「他人の評価」に論理的に立ち向かう方法

小説LABO

自作の小説を投稿サイトにアップロードしたとき、一番頭を悩ますことが「他人にどう思われるのか?」ですよね。

「読んでもらえるだろうか?」「楽しくないと言われないだろうか?」「笑われないだろうか?」

色々な思いが脳裏をよぎり「投稿する」ボタンを眺めて止まってしまうこともあるかもしれません。

これに関することは、実は以前にも記事にしたんですよね。

上記記事では「初めて小説を投稿する前に感じる不安」について書きました。

なので、ややふんわりとした論調になっていたかと思います。

今回はもう少し深掘りし「なぜ私たちは他人の評価を気にしてしまうのか?」「他人の評価の正体」「他人の評価への耐性の付け方」について具体的かつ論理的に考えていきましょう。

※)今回「他人」という名称を使いますが、一般的な「知らない人」の他人ではなく「自分ではない人」という意味合いでの他人になります。他人と書いてひとと読む、そんな感じです。

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私たちが異常に「他人の評価」を気にする訳

まず最初に「どうして私たちはこんなにも他人の評価を気にしてしまうのだろう問題」について考えてみましょう。

結論から言えばそれは「人間は社会的な生き物であるから」です。

おぎゃあと生まれたときから他人を頼らず、他人に関わらず、他人と接触しないで生きていける人はいませんよね(そもそも人間は一人では生まれることすらできないわけで)。

成長し学び生きていく過程で、必ず他人との関係が築かれていきます。

他人が自分を認識した時点で、他人の中にあなたに対する「評価」が生じます。

評価というとやや誇張した言い方かもしれませんが、例えば初対面の人と会ったとき「イケメンだな/ブサイクだな」「背が高いな/ちっちゃいな」「明るそうな人だな/暗そうな人だな」などといった印象を持つのが普通だと思います。

それらは関係を続けていく内にアップデートされていき「ブサイクだと思ってたけど、案外可愛らしい人だ」と変わっていったりもしますよね。

もちろん自分がそう思うように相手も同じことを思っているわけですから、互いに「評価」されあって生きていると言ってもいいのかもしれません。

また現代では「他人の評価」というのが、自分の人生において大きなウェイトを占めるようになってきていると思われます。

学校、会社、地域社会。

どこでも他人の評価が付きまとい、それにより自分の人生が左右されることも多くなってきています。

特に学校教育では「他の人のことを考えましょう」というのをよく教えられるので、それを素直に聞くことにより「他人の評価が気になる」ようになるのではないでしょうか?(今もそうなのかな?)

誤解されたくないのですが、それらがいけないことだと言っているわけではありません

社会的に生きていくためには他人の評価は避けられないものであり、それを気にせず生きていくことはできないですし、気にしなさすぎもある意味いいことだとは言えないからです。

ただ「あまりに気にしすぎて、自分の行動を縛りすぎになるのはよくないんじゃないの?」ということですね。

他人の評価とは「その時点で観測された、ある一面を表現したもの」

次に他人の評価とは一体何なのかを考えてみます。

他人の評価とは「その時点でのあなたのある一面を観測した結果生じた(そこそこ)無責任な感想」であると、私は思います。

他人はあなたではありませんから、あなたがどんな思いでその小説を書いたのか? ということにまで思いを馳せることはありません(と言うか、できません)。

なので、他人の評価は「小説を読んだ感想」以外の何者でもありません。

言い換えれば「それはあなたの評価ではない」とも言えます。

前回の記事でも書いたのですが「君の着ているシャツの柄、ちょっと変だよね」と言われたようなものです。

「そのシャツを選んだ自分(小説を書いた自分)」への評価とも言えますが、最終的には「シャツ(小説)」について言われているだけですよね。

シャツならは「そうかな?」と言って着替えればいいですし、小説なら「なるほど」と思って次に活かせばいいだけです。

また作者自身への評価の場合も同じことが言えます。

あくまでも「その時点での観測された結果を言っただけ」です。

それがあなたを正しく評価している可能性は、ほとんどの場合「限りになく0に近い」と言えるのではないかと思われます。

いわゆる「あなたに私の何が分かるのよ!!」ってヤツです。

ほとんどの人は、自分のことすら分かっていないものだと思います。

そんな人が他人の評価をしたからと言って、それがどうしたというのでしょうか?

「24時間365日、生まれたときから今の瞬間までずっとあなたを見ていた」というのであれば、その言葉を信用して受け入れてもいいかもしれません(怖いですけどね)。

ですから、他人の評価があなたを正しく表していると思い込む理由はないとも言えます。

他人の評価はあなた自信を変えることはできない

また他人の評価があなたを変えることはできません。

もし他人の評価であなたの行動が変わったとしたら、それはあなた自身が行動を変えたということです。

他人が言ったことは音声であれば「音波として耳から入り」文字であれば「文字情報として目から入る」わけですよね。

その「音波」や「文字情報」は、あなた自身を動かすことはできませんよね?

つまり、あなたが他人の評価によって傷ついたり怒ったりするのは、あなた自身が選択しているとも言い換えることができます。

繰り返しますが、他人の言葉があなたを変えることはありません。

他人が「うるさいハゲ!」と言ったからと言って、私の頭皮が砂漠化することはありません(念のため補足しておきますが、現時点ではまだ大丈夫です)。

「君の小説は面白いね!」と言われたからといって、あなたの小説が面白くなるわけではありませんし「面白くない」と言われたからと言って、面白くなくなるわけでもありません。

それは、その人のその時点での感想。それだけです。

……と言っても、そんなに簡単に割り切れるわけはありませんよね。

私見ですが、他人の言葉に心を動かされすぎな人は「とても素直ないい人」だと思います。

他人の言うことを疑わない。

何でも素直に信じちゃう。

ピュアで真面目な方です。

ですから、それ自体が悪いことではないとも思います。

ただ「情報を直で入れずに、一旦自分の外の関所を通す」というようなイメージを持つことは大切かもしれませんね。

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「それでも他人の評価が気になるんですけど!」という場合

他人の評価が気になりすぎな人は、もしかしたら「自己評価が低い人」かもしれません。

「自分自身の自分自身に対する正しい評価」というのはとても難しいものであると言えますが、自分の頑張っているところを再確認することで、正しい自己評価ができるようになるかと思われます。

自己を評価する際、最も大切で分かりやすいのは「数字で見ること」です。

「なんとなく頑張っている」というのは「なんとなく頑張っている……かもしれない」というように、ふんわりとして揺れがちなものです。

数字で見ることによって、より客観的かつ揺るぎない評価が下せるのではないでしょうか?

この数字は「他人の関与する余地のないもの」にするべきでしょう。

「小説/ブログのPV」とか「小説コンテストの当落」など、他人の関与するものは実力が反映される反面、運の要素も多く含んでいたりします。

ですから、PVや感想、コンテストの結果などではなく「一日に書いた量」「ブログを更新し続けた日数」「小説コンテストへの応募」など、自分自身でコントロール可能なものにするのがよいですね。

「毎日3,000字は必ず書く!」でもいいですし「◯◯賞に応募する!」でもいいです。

あまり無理な目標でないものにした方がいいかもしれません。

目標は

  • 具体的
  • 計測可能
  • 実現可能
  • 現実的
  • 期限がある

であると、より効果的であると言われています。

まぁそんなにかしこまらなくてもいいですので「ちょっと頑張ればできそうなくらい」の目標にしておくといいですよね。

例えば「3ヶ月間、毎週小説を1話、カクヨムに投稿する」という目標を掲げてみましょう。

それを3ヶ月間しっかりやり抜きます。

3ヶ月経ったとき、それをやり切ったことを確認します。

また次の目標を立てます。

やって自己評価します。

これを繰り返していくことで「自分は決めたことを守れる人間だ」という自信がついてきます。

そういう行動を積み上げていくことで、自己評価が高くなり他人からの評価に左右されにくい人間になれる可能性があるかと思います。

また別の観点から言えば「自分が他人を評価しているときのことを考える」というのもありかもしれません。

お時間がある方は、カクヨムに投稿されている私の小説を少し読んでみて下さい(他の方の小説でも構いません)。

1話でも読めば「面白い」とか「つまらない」とか「読みにくい」とか「何だこれ」とか色々な意見が出てくると思います。

それを感想欄に書くとしましょう(もちろん実際に書かなくていいです)。

例えば「しろもじ。お前の小説は読みにくいし、面白くもない」と書いたとします。

それを私が読んでもの凄く落ち込んでいるのを、あなたが見たとき。

あなたはどう思うでしょうか?

きっと「いや、私が思っただけだから」と言うのではないでしょうか?

「自分の意見などそんなに気にしなくてもいいじゃない」と思うのではないでしょうか?

人は「自分の意見は軽く、他人の意見は重く」受け止める傾向があります。

言い換えれば「自分の意見は真実とは言えないかもしれないが、他人の意見は多くの真実を含んでいる」となります。

ですが、冷静に考えてみれば自分の意見は他人にとっては「他人の意見」であり、他人の意見も自分にとっては「他人の意見」ですから、どちらも一緒なんですよね。

その辺も考慮すると、より心が軽くなるかもしれません。

まとめ

「他人の評価なんて気にするな」が結論なのですが、そうは言ってもなかなか上手くいかないことも多いのが現実だと思います。

最終的には「ブロック機能」などを使って「遮断する」というのも手だとは思います。

でももし「もう少し強メンタルになりたいな」というのであれば、今回の記事を参考にして(なるかどうかは分かりませんが)具体的に考え方や対処法を変える、というのをやってみるのもいいかもしれませんね。

また以前に『共感を得られない寂しさに陥ったときに知って欲しいこと』の記事でも書いたのですけど、どんな人、ものにも必ず賛同者はいますし反論者もいます。

「そういう意見もあるのだな」という程度に思うことも大切だと、私は思います。

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