権威(オーソリティ)について考えてみる

小説LABO

こんばんは、しろもじです。

権威、って言葉があるじゃないですか。

Webで調べてみると

1)他を支配し服従させる力。 「親の-を示す」 「 -が失墜する」
2)ある方面でぬきんでてすぐれていると一般に認められていること。また,そのような人。オーソリティー。 「その道の-」

Weblio辞書より」

とあります。

今日お話したいのは(2)の方。

いわゆる「Authority(オーソリティ)」のことですね。

権威という言葉には、上記のようにふたつの意味がありますので、この記事ではオーソリティという言葉を使っていきます。

「小説を書いている人を応援するサイト=TEXT FIELD」で、なぜオーソリティという言葉を取り上げるのか?

その辺りも含めて、以下に説明していきたいと思います。

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「小説家」という肩書はオーソリティ

執筆

オーソリティという言葉を言い換えると「専門家」という言葉が適当になるのかと思います。

物書きの専門家「小説家」という肩書は、国家資格でもなければ、特定の人だけが名乗れるものでもありません。

「私は小説家です」と名乗れば、誰でも小説家と言うことができます。

 

しかし、一般的には「小説家」というのは「紙の書籍を定期的に発行している人」という認識ではないでしょうか?

例えば「10年前に書籍を発行したけど、ほとんど売れずにそのまま消えた」という人はどうでしょうか?

もしくは「電子書籍は自分で数冊発行しているけど、紙書籍は1冊も出したことがない」という方はどうでしょう?

 

当サイトでは、そういう方も含めて「小説を書いている人は小説家」と呼んでいますが(それについては「はじめにお読み下さい」をご覧下さい)、それでも現状は上記のような解釈が一般的ではないかと思われます。

では、なぜ紙の書籍を定期的に発行している人だけが「小説家」と呼ばれる(呼んで良いと思われている)のでしょうか? どうして、電子書籍だけ(個人出版だけ)の人は、そう呼ばれにくいのでしょうか?

そこには「出版社というオーソリティ」が加わっているからだと思われます。

「紙の本だから、いい加減な内容ではないだろう」

「編集者が選んでいるわけだから、きっと面白い本なのだろう」

「電子書籍は素人でも発行できるので、イマイチ信用できないな」

そういう考え方が一般的なのではないでしょうか。

無論「作者」というオーソリティが存在するという部分は否定できません

しかし、残念ながら「紙書籍を一切発行しないで、小説家として大成した人」は限りなく0に近いのも事実です。

 

ただ、何年か後には、そういう状況も変わってくる可能性もあります。

「Web上のみで活動し、小説家として認められる人」が出てくるのは時間の問題でしょう。

その時「小説家」という肩書は、出版社を抜きにしたオーソリティになっているわけです。

オーソリティを高める方法を探る

書棚

それではオーソリティを高めるために、どうしたらいいのでしょうか?

一般的に社会的なオーソリティは「地位」によって高められることが多いかと思います。

「大学教授」「社長、CEO」「代表」など。

これは「その地位にいるということは、一定以上の知識、経験などを持っているはず」という「思い込み」から来るものでしょう。

 

一方で地位に関係ないオーソリティもありますよね。

「教授よりも有名な助教授」「会社のトップより名の知られた技術者」など。

それらの方は「実績(業績)によって認められた」ことにより、オーソリティを獲得したと言っていいのかと思います。

それはたったひとつのもの(実績)によってなされることもありますし、たくさんのものを積み上げた結果であることもあります。

いずれにしても「社会的に認められた実績を一定以上積み上げた結果」オーソリティを獲得した、と言うことになるわけですね。

 

一発でとんでもない実績を積み上げる人はともかく(ツイッターなどで、爆発的にバズったみたいな?)、コツコツ積み上げていく場合には「小さな実績」に加えて、もう一つ重要な要素があります。

それが「時間」です。

小さな実績を時間をかけて積み上げていくことで大きなオーソリティになる。

つまり「オーソリティ=実績×時間」ということになりますね。

ここで重要なのは「0にいくらかけても0でしかない」という事実です。

言い換えると「時間さえかければいい、というわけではない」ということ。

個々の実績は大きければ大きいほど良いのですが、0では駄目です。

 

ここで言う0とは「なんの意味もないこと」という意味もありますが、もうひとつ「誰の目にも触れないこと」という意味も持っています。

要は「発信しないと0と同じ」と言い換えることができるでしょう。

凄く極端な話をしましょう。

ブログを創りました。

毎日日記を書きました。「今日は◯◯で晩ごはん」「今日は□□へ行った」

一見すると、あまり意味がないようなものに見えるかもしれません。

でも、その中に「見た人にとって有益な情報」が書かれている可能性も微レ存、ということもあるでしょう。

それならば、それは0ではないわけで、積み上げていくことは有益と言えるかもしれません。

でも「意味がないからやらない」というのであれば、それは0でしかありません。

小説だって「私、もう30作も書いているんだ」と言ったところで、発表していないと何にもならないでしょう?(実力が付くじゃない、という話は軸が違うので)

もちろん、より有益なことを発信した方が良いのは間違いないんですけどね。

 

もうひとつオーソリティを高める重要な要素があると思っていて、それは「誠実さ」。

誠実さ、というのは「発信すること=自分の信念(考え)」であるということです。

知識というのは単独で存在することは少なく、どこかしらから持ってきたものであるというのが普通だと思いますが、それは決してコピペではなく「得た知識を自分の頭の中で処理して、出力したもの」であるべきです。

「お! この考え方良いな。ブログ記事にするか」と書いた記事は、オーソリティを高めるどころか、貶めてしまう可能性があるでしょう。

そういうことが「誠実さ」なのだと思います。

小説家がオーソリティを高めることで得られるもの

握手

それでは「小説家=小説を書く人」がオーソリティを高めることで得られるものは何でしょうか?

上で書いたように「紙書籍を出版したことでオーソリティを得た場合」では、それはまず印税になるでしょう。

みんな大好きなお金ですね(冗談ですから)。

 

逆に「紙書籍の出版なしにオーソリティを得た場合」はどうでしょうか?

例えば小説投稿サイトに小説を発表したり、ブログやツイッターなどで発信したりなどで得られたオーソリティということですね。

 

その場合も、順序が逆になりますが、得られるものはまずお金だと思います。

あまり金金と書くと「金の亡者かよ」と言われそうですが(笑)、そうは言ってもお金がないと明日ご飯も食べられないですし、インターネットにも繋げることができなくなりますよね。

だから、そういう意味ではお金=収入というのは大切、ということです。

 

ただ「お金さえ得られれば、何しても良いのだ」ということではないのは分かりますよね。

また「お金が優先」ということでもありません。

最優先すべきは「いかにしてオーソリティを高められるのか」という考え方で、言い換えれば「どうしたら信用される人間になれるのか」と言うことだと思います。

まぁ、これはサラリーマンとして働く場合にも似ている部分はあるのかもしれませんが、ある意味サラリーマンよりもシビアな世界でしょう。

まとめ

今日も長々と書いてしまいました。

随分エラソーにオーソリティについて語ってしまいましたが、そもそもオーソリティとは最初に引用したように「一般的に認められている」という受け身的なものであります。

「私は小説界のオーソリティだっ!!」といくら声高に叫んでみたところで、何にもならないものです。

一方で、例えば100人中99人が「君はオーソリティじゃないよね」と思っていても、1人が「あなたがオーソリティか」と思えば、その人にとってはそうなるということになります。

 

ただ経験上、そういう場合のメッキが剥がれるのは時間の問題だったりもします。

しかし、そうは言ってもいきなりオーソリティになれるのか、と言えば、上でもお話したように難しいのも事実。

「1人が認める」「2人が認める」……「20人が認める」「30人が認める」というふうに、徐々に増えていくのが理想的なのでしょう。

まぁ100人中100人が認める、という状況はなかなか生まれにくいものですけどね。

一定の「アンチ」は存在するものです。

どのくらいの比率なのか? と言うのは難しい問題ですので、また別の記事にしたいと思っていますが、分野にもよる部分があるのかもしれません。

 

今日も最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございます。

拙い文章ですが、少しでも皆様の考える機会になれば。

それではまた明日!

小説LABO

Posted by しろもじ