発信側として気をつけるべきことを考えてみました【追記有】

2018年6月9日小説講座

こんばんは、しろもじです。

先日、書籍界隈に衝撃が走った『二度目の人生を異世界で』を巡るニュース。

記事執筆時近辺では、知っている方も多いと思いますが、念の為ウィキペディアの該当作品ページヘのリンクを張っておきますので、分からない方はご参照下さい。

簡単に説明しますと「アニメ化まで決まっていたライトノベルが、人種ヘイトの内容で抗議を受け、アニメ化は白紙撤回、書籍も発刊が停止(記事執筆時)」ということです。

今日はこの件について、少し考えたことを書きたいと思います。

まず大前提として

記事を書くにあたり大前提とすることを書いておきます。

まず『二度目の人生を異世界で』が、果たしてヘイトに当たるのかどうか?

これについては、言及しないものとします。

ヘイトとは「発信側」に依るものではなく「受け手」に依るものであること、というのがその大きな理由です。

また、ヘイトに関して、私自身が確信を持てていない、というのも理由のひとつです。

ですので「右だ左だ」という議論はしません。

あくまでも、本件に関して私が思ったことを書く、ということになります。

なぜ仲良くできないのか?

今回の件を聞いたとき、私が一番に思い出したことがあります。

それは小学校の頃に受けた授業。

とある差別問題を扱った授業だったのですが、そのときに先生から「どうやったら、この問題を解決できるのでしょうか?」という問いかけがありました。

私は「私たちの世代になれば、きっと解決しているはず」と答えた覚えがあります。

「団体・組織」などの観念に縛られているから、そういうくくりで問題を見てしまう。

だから、そういうものの見方をしないで、個人で考えればきっと解決するはずだ。将来的には、必ずそうなるはず。

小学生らしからぬ考え方かもしれませんが、当時はそう思っていました。

その思いは、今も変わっていません。

 

仕事絡みで中国の方と働いたことがあります。

本当に尊敬できる中国の方も多かったですし、本当にクズな中国の方もいました。

そして、本当に尊敬できる日本人、本当にクズな日本人がいるのも事実です。

 

個人個人で考えた場合「私とAさん」となるのに、それが大きくなって「日本と中国」となると、途端に抽象化され「そういう人ばかりの集まり」のように扱われることがあります。

傾向としてそういう部分がある、というのはあるのかもしれません。

しかし、まるでそういう人がいるかのように国としての人格を決めつけてしまう行為(国の擬人化)は、ある意味危険な考え方と言えるでしょう。

 

ただ現実問題として、確かに「国」は存在しますし、国同士のやり取りによって「国益」というものが重視され、それによって国同士のいがみ合いになることも否定できません。

インターネットの登場で、国境をまたいでコミュニケーションが取れる時代になっても、です。

 

これを完全に解消するには、まだまだ数世代を経る必要があるのかもしれません。

我々の子供の子供の子供の子供の頃には「昔の人は馬鹿ばっかりだなぁ」と言われている……ようになれば良いのですが。

これから発信側(書き手)は、どう接していくべきなのか?

小説家のためのサイトらしく「これからの発信側(書き手)は、どうしていけばいいのか?」ということについても考えてみましょう。

 

まず当たり前のことですが、史実をベースに一方的な「戦争賛美・残虐行為正当化」というものを扱うのは不当でしょう。

これは、本件は関係ありませんけどね。

 

その上で「それらを連想させるもの」に関しても注意する必要はあるかと思います。

良かれ悪かれ、本件以降はこういう問題が次々に出てくると思われます。

もしかしたら「言いがかり」に近いものも出てくる可能性もあるでしょう。

「言論の自由を守る」という名目で、それらを全て黙殺する、という選択肢もないことはないのですが、コンテンツ的なことを考えると、国内だけで消費できるものはますます少なくなっていくわけで、当然海外に目を向けていかなくてはならない時代はやってきます。

そうなったときに「配慮」というものを考えないで制作されたコンテンツは、同じような道を辿ることになることは容易に察しが付きます。

 

「どこまでを線引するのか」というのは、非常に難しい問題ですが、あくまでも発信側に「そういう考え」が求めれるのは間違いないでしょう。

 

それらをクリアした上で、それでもクレームになることがあるかもしれません。

その場合は「声の大小に関わらず、誠実に対処していく」ということが重要かと思われます。

「声が大きいから対処しよう」「あんまり問題になっていないからいいか」という姿勢では「大声で抗議すればなんとかなる」ということになってしまいます。

 

どれほど大きな騒動に発展しても、発信側の姿勢として「これはこういう意図で制作され、おっしゃっている内容とは違う」としっかりとアナウンスするという姿勢が求められるかと思います。

「とりあえず謝っとくか」は、誠実とは言えませんからね。

 

ひとつ書き忘れていたことがありました。

【以下追記】

今回の騒動の原因の一旦であるSNSでの発言。

SNS、ブログなど過去ログを漁れるツールでの発言は、当然のことながら気をつける必要があるでしょう。

個人の信条として書くのなら、個人の責任ですが「どっかで聞いた話では」とか「ネットで見た」という情報をベースにしたことを書くべきではないでしょう。

冒頭でも書きましたが「どこまでがヘイト」というのは、現状ではなかなか難しい問題です。

しかし、例えば「中国を虫国」などという書き方をするのならば、それは間違いなくヘイトに当たるでしょう。

正当な主張をしたいのならば、そのような言動は控えるべきだと思います。

 

繰り返しになりますが、なんでもかんでも、周りの言うことをハイハイと聞け、というわけではありません。

きちんと主張すべきところは主張する。間違ってないことは間違ってないと言う。

そのためには、そういうやり方はしない方が良い、ということですね。

まとめ

本記事を制作するにあたり、非常に微妙なテーマを扱うことになるため「書くのか書かないのか」でずいぶん悩みました(さほど影響力のない弱小サイトと言えど、発信するからには責任が伴いますので)。

しかし、創作するということに関して、何かしらの意見は書くべきかと思い、ペンを取る、もといキーボードを叩きました。

 

少し短い文章ですので、私の言いたいことがきちんと伝わるかどうか、非常に怖い部分があるのも事実です。

極々個人的なことを言えば、最近は少し危うい時代になりつつあるなぁと思っています。

私自身は国という概念を否定しているわけではありません。

日本は大好きですし、日本人で良かったなぁと思っています。

しかし、上でも述べましたが、国という概念に縛られて、それらの中で他を排斥していくようなムードは、あまり好きではありません。

それは日本に限った話ではなく、他国においても見られる現象ですので、余計に悲しくなってしまいます。

 

今のままだと「2018年辺りに生きていた人間は馬鹿ばっか」と、将来の人たちに笑われる結果になるのかもしれません。

我々が江戸時代の人を見て「鎖国なんてしなきゃいいのに」と思うようなもの……なのかな?

もしくは戦国時代は魅力的な時代として描かれることが多いですが「小さい国で、たくさんに別れて何を争っているの?」という部分もありますよね。そういうような見方をされる可能性もあります。

 

結局、我々は「外敵」がいないと一致団結できないのでしょうか?

宇宙人が侵略してきたら、地球がひとつにまとまりそうですもんね。

まぁ、それはそれで新しい摩擦を生む結果になるのでしょうけど。