あとになって「あのときにやっておけばよかった」と思うのは何故か?

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こんばんは、しろもじです。

生きていると、あとになってから「あのときにやっておけば良かったなぁ」と後悔することってありますよね。

1週間も連休がある! たくさん小説が書けるぜ!」と思っていたのに、終わってみるとなぜかほとんど書けていない、みたいなことですね(笑)。

私も結構やりがちなので「なんでかなぁ」と考えていたのですが、最近ようやく理由が分かってきたような気がします。

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たくさんあるものは「無駄」にしやすい

このブログにも何度か書いていますが、私は昔から小説などを読むのが好きでした。

中学、高校の辺りには小説や漫画の創作をしたこともありましたが、当時はインターネットなどはなく公開する場所もなかったことなどから、結局中途半端に終わってしまいました。

 

社会人になった後で、ようやく一般的にインターネットが普及しだして、と言うよりもPCがさほど高価なものではなくなってきて、その辺りで再び小説を書いたりしたことがありました。

でも結局、中途半端に終わってしまい、人生の中でも気力も自由も豊富にあった時間を、それにあてることができませんでした。

 

最近になって、ネット上に気軽に小説を投稿できる環境が整ってきて、色々考えた結果、現在のように「小説を投稿サイトに投稿しながら、ブログを書く」というスタイルになりました。

そのときに「あのときに(要は若いときに)なんでやっておかなかったのか」という後悔を覚えることになりました。

 

もちろん当時だって、勉強や仕事などがあったので、自由になる時間が豊富だったわけではありません。

どちらかと言うと、今よりも自由度は少なかったように思えます。

しかし、わずかな時間でもそういうことに費やすことはできたはず。

なぜ、当時はしなくて、今になって後悔する羽目になっているのでしょうか?

 

色々考えた結果「当時は時間はたくさんあると思っていた」からだと分かりました。

別にまだ死にそうになっているわけではありませんが(笑)、当時に比べれば人生の残り時間は確実に短くなっています。

60歳まで活動可能として、10歳のころは「まだ50年ある」わけです。

20歳なら「まだ40年」。

30歳になると「まだ30年……と言うかもう30年しかない」となってきます。

 

これは少し例としては違うかもしれません。

執筆活動なら、もっと高齢になっても可能でしょうし、逆に言えば「開始年齢」として考えると「その時点」という考え方は正しくないのかもしれませんね。

ただ「たくさんあると思っていたから、無駄にしてしまった」という考えはあったのだと思います。

人間は、時間にしてもお金にして物などにしても「たくさんあると無駄にしてしまう」ことがあります。

中には「私はそんなことないけどな」と言われる方もいるかもしれませんが、一般的にはそういう傾向があるように見られます。

事実、少なくとも私はそういうところがあります。

分母を見ると、メジャーが狂う

じゃぁ、なんでそんな感覚に陥ってしまうのか?

夏休みの初めには「たくさん休みがある」と思ってゴロゴロしていたのに、8月後半になると突然計画的になるのは何故?

努力なしで得た大金が、貯金に回らないのはどうして?

シャンプーやリンスが残り少ないときはワンプッシュで我慢するのに、新しく買うと少し多めに使ってしまうのは?

最後のはちょっと違うかも(笑)。

 

それは「分母」のせいではないか、と私は思います。

前の例で言うと、15歳のときの1日は(残り45年として)1日/45年。

40歳のときには1日/20年になります。

15歳のときの方が「まだまだ時間はある」というような感覚になるのは、分母が大きいからです。

 

つまり分母を変えていくような考え方をすると、その時々でメジャー(はかり)が変わってしまうので、あとになり少なくなってしまったときに「なぜあのとき……」と後悔するのだと思います。

分母を固定し(もしくは無視して)、分子で見る

当然のことですが、15歳のときの1日も40歳のときの1日も、同じ1日です。

分母を動かさず、自分の人生で固定して考えると「同じ1日」として見ることができ、どのようなときでも同じように扱えるようになるのではないでしょうか?

 

人それぞれにより、何年生きられるのか(何年活動できるのか)と言うのは違いますが、そこを固定して考えて、年をとるごとに分母を動かさない生き方をしていけば、逆に分子のありがたみを理解できるようになるのだと、私は思います。

 

「今を生きる」なんて言葉もありますが、結局人間は「今」にしか存在できません。

昨日を思い出すことも、来年を空想することもできますけど、そこに生きているわけではありませんからね。

「今を一生懸命生きる」というのは、分母を動かさず生きるということだと思います。

ええ、今の私に言い聞かせています(笑)。

まとめ

なんだか、少しエラソーな文章になってしまったかもしれません。

今回の記事にはふたつの意味合いがあります。

ひとつめは若い人に向けたもので「たくさんあるからと言って無駄にしない方が良いかもよ」というものです。

少し説教臭くなるのは申し訳ない(笑)。

 

ただ「若い時に友達と遊んだり、ゲームしたり、趣味に時間を使ったりしないで、小説を書け」という話ではありません。

どんなことをしていても良いと思います。

要はそれが「自分のしたいこと(ここでは小説を書くこと)」に繋がると思いながらすれば良いだけです。

そう考えると「ボケーッとしてしまった休日」も無駄ではないのかもしれませんね。

 

もうひとつはそろそろ人生の折り返し地点が見えかけて(もしくはもうターンしちゃった)方に向けて「そんな後悔に悩むことはない」と言うこと。

上でも言いましたが、今日の1日も10代のころの1日も、同じ1日です。

若いときにやれなかったことを後悔する暇があったら、今日の1日を一生懸命生きれば良いじゃないですか?(くどいようですが、自分にも言っています)

 

「後悔」という言葉があり、そういう概念があるということは「人間は後悔する生き物」であるということです。

だから、後悔するということ自体を「良くないことだ」と後悔してしまうことは当然のことだと思います。

だからこそ「後悔なんてしないで、今に生きましょう」ということですね。

 

すみません、全体的にやはり説教臭いかもしれません。

不快に思われた方がいらっしゃいましたら申し訳ないです。

散々ブログに書いてきましたが、本記事も「こうやれ」というものではありません。

こういう考え方もあると思うのだけれど、どうだろうか?」と問いかけるものです。

「しろもじ、それはちゃうで!」と思われたとしても、こういうことを考えるキッカケになれば良いかな、と思います。

 

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それでは、また明日!

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