「書きたいのに書けない!」小説を書きたいのに、ついついネットやゲームに現実逃避してしまうときの対処方法
こんばんは、しろもじです。
「あー、小説書きたーい! でも……ちょっとだけ……」
と、スマホやゲーム、ネットに手を伸ばし、気がついたら「あれ……もうこんな時間。明日から本気出す」。
そんな経験ありませんか?
本記事は「やりたいことのはずなのに、なぜか気が散って違うことばかりしてしまう」という方に向けたものです。
集中力、自制心が足りないのか?
「小説を書きたいのに、つい他のことばかりしてしまう」というときに、つい自分を「なんて集中力のない人間なんだ」とか「私は本当に自制心がない」と責めてしまいがちです。
本当にそうでしょうか?
そもそも人間というのは、そこまで集中力が続かない生き物です。
毎日、学校に行っている間は勉強だけのことを考え、職場にいるときは仕事のことだけに集中している……そんな人は滅多にいません。
人によって違いはあると思いますが、おおよそ30分から1時間程度しか、集中して物事を行うことはできません。
もちろん、何時間も没頭してしまうという場合もありますが、その後ってドッと疲れますよね。
それは相当な無理をしているからです。
普通にしていると、それほど集中力が続くことはないわけです。
我々が、まだ言語や道具を持たず、木の上で生活していたころ、集中力を持つということはとても危険なことでした。
常に周りに気を配り、ご飯を食べながらでも、子供の世話をしながらでも、他の色々なことに目を向けないと、いつ外敵に襲われるか、危険が迫ってくるのか分かりませんでした。
だから本来、生き物というのは集中には向いていないわけです。
ある意味、人間のみが、その能力を獲得できたと言っても良いでしょう。
また、自制心。
これも同様です。
自制心とは、自分を制する。
つまり本能のままに行動するのではなく、あるルールに従って自分の行動を決めるということです。
これも集中力と同様にコントロールすることは大変難しいものです。
そもそもの話になりますが、これらをコントロールするということは、本当に必要なことなのでしょうか?
小説を書いている方のほとんどは「誰に言われたわけでもないし、強要されているわけでもない」わけです。
別に「謎の組織に捕まって『小説を書かないと命はないぞ』と脅されている』というわけではないですよね(笑)。
「自分でやりたいと思っていることのはずなのに、どうしても他のことばかり気になってしまう」
心がそうなっているときは、素直にそれに従った方がいい、と私は思います。
あなたがどの程度「小説を書く」ということを本気で思っているかによりますが「本当に良い小説を書いて、みんなに読んでもらいたい!」「ヒットする小説を書いて、お金を稼ぎたい!」と思っているのならば、きっとネットやゲームを捨てて、小説を書けるようになると思います。
小説よりもネットやゲーム、アニメが優先されてしまうわけは「本気になっていない」からです。
このことは、以前「小説に集中したいという人がポメラを買うべきでない3つの理由」という記事でも書きました。
仕事でも勉強でもそうなのですが、結局の所「本人が本気になっていないと、何事もできない」わけです。
「学校に行かないと親や教師に怒られるから」
「授業に出ないと出席日数が足りなくて落第するから」
「会社に行かないと、お給料が貰えないから」
「仕事をクビになったら困るから」
そんな状態で、学校で良い成績が上げられるわけも、職場で良い仕事ができるわけもありません。
結局のところ「本当に小説が書きたいのか?」「どうして書きたいのか?」を真剣に自分に問いかけるしかありません。
そして書きたい理由を見つけたら、それを本気で信じましょう。
始めはバカバカしく思えるかもしれません。
自分に問いかけても「よく分からなーい」と答えが返ってくるかもしれません。
「いや、そんなに好きじゃなかったわ」という結論に達した方は……何か他の本気になることが見つかりますように、と祈るしかありません。
あくまでも私の場合ですが
「本当に小説書きたいの?」「うーん、書きたいのは書きたいんだけど……」
「なんで書きたいの?」「自分が面白いと思った話を、皆にも読んで欲しいから」
「じゃ、なんでやらないの?」「よく分からない。仕事も忙しいし、プライベートの時間も少ないから」
「それじゃ、小説書くってこと止めたら?」「それは嫌だよ」
「一生小説は書かない?」「いや、書くよ」
「いつ書くの?」「今でしょ!」
みたいな感じでした(笑)。
「いつかやる」を「今やらないのなら、もう止めたら?」と自分に問いかけることで「止めたくないから、今やる」となったわけですね。
だから「ポメラはネットに繋がらないから集中できる」とか「環境を整えないと集中できない」とか、そういうのは違うと思うんですよ。
それはあくまでも上辺。
あってもいいけど、必須じゃない。
問題の一角を表しているけど、本質じゃない。
そんな感じです。
ですので、そういう考え方で「本当に自分がしたいのか?」をまず考えて「本当にしたいんだ」という結論に達する、というのがまず大前提です。
その上で、私がやって効果のあったことをいくつかご紹介します。
時間割をつくる
「なんとなくできない」というのを言い換えると「できたらやる」ということになります。
この「できたらやる」というのは、間違ってはいないのですが、如何せん忙しい現代人。
勉強に仕事に疲れてしまうと、なかなかそうも行かないのも事実です。
そこで、時間割を作りましょう。
「スケジュールを立てる」と言うと、緻密な計画を立てる方が多いかと思います。
「会社から帰って来るのが19時だから、19:30までにご飯を食べて、20:00まではお風呂。20:30までに家事を済ませて、21:00まではウォーキング。21:00からは……」
なんて、計画を立ててしまいがちです。
そして、それはほとんど上手くいきません。
やれても1週間程度だと思います。
何故でしょう?
それは「生活していれば、絶対にイレギュラーなことが起こるから」です。
退社しようと思ったら、上司から追加の仕事を命じられた。
学校から帰ろうと思ったら、友達に「遊びに行こう」と誘われた。
家族から「これ買ってきて」と頼まれた。
そんなことはよくあることです。
緻密な計画を立てていると、これらのイレギュラーな出来事に対応できなくなってしまいます。
そう言った出来事に不満を覚えたり、フラストレーションになることもあるでしょう。
そして「こんなの無理!」となってしまうわけです。
そこで「ゆるいスケジュール」を立てるという方が良いことに気づきます。
「22:00から0:00の間、1時間だけ小説を書く」
「休みの日。午前中1時間、午後1時間小説を書く」
「1週間で5話分、小説を書く」
どんなのでも良いと思います。
色々やって、自分に合うものを見つけると良いと思います。
ひとつだけ気をつけたいのは「これは緩すぎるだろ〜」というくらいにしておくこと。
この計画は「絶対にやる」というものでなくてはいけません。
どんな状況でも(自分や家族の病気など、深刻なイレギュラーを除く)やる、やれる、というくらいでないと元の木阿弥です。
ちなみに私は「一日30分は小説に手を付ける」というものにしています。
書けない日もありますが、小説に向き合うのが30分。これは必ずやるようにしています。
5分だけ手を付ける
「まず5分だけ」
そう思いながら、PCに向かいましょう。
「ちょっとだけ手を付けてみよう」そんな感じでOKです。
上記の「30分やる」という場合でも、手をつけるときは「5分だけ」と思うと良いでしょう。
1文だけ書いてみましょう。
そうすると結構スルスルっと進むことがあります。
仕事でも「行きたくないでござる」と思いながらも、とりあえず会社に行くと「なんだかんだで仕事してる」ってことあるでしょ?
それと同じです。
とりあえず手を付けてみる。
それで勢いがつくことは結構多かったりします。
時間を超過しないくせをつける
「なんとなくやる気がでない」ときとは逆に「やるとなったらとことんやる」ということがあります。
「なんだか今日は凄くやる気になっている。よーしやるぞ!」と思うことは良いことではあります。
が、あまりにやりすぎると、後日「あれだけやったんだから、今日はいいだろ」という思いに駆られてしまうこともあります。
コツは「毎日やること」です。
先程も言いましたが「毎日、無理のないだけやる」これが大切です。
毎日やるということには「習慣化できる」ことや「スキルの上達に適している」という利点があります。
この習慣化というのはとても大切です。
ブログも「毎日必ず書くのだ!」と思って更新しているうちは、毎日更新ができます。
でも「昨日4記事も書いたから、今日はいっか」と思ったら、きっとその翌日も「今日もいっか」と思い、気づいたら数日経っていた、なんてことはザラです(笑)。
小説も「ここまで書きたいんだけどなぁ」と思うくらいで止めておく方が、次の日も継続できたりします。
「キリが悪い」これが次の日のモチベーションになることもあるということですね。
バランスに気をつける
「よし、今日から本気出す。スマホゲームもやらないし、ネットも徘徊しない!」
決意を固めると、こんな思いになることもあります。
ですが、それは案外危険です。
人間は「今日からいきなり別人になる」ことはできません。
もしできるのなら、もうとっくに出来ているはずです。
だから、徐々に変わっていくというのがとても大切なんです。
ゲームもネットも適度に許しましょう。
その場合は上のように「時間を決める」ことで、やりすぎを回避できます。
私の場合。上に書いたように「30分は小説を書く、もしくは小説に関わる」ということをやっています。
ブログを書いたりする時間もあるのですが、こちらは特に決めていません。
ゲームは最近ほとんどやらないので、一番の誘惑はネットを見て回ることです。
そこで「22:00から22:30は、本気でネット徘徊をする」と決めています。
(同時刻帯に、小説投稿やブログ投稿がある場合は、ほとんど「予約投稿」です)
「つい気を取られること=ネット、SNS、ゲーム」を「この時間は絶対にやる。やらなきゃいけない」と決めると、徐々に「ま、やらなくてもいっか」となってきたりします。
これ本当に不思議なんですよね(笑)。
「この時間はゲームをしなくちゃいけない。必ずだ!」と思えば思うほど、段々やらなくなる。
人間って、そんな不思議な生き物なんだと、改めて理解できます。
「蛇足」あまりやらない方が良いこと
色々あるのですが「ご褒美システム」は推奨できません。
「ご褒美システム」とは「これをやったら、自分へのご褒美にこれが貰える、できる」というものです。
この方法は、やり始めでは非常に有効に働くので「これは良い!」と思いがちです。
ですが、長い目でみると「ご褒美がないと出来なくなる」ことに繋がります。
行動経済学で言うところの「アンダーマイニング効果」というやつですね。
「小説を皆に読んでもらいたい!」という動機が「小説を書いたら、ご褒美が貰える!」にすり替わってしまうわけです。
動機づけは意外と大切です。
「書いている小説がエタる」のも「ヒットした漫画家に休載が増える」のも、この動機づけのせいだと私は思っています。
「この部分だけ見て欲しい」という動機で小説を書き始めるから、それを書き切った途端にやる気を失ったり「ヒットして、お金持ちになりたい!」と思っていたからこそ、そうなった段階で「ちょっとくらい休んでも」となるわけです(ヒットの方は想像でしかないのですが)。
完結できない小説については、以前記事にしています。
できるだけ長続きする動機を持ちたいものです。
まとめ
結局のところ「人は本気になったら、必ずやれる」と、私は信じています。
「いや、本気だよ」と言う人でも、誘惑に負けるということは、心のどこかで本気になれきれていないということです。
本気になるためには、上に書いたように「自分に問う」という方法が一番効果があると思います。
バカバカしい、と思ってしまいますが、やっていると、段々できるようになります。
また「それをやれる時間は、どれほどあるのだろう?」ということを考えてみるのも良いでしょう。
例えば「1日1時間は、小説を書ける」のだとします。
1年間で365時間。
あなたが「小説を書き続けられる」のは、あと何年でしょうか?
若い方だと「そう言われても」と思うことでしょう。
20歳だと、何歳までキーボードと叩き続けられるでしょうか?
もしくは「小説を書く」ことをいつまで続けていられるでしょうか?
80歳で死ぬとして60年です。
60年×365時間=21,900時間
21,900時間÷24時間(1日)=912日÷365日(1年)=2.5年。
つまり、1日1時間小説を書いて、60年間続けたとしても、たった2.5年間分にしかなりません。
というのは、実は計算のおかしなところで、実は21,900時間というのは、時速3,000字書ける人なら65,700,000字書ける計算となり、10万字を1作とするのならば「657作」も作れる計算になってしまいます(笑)。
ですが、ここは考え方です。
「60年の内、たった2.5年しか小説に費やせない。半分になれば1年と3ヶ月。たったそれだけ」
と思えば、一日を疎かにもできないはずです。
人間なんていつ死ぬか分かりません。
明日死なない保証なんて、どこにもないわけです。
そして、私もあなたも(余程の医療的進歩がない限り)いつかは死にます。
どうせ死ぬのなら、今頑張る。
今日だけ頑張る。
昨日までの頑張りを無駄にしないために、今日も頑張る。
無理はしない。毎日少しづつでもやる。
肩肘を張る必要はありません。
出来ない自分を責め続ける必要もありません。
人間は急には変わりません。
ちょっとづつ、自分ができることの最小限をやり続ける。
それで十分だと、私は思います。
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