小説執筆における加齢の影響
こんばんは、しろもじです。
今回はタイトルがちょっとどうかなぁと思うのですが「小説を書く上で年齢を重ねるということは、どのような影響を与えるのか?」ということを考えてみたいと思います。
今回は読みやすさを重視して、あまり長い文章にはしない予定なのでそこまでの深掘り記事にはならない予定です。
本テーマは色々面白い要素を含んでいると思っていますので、今後色々な角度から別記事として書いてみたいと思っています。
歳を取った人は、なぜスマートフォンを扱いにくくなるのか?
まず小説以外の話から入りましょう。
先日、私の母に使わなくなったiPadを譲ったんですよね。
母の使い方としてはネットを閲覧したり、YOUTUBEを観たりするくらいの使い方なのですが、聞くと「使い方がなかなか覚えられない」とのこと。
これは母だけではなく、他の年齢を重ねた方に話を伺っても同じようなことを仰れることが多かったりします。
(もちろん若い方でも苦手な方はいるでしょうし、歳をとってもバリバリに使いこなす方もいます)
歳を取ると脳の活動が衰えていき、それによって新しいことを覚える機能が低下する……ということはあるとは思います。
とは言え、YOUTUBEの使い方などそこまで難しいものではありません。
むしろ以前のコンピュータよりも使い勝手は相当に上がっている(直感的に使えるようになっている)ものと思われます。
私にしてみればiPadとBlu-rayレコーダのリモコンを比べた場合、前者の方がよほど簡単だと思っているくらいです。
また歳をとった方、例えば60歳の方と15歳の方のIQを比べた場合、60歳の方が確実に劣っているかというとそうでもないでしょう。
若い方を見ていると「本当に頭が良いな」と思われる方も多い反面「どうしちゃったのかな?」という方もいらっしゃいますし、歳をとった方においてもそれは同様です。
けれども「スマートフォン、タブレットを難しいと思うのは、明らかに年齢層が高い方が多い傾向にある」というのはなぜなのか?
これについて自分自身を振り返って考えると、確かに歳とともに「面倒くさいなぁ」ということが増えてきているように感じられます。
面倒くさいは若いときでもあるとは思うのですが、例えば「しなきゃいけないけど、したくないこと」は年齢層問わず「面倒くさいなぁ」となるでしょう。
一方「楽しそう、したいな」ということでも「面倒くさいなぁ」となってしまうのが年齢を重ねた「面倒くさい」です(笑)。
このような行為は「新しいことへの探究心の減少」と言い換えることができるでしょう。
私はこの「新しいことをチャレンジする気持ち」が若さを表しているのではないかと思っています。
※これについてひとつ補足事項がありますが、話が逸れますので最後に添付しておきます。
ではこの「新しいことにチャレンジする気持ちの減少」はなぜ起こるのか?
加齢による脳機能の低下でしょうか?
もちろんそれもあるとは思いますが、私は「今までの経験」が阻害要因になっていると思っています。
どのくらいの年齢からそれが影響をもたらすのかはひとそれぞれだとは思いますが、私の場合はおおよそ30代くらいじゃなかったなぁと思っています(それほど前の話ではありません!)。
もちろん学生時代でも「下級生対し先輩風を吹かせる」というのはあるでしょうが、就職し経験を積み、成功体験を重ねたり目の前が真っ暗になるほどの失敗をしてしまったり、涙が出るほど嬉しいことがあったり死にたくなるほど悲しいことがあったりして、人は経験を重ねていきます。
この経験は脳の神経に回路が作られることでその人を形成する要素となっていきます。
経験自体は悪いことではありません。
しかしその経験が時として新しいものへの挑戦を阻害してしまうことも多いわけです。
「今までの成功体験の自負」と言い換えてもいいかもしれません。
成功体験というほど大げさなものでなくても「今まではそれでできていた」というものでも同じことです。
今まではリモコンのボタンは動きませんでした。
どれほどボタンの数が増えようとも、ボタンはずっと同じ場所にあります。
でも、スマホ・タブレットではボタンはその都度場所を変えることがあります。
アップデートにより機能までの操作とは違ったりすることもあります。
今までの機械は分かりやすかった!
今のものは難しすぎる!
今までの経験が新しいことを覚えることへの障害になるわけですね。
蓄積した知識・経験が、ウェブ小説への嫌悪感を生む?
さて、そろそろ小説の話に移りましょう。
このように「今までの経験が新しいことへのチャレンジを阻害することがある」ということを小説に当てはめて考えてみます。
小説ではかつて「一般文芸こそメインストリームである」という時代がありました(今でもそうかもしれません)。
小説のジャンル分けは非常に難しいものですが(そしてある意味無駄なものに変わりつつありますが)、ここでは「純文学」「一般文芸」「ライトノベル」と分けて考えます。
純文学からエンターテイメント要素を持った一般文芸にシフトしていき、やがてライトノベルの始祖が生まれてきました。
今では「ライトノベルというよりはむしろ一般文芸」と言われるような作品を経て、完全なるライトノベルのようなものが浸透してきました。
その後ウェブ小説という分野(新文芸とも言われています)が誕生し、現在に至っています。
今でも一般文芸をこよなく愛する方々(私もです)にとって、ライトノベル、ウェブ小説は衝撃的でもある存在です。
私も初めて『とある魔術の禁書目録』を読んだときの衝撃は忘れません(笑)。
ある意味「幻想をぶち壊された」感じでした。
今でも時々ライトノベルレーベルから出ている書籍を買って読んでみることはありますが、中には「そっ閉じ」してしまうものもあったりします。
でもふと「これって『スマホ難しい! ガラケーが良かった!』って言っているのと同じじゃない?」と思ったんですよね。
自分が今まで読んできた書籍とは明らかに違う。
文法がおかしい。
会話が多すぎ。
転生しすぎ。ハーレムしすぎ。チートしすぎ。
最後のはちょっと違うかもしれませんが、結局は「今まで自分が積み重ねてきたものとは違うものに対する嫌悪感」という意味では一緒ではないかと。
次のページでは「ではどうしたらいいのか?」というのを考えていきます。
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