本当に好きなこと、とは何だろうか?
現代は、生きていく上での選択肢の多様化が進んだ時代で、「自分の好きなこと」をやりやすくなってきた時代であるとも言えます。
しかし一方で「やれることが多すぎて、一体何が好きなのか分からない」というのもあるのではないでしょうか。
「小説が好きだと思って書き始めたけど、もしかしたらあんまり好きじゃなかったかもしれない」
そんなこともあるかもしれません。
「小説を書いていたけど、最近あんまり……」
ということもあるかもしれません。
今日は、そんな「好き」とはどういうことなのか? どうすれば本当に自分が好きなことを見つけられるのか?
そんなことを考えてみたいと思います。
好きにも色々ある
一口に好きと言っても、その内容には色々なものがあります。
「小説が好き」「小説を読むのが好き」「小説を書くのが好き」
「イラストを書くのが好き」「動画を作るのが好き」などなど。
大まかに分けて「好き」には「消費型」と「生産型」があるように思われます(その他にも「カレーが好き」「あの人が好き」などもありますが、ここでは割愛)。
消費型は非常に分かりやすいです。
小説や漫画、アニメ、映画、音楽など視聴してみれば、好きか嫌いかがはっきりと分かるからです。
一方で生産型は分かりにくい。
最も障害となるものが「消費型で好きだったから、生産型も好きかと思っていたら違っていた」ということがあるからです。
小説を読むのが好きだったら、書くのも好きだと思って書いてみた。
私自身もここに当てはまるのですが、多くの人にとってもそのような場合が多いのではないかと思います。
創作において、始めてすぐに「あ、これは好きじゃない」と気づけばいいのですが「自分はこれが好きに違いないんだ」と思い込んでしまうと、逆に苦痛になったりすることもあります。
では、どうしたら「それが好きなのかどうか」分かるのでしょうか?
「結果」が好きなのか? 「過程」が好きなのか?
これについて、色々考えてみた結論としては「その結果が好きなのか? それとも過程が好きなのか?」で判断できると思われます。
ちょっと意味が分かりませんね。詳しくお話しましょう。
まず「結果が好き」とはどういうことか?
例えば小説を書くことを考えてみましょう。
小説を書く。それによって「有名になれる」「チヤホヤされる」「お金が手に入る」などが目的の主となっていて、それで「小説を書くのが好き」という場合。
言い換えれば、小説投稿サイトでランキング上位になる、コンテストで入賞する、本を出版できた、などなど。
これらになりたくて、小説を書くのが好きな場合、つまりそれらがモチベーションになっている場合と言ってもいいでしょう。
この場合は、長続きしないことが予見できます。
何故かと言うと、いずれも「自分以外の要素が存在している」「とても狭き門である」からです。
自分以外の要素とは、ランキングにしても、コンテスト・公募にしても、結局の所自分以外の人の行動によって結果が決まることです。
もちろん、自分の頑張り・能力次第ということも言えなくもないのですが、それでも自分がどれほど望んでみた所でどうしようもない部分が多いわけです。
もうひとつの「狭き門」の部分は言うまでもありませんね。
賞を獲れる人、ランキング上位になれる人は、ほんの一握りです。
また、それを成し遂げたからと言って、一生それが続くわけでもありません。
小説を書いた「結果」、ああいうふうになりたいな、こういうふうになりたいな。
上手いイラストを書いて、みんなに認めてもらいたいな。
こういう考えは当然誰にでもあるもので、否定はできません。
でも、そういう気持ちだけで「好きなんだ」と思いこんでいると、そうなれなかった場合、そうならなくなった場合に「好きではなくなる」可能性が高いわけです。
もうひとつの「過程が好き」を見ていきましょう。
これは「小説を書いていること自体が好き」ということになります。
こう書くと「自分が好きな小説を好きなように書く」と思われがちですが(それも間違っていませんが)、それだけではありません。
例えば「どうしたらたくさんの人に読んでもらえるだろう?」と考えること。
これは一見、上の「結果が好き」に似ているようにも感じられますが、そこに至る過程の違いがあります。
内からくるのか、外から来るのか?
「小説を書くのが好き」→「たくさんの人に読んでもらいたい」→「どうしたらいいのだろう?」
「有名になりたい」→「たくさんの人に読んでもらう必要がある」→「どうしたらいいのだろう?」
これは明確に異なります。
要は欲求の根底が、自分の中にあるものなのか? それとも外にあるものなのか? と言い換えることができるかと思います。
「有名になりたい」も内なる欲求とも言えますが、先程言ったようにそれは外部要因に左右されます。
自己だけで完結できるものではないので、外からきたものと分類することができるでしょう。
このようにモチベーションの原点がどこにあるのか? というのをよくよく考えてみると「自分の本当の好き」が見つけやすくなるのではないかと思われます。
もちろん、一度やってみて「好きなのか?」を確認するのが一番良いと思います。
ですが、中には「好きかどうか分からない」ということもあるでしょう。
長くやっていると「好きだったのに、あまり好きじゃなくなった」ということもあるかと思います。
そのようなときは「なぜ、それを好きなのか?」を追求して考えてみると、答えが見つけやすくなるでしょう。
逆に言えば、これは自分が創作を好きになる原動力となるものと言えるかもしれません。
私自身は小説を書くことが好きなので分かりにくい部分があるのですけれど、例えばイラストなどを書いてみようと思ったとき、ネットでキレイなイラストをみて「こんな絵が描けるようになれればなぁ」と思うことがあります。
そのときに「こんな絵がなぜ描きたいのか?」と考えてみて「キレイなイラストを描ければ『しろもじさん、すごーい』と言われるから」という理由であれば、これは長続きしないでしょう。
でも、単純に上手くなりたいという理由であれば、その過程すら楽しめることになるわけです。
下手でも楽しい。段々上手くなっている感じが楽しい。
どうすれば上手くなれるのか研究するのが楽しい。
そんなふうに過程を楽しめるようであれば、自分はイラストを楽しんで描けるようになるのだと思います。
結果だけを追い求めていると、それが満たされない場合、挫折へと繋がります。
まとめ
もっとも単純な見極め方は「ちょっと空いた時間に、それをしたくなるのか、それとも他のこと(ゲームやネット徘徊など)をしたくなるのか?」ということでしょう。
もちろん人間ですから、ときには息抜きは必要です。ゲームもネットもしたいときがあるでしょう。
でも、その比率の方が多いときには、少し考えた方がいいかもしれません。
実は、このことは以前にも何度か書いています。
少し話が逸れますが、仕事に関しても突き詰めれば同じことです。
自分が本当にそれをしたくて仕事をしている場合は、ブラックもライフワークバランスもないわけです。
Life is workなわけですから、四六時中仕事をしていても苦ではありません。
でも、実際にそういう人ばかりではありません。
その食い違いが、昨今の問題を生み出しているのではないかと、私は思っています。
で、小説も同じことです。
本当に好きなのであれば、ゲームよりもネットよりも好きなことをしてしまうものだと思います。
ただし、それが「正しい」ことなのかどうかは、私には分かりません。
中には「賞を獲るために、お金を稼ぐために小説を書いているんだ」という人もいるでしょう。
それはそれで間違ってはいません。
ただ、今回の記事の主題のように「好きなのかどうか?」を考えるのであれば、こういう考え方もありなのではないかと思うわけです。
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