小説はプロダクトアウト、マーケットイン、どちらで創られるべきか?
こんばんは、しろもじです。
今日はずっと悩んでいた「小説は自分の好きなものを書くのがいいのか? それとも需要があるものを書いた方がいいのか?」という疑問について、書いてみたいと思います。
いつものように「これが正解!」というものではありません。
この記事を読んで「なるほどな」と思われるのも良し。
「それは違うんじゃないか?」と反論されるも良し。
もしくは新しい発想にたどり着くことへの一助となれば幸いです。
本記事では自分の書きたい小説を「プロダクトアウト小説」、受けている小説のジャンルなど(いわゆるテンプレ)を踏襲して書く小説を「マーケットイン小説」として書いていきます。
プロダクトアウト? マーケットイン?
お仕事をされている方でしたら「プロダクトアウト・マーケットイン」という言葉を聞いたことがあるかと思います。
簡単に言うと
プロダクトアウトとは、つくり手(企業など)の思想・技術などに基づいて作られた商品のこと。
マーケットインとは、消費者・市場の需要・志向を基に作られたもの。
ということができると思います。
かつてはプロダクトアウトが主流でした。
物が少なかった時代は市場調査などしなくても、企業が作りたいものを作れば物は売れていました。
しかし、ある程度物が普及してしまうと、商品はどれもこれも似たようなものばかりになってしまい、結果として価格でしか差別化できなくなってきました。
もちろん、多少はブランドの価値というものもありますので「テレビはSONYがいいよね」「パソコンはNECが最高」という時代もありましたが、あまりの価格差には勝てず一部の商品を除いては、皆さんご存知の通りの結果になってしまいました。
そこで登場したのがマーケットインという考え方。
消費者の声を製品に反映していき、より完成度の高い商品を提供できるようになります。
個人的な感想で言えば、これはある程度成功しました。
「誰が使うんだよ?」と首を傾げたくなるような商品が少なくなり「欲しいと思っている機能が、大体揃っている」商品が増えました。
このマーケットイン思想で作られた商品の代表格が「フューチャーフォン」。いわゆるガラケーです。
若い方はご存じないと思いますが、普及期に入った頃のガラケーは1年に1回のモデルチェンジがあったんですよね。
激しいときは年2回も変わったりしていました。
液晶画面が少し大きくなったり、漢字が打てるようになったり、カラーになったり、写真が撮れるようになったり、メールができるようになったり……。
つまり消費者の「これしたんだけどな」という要望を、忠実に商品に反映させる。
しかも、他社も同じことをやってくるので、サイクルを早くして一刻も早く投入する。
そんなことが随分長い間行われてきました。
そろそろ続きが分かった方もいるかと思いますが、そんなことをしている間にそれらを全てふっ飛ばす黒船がやってきたわけです。
そう、iPhoneです。
ガラケーは確かに良くなりました。
液晶画面もキレイになりましたし、iモードなんかでネットを見ることもできるようになりました。
写真を撮って友達に送ったり(メールに添付して!)などにも対応しました。
この頃、多くの人は私も含めて「随分進化したなぁ。もう十分かも」と思うようになってきていました。
この後、この端末を使って何ができるんだろう? もうちょっとカメラの解像度が良くなればいいかな? 動画もキレイなのが撮れるようになれば凄いかも。 画面も大きくなるのかな?
そんな感じで、せいぜい当時アメリカで流行っていたBlackBerryのような端末が良いのかな、程度の考えしかなかったと思います。
で、iPhone登場です。
スティーブ・ジョブズが「電話を再発明する」と言ったのは、流石にやや過大だったとは思いますが、それでもiPhoneは紛れもなくプロダクトアウト型の商品だったと言えるでしょう。
手の平サイズの大きな画面の端末、という括りで言えば先程のBlackBerryやSONYのClie、SHARPのZaurusなどのPDAなどもありましたが、iPhone登場と共に一掃されてしまいました(実際にはiPhone登場以前から、廃れていってたと記憶していますが)。
結局の所、マーケットインの商品はプロダクトアウトの商品に駆逐されてしまったわけで、以降再びプロダクトアウトの思想が主流になりつつあるように思われます。
プロダクトアウトは正義なのか?
ここまでの話では「やはりプロダクトアウトの商品は素晴らしい」という流れになっています。
しかし、一方でプロダクトアウトは「消費者を無視した、独善的な商品である」という見方もあります。
ビジネス系の本やネットの記事を見ていると「失敗談」ってありますよね?
それらを見ていると「ユーザーニーズを無視してしまった」と書かれていることがあります。
つまり作り手の一方的な考えだけで行動した結果、失敗してしまったと分析しているわけです。
ただ、これはプロダクトアウトというものを勘違いしているのだと、私は思います。
商品やサービスを作るとき、障害となるものが出てくる可能性があります。
商品であれば「少し高いかも」とか「多少使い勝手が悪いような」というもの。
小説であれば「やや読むにくい文章になってしまった」とか「序盤が少し面白くないかも」といったもの。
そういうものを残したまま商品化し、失敗の理由に「ユーザーニーズを無視してしまった」と解釈してしまうわけです。
つくり手のこだわりとか思いではなく「妥協」を「いや、でもこれはしょうがないでしょ。良い所もあるんだし」と誤魔化す手段としてプロダクトアウトだとしてしまうことですね。
「序盤はちょっと説明が必要だから長くなるけど……5話くらいから面白くなるから!」
この小説はプロダクトアウトで作られたものではありませんよね。
真のプロダクトアウトとは?
どれほど良いアイディア・商品であると思っても、どこかに妥協があり「でもしょうがないよ」と誤魔化しているものは、真のプロダクトアウトではない。
私はそう思います。
お客様目線という言葉があります。
仕事でもよく言われますよね(笑)。
でも、どんなに頑張っても、つくり手はお客様にはなれないわけです。
小説で言えば、小説を書けば書くほど、読者目線からは離れていくものだと思います。
作者目線になればなるほど「でもまぁ、ここはこう書くしかないよね」「展開が遅いのは問題だけど、キチンとした説明は必要だしね」と言い訳を考えてしまいます。
これはしょうがないことです。
しかしその結果、評価が芳しくない小説になってしまった場合「やっぱりテンプレじゃないと駄目か」と思ってしまうのは間違いだと思います。
プロダクトアウト小説は「読者の志向」を無視して作られたものではありません。
自分の書きたい小説を、読者の志向に合わせていく。
マーケットイン小説は逆に「どれだけ、差別化できるか」が先に来ますから、読者の需要・志向(テンプレ・王道と言ってもいいかも)を基に、自分の特徴を追加、もしくは少し軸をずらす考え方で作られます。
プロダクトアウト小説は、寄せていくという考え方ですね。
ここが全く合ってないと、流石に読まれにくい小説になってしまうのではないかと思われます。
プロダクトアウト・マーケットイン、どちらがいいの?
さぁ、そろそろ結論です。
プロダクトアウト小説とマーケットイン小説。
どちらの手法で作った方がいいのでしょうか?
身も蓋もないことを言えば「どっちでも良い」ということになります(笑)。
あっ、石を投げないで下さいっ!
と言うのもですね。
私が考えるに、これは優劣の問題ではないからです。
先程も書きましたが「プロダクトアウトを言い訳に、妥協をする」ことや「マーケットインに徹して、自分を捨てる」ということがなければ良いのだと思うんですよ。
あくまでも自分の書きたい小説を書く。
その手法として「プロダクトアウトかマーケットイン」というものがある。
寄せるのか離すのか、それの違いだけであると、私は思います。
まとめ
今回の話は冒頭でも書きましたが、ここ数ヶ月私が悩んでいたことの(とりあえずの)考えのまとめになります。
手っ取り早い方法で言えば「人気作を研究して、少し独自性を盛り込んで作る」というのがあるでしょう。
そういうのが悪いというわけではないと思います。
創作とは模倣から始まるものですからね。
でも、いつかは自分の足で立たなくてはならないときが来るかもしれません。
「書籍デビューするまでは徹底的に模倣し、名前が売れたら自分の書きたいものを書く」というのは、個人的に幻想だろうなぁと思います。
書かせてもらえるようになるには、相当売れないと無理じゃないかな?
それよりは、自分の持っている小説のアイディア・特徴・長所などをしっかりと育てながら「どうすれば、これが受け入れられるのか?」ということを考えていく方が、長い目で見るとあなたや私のためになるのだと思います。
まぁ、簡単な道ではないと思いますが。
文中では随分偉そうな物言いをしていますが、実際自分ができるのかと言われると「うーん?」となってしまいます(笑)。
でも、偽らざる思いであることは確かですし、そうしていこうと努力しているのも事実です。
冒頭でも書きましたが、これが「正解」というわけではありません。
もし私と同じように悩んでいる方がいらっしゃって、その解決のきっかけになれれば、と思います。
今日も最後までお読み頂き、ありがとうございます!
いつも書いていますが、今回も長くなりました。これでも随分削ったんですけどね(笑)。
それでは、また明日!
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