改善されるわけがありません。
これはアニメ業界に限った話じゃないと思うんですよね。
色々な業界で「中抜き」はあります。
中間業者は、資金を出す(リスクを負う)代わりに、利益(リターン)を求めます。
下請けはリスクを低減できます。
一見、ウィン・ウィンにも見えますが、個人的には非常に悪害だと思っています。
もし、本気で国がアニメ業界を今後の産業の柱としたいと思っているのならば、この構造こそ変えていくべきだと思っています。
で、小説とどのような関係が?
先程、中割の話をした際に「誰が作っても同じものになる」という話をしました。
つまり、自動化(IT化、デジタル化、効率化)すると、クオリティに差がつきにくくなるということです。
監督がどれだけ拘ろうとしても、それは叶いません。
もちろん、そういう自動化ソフトをチューニングして、特徴を出すという手法もできるのかもしれませんが、それは効率化とは真逆の発想です。
効率化とは個人の拘りを捨てるということです。
効率化とは均一化と同義です。
先日、AIが小説を書いた、というニュースが流れました。
まだまともな小説は書けていないようですが、いつか自動化された小説が出てくる可能性は否定できません。
例えば、カクヨムや小説家になろうに投稿されている小説を全てAIに分析させて、受けている小説から受けている要素を取り出す。
それを元にAIが再構成された小説を書く。
そういうことも、その内できるようになるのかもしれません。
そこまで行かなくても、自分が書いた小説をAIに分析させて、修正箇所を見つけられるソフトくらいは出てくるでしょう。
そうなった時「創作」とは一体何を指す言葉になっているのでしょうか?
まとめ
いやはや、この手の話になると、つい熱くなってしまいます(笑)。
今回も長々と言いたいことを言いたいように書いてしまいました。
結論の出ていないことや、意味が分からない箇所もあるかもしれません。
そこは私の力不足でもあり、申し訳ないと言うしかありません。
それでも「どうしても、このことについて書いておきたい」と思ったんです。
それは、最後の「創作とは一体何を指す言葉なのか」という一文になります。
個人的に創作活動によって生み出されるものは「工業製品」ではないと思っています。
多種多様なやり方があり、偶然生まれる過程があり、作った人の個性が反映されるべきものだと思っています。
誤解されたくないのですが、私はデジタル否定派ではありません。アナログ原理主義でもありません(笑)。
自分が子供の頃、初代ファミコンが発売され、NECのPC-8801シリーズ(後に98)も登場し、デジタル化という意味では、一番最初の世代ではないかと思っています。
それでも「デジタルは万能か?」と聞かれると「現状ではまだ無理」という答えが頭の中にあります。
もっとAIが複雑になり、量子コンピュータなどの次世代コンピュータが普及して「入力した内容によって出力される内容が、毎回異なる」ようになれば、そうと言い切れない部分もあるかもしれませんが、今はそうではありません。
なんか暗い話になってしまいました(笑)。
でも、小説を書くということに関しては、まだ希望は持てると思っています。
それは小説を書くという行為が、アニメを制作することに対して、予算的にも人員的にもハードルが低いからです。
小説はひとりの頭の中だけで創ることができます。
一台のPC、もしくは紙とペンさえあれば、誰でも書くことができます。
そして、今は投稿サイトなど、それを気軽に発表できる場もあります。
非常にローリスクな行為だと言えるのではないでしょうか?
この1点だけ考えても、小説を書くということが、非常に優れた創作行為だと思えるんですよね。
長々となりましたが、最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
ほとんど推敲もしないで書いた文章なので、とりとめのないものになっているかもしれません。
この辺の問題は、感じた時に感じたように書いた方が良いと思っているので、勢いで書いてしまいました。
それでは、また、あした。
ディスカッション
コメント一覧
興味深いお話でした。ざっと感じた印象では、しろもじ先生の意見に賛成7割反対3割といったところ。
しろもじ先生のおっしゃる通りでございますが7割で、
「それは違うんじゃないかな」
とか、
「私は別の意見を持っています」
というのが3割。
少しAIについて考えてみましょう。
将棋界というのは、今地球上で最もAIの進出が進んだ業界です。
つまり、AIソフトが人間の実力を完全に上回っている状態。
では、人間の棋士は不要で、代わってAI同士の対局を見れば良いのか、というとそうでもなくて、人間同士の対局の方が面白いのかな、と。
もちろん棋士は棋士で、『人間が対局する意味』というのを、真剣に考えています。
今や、ほとんどの棋士が研究にAIソフトを用い、たとえば、『エルモ囲い』のような、ソフトが推奨する形や戦型などがプロの将棋にも頻出するなかで、どうやって自らの個性を発揮していくのか?
AIソフトの真似しか出来ない人間はいりませんよね?
AIが書く小説について、何十年も前に筒井康隆先生がTV番組の中でおっしゃっていました。残念ながら、正確に覚えていないのですが、そのニュアンスは以下のようなモノだったと記憶しています。
『あらゆる小説を分析して創り出された小説は、定番の設定に満ち溢れた陳腐なモノになる』
私は、デジタル技術が導入されれば、日本のアニメ産業の国際競争力は格段に上がると思います。
『技術が同じなら、中身で日本のアニメと戦える国なんて存在しないでしょ?』
というわけです。
京アニ事件で、多くの優秀な人材が失われたのが、本当に惜しいです★
あー、これはもしかしたら私の書き方が悪かったのかも。
私もAIが書く小説には否定的です。コメントに書かれているように最大公約数的な創作が面白くなるとは思えないからですね。
ですので、あくまでも創作は人の頭が作り出すものであると思っています。
その上で「ではAIが創作に絡んでくることは今後あるのか?」となると、これは確実にあると言えるでしょう。
既にAIが書いた小説が実験段階に来ていると報道されていたりしました(うろ覚えですが)。
恐らく「打ち上げバルーンとしてのAI製小説」は、数年以内に出版されるのではないでしょうか?
それが面白いかどうかは別として、話題性はありそうですから。
で、その後はきっと主流にはならないでしょう。それは上に書いた通りだと思うからです。
その一方で「人の創った創作物を判断するAI」というのは出てくるかもしれません。
公募や投稿サイトのコンテストなどで「下読みをAIがする」という可能性はあるのではないでしょうか?
なんてことを考えるのが好きなので、ついつい長々と書いてしまいますが(笑)。
アニメのデジタル化はおっしゃるとおりかもしれません。
ただ「効率化」の名の下に、様々な機械やツールを導入した結果、そこで働く人が必ずしも幸せになっていない事実を
たくさん見てきたので、個人的に「どうなんだろう?」と思った次第です。