小説執筆にプロットは必要だろうか?
本記事は「小説を書いたことがない方」もしくは「はじめて小説を書き始めた方」向けのものになります。
なぜなら「プロットが必要かどうか?」というものに答えなどない、と私が思っているからです。なのになぜこの記事を書くかといいますと、それでも小説を書き始めたときは「どっちがいいんだろ?」と悩むことも多いかと思ったからです。
プロットあり/なしの両方で小説を書いてみた結果、それぞれの利点と欠点が何となく分かってきましたので、現時点で感じていることを書いておこうと思ったわけです(なお、私はいわゆる「プロ作家」ではありませんので、参考程度にお読み下さると幸いです)。
プロットとは?
まず簡単に「プロットって何よ?」ということをお話ししておきましょう。
プロットとは小説の設計図と呼ばれています。漫画でいうところの「ネーム」みたいなものですね。例えばDIYで棚を作ろうと思ったとき、いきなり木にのこぎりを当てる人はあまりいませんよね?
天板や高さのサイズを決めたり、足の固定方法はどうするのか? 筋交いはどう入れるのか? など、色々決めてから木材を切り出していくわけです。
その際、簡単にでも図面を書きますよね。それが小説でいうところのプロットです。
主人公の名前や性格は? サブキャラクタは? 序盤のストーリーはどうする? 敵やライバルはどの時点で出てくるのか? 終盤の盛り上がりにどう繋げていくのか? それを解決してラストにはどう持っていくのか?
そういうことを考えて(できれば)書き留めておくのがプロットになります。
なので、一口にプロットといっても様々な形式や形態があります。ページ1枚くらいに収まる程度のものから、下手をすると本編の半分くらいのボリュームになってしまうものもあるかもしれません。キャラクタだけとってもみても、人によっては名前と簡単な性格くらいしか決めない方もいらっしゃるでしょうし、逆にこれまでの人生を事細かく書いたり、キャラクタ同士の呼び方や生年月日、血液型、星座、座右の銘など細部に至るまで決めておく方もいらっしゃるかもしれません。
また出版社から商業出版されているプロ作家さんなどは、予め計画書としてのプロットを提出すると聞いたことがありますので、これも私たちアマチュア作家とは異なるプロットといえるのかもしれませんね。
そういうことから「これがプロットだっ!」という形を決めるのはなかなか難しいのですが、この記事では「登場するキャラクタの概要や、序盤から終盤までの大まかなストーリー」をざっくり決めたものをプロットと呼ぶことにします(逆に「プロットがない」というのは、序盤に登場するキャラクタと序盤のストーリーだけ決めて書き始めることを指します)。
プロットがない小説で困ることとは?
私がカクヨムで連載させてもらっている『きみとぼくのダンジョン再建期』という小説は、まさにプロットがない小説です(本記事を読むにあたって、上記作品を読む必要はありません)。
カクヨムに投稿したのは第15話を書き終えてからでした。15話までは一気に書き上げていったのですが、改めて読み返すと出てくるわ出てくるは「おかしい箇所」が。
誤字脱字はもちろん、キャラクタの性格が変わっていたり(話し言葉が変わっていた)、さっき言ってたことと真逆のことが起こっていたりと、おかしいを通り越して意味不明になっていました……。
一応言い訳めいたことをしておくと、小説を書き始めたとき決めていたことは「あるダンジョンに魔王がいて、そこにひとりの少女が乗り込んでくる」ということだけでした。なので「魔王がどんな人なのか?」とか「部下は何人いるのか?」とか「ダンジョンはどういう造りになっているのか?」とか「少女の目的は何なのか?」という部分は、書いている本人ですら不明という状態です。
プロットがない小説において、最も困ることはこの「齟齬が生じる」ことではないかと思います。
キャラクタだけをしっかり決めておいた小説ではストーリーに問題が起こる可能性があります。ストーリーだけを決めていた小説ではキャラクタの言動に無理が生じることがあるかもしれません。
ただしこれは主に序盤に起こることだと思われます。
上に書いたようにおおよそ15話≒4万字〜5万字程度書いていくと、流石にキャラクタは固まってきますし、ストーリーも(おおよそは)見えてくるようになります。
キャラクタが固まってくると段々「このキャラはこんなことを言わないだろう」というのも分かってくるので、自然とキャラクタの言動が理解できるようになってきます。これが恐らくよくいわれている「キャラが勝手に動く」というものではないかと、私は思います。
そう考えると「キャラクタやストーリーが見えてくるまでの小説はプロットみたいなもの」という見方もできるのかもしれません。
また上記に挙げた小説で起こったことですが「小説タイトルやキャッチコピーとの乖離」が生じるんですよね。
つまり15話まで書いて「よし、この小説はこんな感じの話でこれが面白いポイントだね」と理解したつもりでタイトルやキャッチコピーを付けるわけですが、そこから更に書き進めていく内にどんどんそれから離れていくことがあるわけです。
その時点でそれに気づき修正すればよいのですが、ノリノリで書いているときには「自分が面白そうと思ったこと」のみを追いかけていくことになって、後で「あれ……どうしてこうなった?」ということになってしまいます。
これを回避するには「タイトルとキャッチコピー(キャッチない投稿サイトや、公募用でも決めておいた方がいいです)を度々見直す癖」が必要だと思いました。いや、ほんとね。大切だと思うんですよ。
プロットをガチガチに決めた小説で悩むこととは?
一方でプロットをガチガチに決めて書くとき、困ったり悩んだりすることは何でしょうか?
私の場合は「途中でプロット通りに話が進まなくなった」ということがありました。プロットの段階で考えていたストーリーが、そこまで書き進めていった時点で「それはどうかな?」と思えるようになったり、もしくはそこに繋げるのが困難になったりするんですよね。
もちろんそういう場合でも「プロット自体を直して書いていけばいいじゃん!」という考え方もあります。ただあくまでも私の場合ですが、それでプロットを変えてしまった場合、元々の「書きたかったこと」というのまで変わってしまうことがあるんですよね。
その時点で大幅に書き直しすれば、それを回避することもできるのかもしれませんが、結構大幅な改修作業となるため、とても大変そうです。
また「超ガチガチにプロットを練り上げた小説を書く」というのは、結構苦痛を伴う作業です。だって先々に至るまで「書くべきこと」は決まっているわけですから。
小説にしてもブログ記事にしても、トラブルが起こって書いたものが消失した、ということを経験された方は多いんじゃないでしょうか? あれって、もう一度書こうと思うと、最初に書くときよりも労力が(主に心の労力が)必要ですよね。
今書いているこの記事も、考えながら書いているからまだ書けるわけであって、これをもう一度書けといわれると結構辛いものがあります(ということを書いていたら、途中でブログ記事が吹っ飛びました……前フリじゃなかったのに)。
「そういうことができるのがプロである」という考え方もできるのかもしれませんが、創作自体の楽しさとは少しベクトルが違うとも思うので、人によっては「そんなのつまらないよ〜」と感じてしまうかもしれません。
少なくとも何を決めておいた方がいいだろう?
「プロットをガチガチに決めた小説」と「プロットなしで書き初めた小説」を書いてみて、結局どっちがいいのよ? と思ったことは……。
前にも書きましたが「イメージストーリーを書いてみる」ことが一つの手ではないかな、と思います。
ここでいうイメージストーリーとは「主人公やキャラクタたちの過去のエピソードや掛け合いなどを、思ったままに書いていく」というものです。キャラクタやストーリーの詳細は決めなくても構いません。とにかく思ったままに書いていきましょう。
当然おかしい箇所が出てきたり、ストーリーの落ちがないということもあるかもしれません。でも気にしないでOKです。あくまでも「キャラクタやストーリーのイメージ作りのためのストーリー」なので、何気ない風景を書いたり、変哲のない会話でもいいわけです。
そういうのって実は結構頭の中ではやっているんじゃないかなぁと思うんですよ。例えば職場や学校に行くまでの間。休憩時間。お風呂に入っているとき。寝る前など。自分の小説のことをアレコレ考えたりするじゃないですか。
どういう話にしようかな? どんなキャラクタを登場させようかな?
それを文章に起こしてみる、というわけですね。
勘のいいあなたなら分かると思いますが、これは上で書いた「15話まで書いたら、なんとなく分かってきた」というのと同じことなんですよね。
15話まで書いてみるというのと違うのは「もう一度同じような話を書く」という必要がないことです。15話まで書いて、何となく分かってきて「じゃ、もう一度1話から」というのはやっぱり大変なんですよ(笑)。
そして「書いたエピソードは後々使うこともできる」という副産物も生まれます。例えばAとBという高校生のキャラクタがいたとします。小学校のころにAはBに酷いことをして、Bの心を傷つけてしまったというイメージストーリーを書きました。
本編ではふたりはすっかり仲直りしています。が、Aはまだそのことを気にしていてBに対して気を使っているような描写をします。しかし、第三者(読み手やAとBの関係を知らない主人公)にはそれが分かりません。ですから、その描写を伏線に使って後で「あぁそういうことだったのか」という展開が作れそうですよね(エラソーに言ってますが、私も使ったことはありません。今度やろう)。
まとめ
冒頭でも書いたように「プロットはこうあるべき!」というものはないと私は思います。
キャラクタから舞台、ストーリー展開までガッチガチに決めて書くのも創作ですし、思いのまま感じるままに書いていくのも創作でしょう。
どちらが優れているかという話ではなく、どちらがあなたや私に合っているか? ということだと思います。
個人的な感想ですが、どちらも一度は試してみるのがいいとも思います。実際にやってみると「即興でなんてとても書けない」とか「あれこれ決めちゃうと全然書けない」ということが分かってくるのではないでしょうか。
本記事がその足がかりの些細な助けになれれば、と思います。
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コメント一覧
新しい小説を書こうと思ってて、でもプロットが申し訳程度にしか出来てなくて、悩んでいたのですが……。プロットなくても良いんだ☆
9月は書く方に力を入れたいと思います。
ところで、『きみとぼくのダンジョン再建記』って、そんなざっくりとした作り方をされてたんですね?
コメントありがとうございます!
なくても何とかなりますし、最近ではない方が普通なのかもしれませんね。
ただややこしい話だと、私のようなあまり頭のスペックが良くない人間の場合、ちゃんと作っておいた方がよいような気もしますけどね(せめて設定くらいは)。
『きみとぼくのダンジョン再建期』は、ふんわりと「残念な魔王とドジっ子な部下のダンジョンに、強い奴がやってくる」みたいなイメージだけで書き始めました。
完全プロットなしですね(だからああなったと言い訳してみます)。
9月、頑張って下さい!
新作出てたので(今日は風邪っぽいのでごめんなさい)明日にでも読みに行かせて頂きます!