何かを始める時に「遅すぎる」ということはあるのか?
こんばんは、しろもじです。
ここ「TEXT FIELD」では過去に「中高年層こそ小説執筆すべし」という記事を投稿しました。
この年代や、もっと上の年代の方と話していると、時々「いやぁ、もういい歳だから」ということをよく聞きます。
物事を始める時に「もう遅い」ということはあるのでしょうか?
今日はその辺りを考えてみたいと思います。
世の中には確かに遅いということはある
確かに「もう遅い」ということはあります。
前回の記事でも触れましたが、野球をやったことがない人が30歳を越えて大リーグに挑戦するのは無理でしょうし、60歳になった人が「宇宙飛行士になりたい」と思っても難しいでしょう。
歳を取ると「段々できないことが増えてくる」ことを実感します。
若い頃には人がやっていることを「自分でも出来る」と思っていても、いつの間にか「それは無理だな」と諦めてしまうことも多いですよね。
そうして「出来ないこと」を実感するごとに「新しいことへのチャレンジする精神」も失われていくのではないでしょうか?
若くないということは、どこかネガティブで、誇れない、恥ずかしい、そんな感情を持つこともあるかもしれません。
それはある意味正解ですし、ある意味間違っています。
逆に「若い頃だからこそ出来ないこと」っていうのもあるはずです。
その中でどんな人にでもあること。それは人生経験の長さです。
こればかりは、若い人がどんなに達観していても、自分で経験してみないと分からないことがあるように、年を取らないと分からないことは、当然あります。
小説を書く、物語を作る上で、それらは大切な財産になるはずです。
「あんまり大した人生じゃないから」と思う方もいるかもしれません。
ドラマチックな展開もなかったし、誰もが経験したこともないようなこともやってない。
だから自分の人生で「経験」なんてものは、語るほどのものではないし、財産でもない。
そんなわけないじゃないですか。
あなたの人生は、あなたしか歩めないものです。
あなたが感じたことは、あなたしか感じられないものです。
わたしがあなたじゃないように、あなたは他の誰でもありません。
それがユニークな経験でないとしたら、一体何をもってそう言えるのでしょうか?
実は私、若い頃に「もっと歳を取りたいな」と思ったことがあります。
経験が足りないばかりに、できないことがあった時にそう思いました。
今でもまだ足りてないと思っていますが、それでも若い頃には分からなかったことが、今ではなんとなく分かるようになってきたこともあります。
小説は経験だけで書けるものではありません。かと言って文章力だけで書けるものでもありません。構成力、表現力、想像力、色々なものが必要になってきます。
村上春樹氏が言うように「才能が全て」なのかもしれません。
でも、それは彼のような大ヒット作品を手がける人は、ということです。
小説を書く上で、必要な力。その中のひとつが揃っているということは、ひとつ武器を持っているということです。
「歳を取ったらできないこと」は確かにあります。
でも「歳を取ってもできること」も確かにあります。
その中のひとつが「小説を書くこと」だと、私は思います。
もっと早くからやっておけばよかったと思った時
「でも、それならばもっと早くからやっておけばよかった」と思うこともあるでしょう。
私もそうです(笑)。
「なんで10代、20代の頃に、もっと必死でやっていなかったのだろう?」
「あの頃は時間もたくさんあったし、やる気になればなんでもできたはずなのに」
そんなことを考えると頭が痛くなりますよね。
でも、それ本当にそうでしょうか? もし若い頃に小説を書いていたとして、何らかの理由で挫折した結果「小説を書く」ということが、あなたの中で「禁止ワード」になってしまっていたかもしれません。
公募に応募しまくったけど、落選ばかりで早々に「もうだめだ」って諦めちゃっていたかもしれません。
逆に「今までやらなくてよかった」と思ったらどうでしょうか?
「やっと舞台が整ったな」と思いましょう。
もう若い頃のように繊細な精神はなくなってきているはずです。
読まれなくても、評価が少なくても、若い頃よりは落ち込まなくてすむはずです。
ま、ちょっとは凹みますけどね(笑)。
今だからこそやれることもあるはずです。
やれないことでも小説なら可能になる
宇宙飛行士にはなれませんし、大リーガーにもなれません。
それどころか、大企業に入社してエリート街道をひた走ることもできませんし、もっとぶっちゃけると公務員さんにだってなれません(現役公務員さんは除く)。
やれないこと、多いですよね。
でも、それ小説に書くことはできますよ。
小説なら200年後の世界にだって行けますし、異世界に行ってドラゴンに乗ることだってできちゃいます。ハーレムでウハウハだってできまし、殺人事件の犯人にだってなれます(ん、これはちょっと違うかな)。
自分が体験すること、とは違いますが、物語で綴ることはなんだってできます。
私が小説を書いていて、凄いなぁと思うのはそこです。
別に自分を主人公に重ねる必要なんてありません。あなたの小説に出てくる登場人物は、全てあなたの頭の中から生まれてきたのですから、言い換えれば、全てあなた自身なのです。
そういう意味で、小説を書くっていうのは「出来る出来ない」を越えていると言えるでしょう。
最後に
前にもどこかに書きましたが「歳を理由にしてはいけない」のです。
こと小説に関しては「若くないから」は通用しません。
最近はなくなってきたと聞いていますが、昔は「公募に受かるには、年齢の制限」があったと聞いたことがあります。
でも、今はほぼそういうのもなくなってきたと思いますし、逆に「面白い要素」になる可能性だってあるんじゃないでしょうか。
「70歳のラノベ作家」
面白そうです(笑)。ちょっとどんなの書いているのか見てみたいと思いませんか?
これならニュースにだってなりそうですよ。
「22歳のラノベ作家」だと普通ですからね。それだけだと面白くも何ともないです。
まぁ「賞」云々は置いておいても、カクヨムに投稿するっていうだけでも、やってみたらどうかなぁと思います。
投稿の方法などは
この辺りの記事に書いていますので、是非参考にしてみて下さいね。
蛇足
もし若い方でこの記事をお読み頂いていたら「ぜひ、一生書くのを止めないで下さい」と言いたいです。
会社などにお勤めですと、30代辺りから40代は、とても忙しく自分のことなどやっている暇はない、ということになるかもしれません。
それでも「ちょっとでも良いから書き続けて」欲しいと思います。
「書き続ける」ことだって、立派な人生経験になるはずですから。
さて、最後までお読み頂き、ありがとうございました。
「
」とやや被る部分もあったかもしれませんが、この記事に書いてあることは、このブログのメインテーマのひとつなので、折を見て何度も言い続けていきたいな、と思っています。
それでは、また明日。
新しい記事をご用意してお待ちしております。
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