きっつきつのデニムを買った話と創作小説のストーリ展開の話【執筆考察02】
以前「小説LABO(旧小説講座)」のカテゴリ内に「執筆考察」というタグをつけた記事を1つ投稿したことがありました。
※前置きが長いので、とっとと本文を読みたい方は最初の見出しまでササッとスクロールしてやって下さいませ。
同タグは「小説を書く際の悩みどころを記事化していく」という考えで書いたものでしたが、どこか上から目線的な感じがして1回限りで放置してしまっていました。
本来であれば私が商業作家として一般的に認められるような存在になってから、そのような記事は書くべきなのではないか、と。
(そのようなことから「はじめての小説執筆」というタグでの「全く小説を書いたことがない方向けの記事にして数本書きました)
しかしやはり創作をしていく上で、そのときどき考えたことや悩んだことを書くことは、同じような悩みを抱えている方やこれから抱えるかもしれない方などにとって、参考になったりひらめきのきっかけになるのではないか、というのはずっと思っていました。
一時期「小説投稿記」の中でそれをやろうとしたのですが、投稿記は投稿に関わる記事群でありやや異なることから、今回改めて「執筆考察」というタグをやり直すことにしました。
上に挙げた「人称」の記事は、一応残しておきます。その上で「02」からナンバリングしながら「執筆考察」としていくつかの記事を上げていきたいと思っています。
まとめますと「執筆考察」のタグの記事は
- 既に小説を書いている方向け
- 「答え」ではなく「私の中のひとつの考え」
- よって結論が出る話じゃない場合が多い(かもしれない)
- 使い方(読み方)としては、読んだ方の考えのとっかかりとして使って頂ければ幸い
- そのときどきの考えを書くので、整合性は取れないかもしれない
という感じになります。できればコメントなんかで議論ができたらいいなぁとも思っていますが、それはまぁどうかな、難しいかな?
「お問い合わせ」や「Twitter」からご意見頂けるだけでもありがたいとも思っています。
How toじゃないので、あまり堅い文章にはしたくないし内容もそうしたいとは思っています(思っているだけになる可能性が高いですが)。
では長い前置きはこの辺にしておいて、そろそろ本文に入りましょう。
きっつきつのデニムを買った話
さて、いきなりですが先月くらいにデニムパンツを買ったんですよ(今はジーンズとかジーパンとは言わないらしい。そうなの? 本当に?)。
試着してみたんですが「思ってたウェストサイズだとちょっとキツかった」という事態になってしまったんですよ。試着コーナーのカーテンの中で「うぅーん」と唸りながら、なんとかボタンが止まる感じ。
もうね「それはデニムじゃないわ、拘束具よ」って言われてしまうような状態。
で、流石に「これはワンサイズ上げた方がいいんじゃね?」と霜降りになってしまったお肉を摘みながら思ったわけですが、同時に「いや、それを許すと身体がそれに馴染んでしまうのでは」という恐怖も覚えたんです。
「服を身体に合わせるんじゃない。身体を服に合わせるんだ」という名言のような名言じゃない言葉を胸に、それを買ってきました。
と言うのも、同時期辺りに自転車も買ったんですよね。
「自転車に乗れば、きっと昔のウェストサイズを取り戻せるはず」
目論見は当たり「指どころか爪先さえも通さない」ほどだったウェスト部分は「手の平が楽に入る」ほどになりました。
「しろもじはやればできる子! いや子って歳じゃないけど!」
そんな感じでそれを家族に伝えたんです。
「ほら、見てよ! あんなにキツかったのが、こんなにラクラクに履けるように!」
そしたらそれを見た家族がTVを観ながら一言。
「あー、デニム、伸びたんだね」
「想定していた結果」と「想定外の結果」
そのときの私の心境は……。
という感じなのですが、まぁそれはいいんです。
その後半泣きになりながら、アニメを観つつ腹筋をしていたときのこと。
ふと「あれ、これって」と頭の中で創作のことに結びつきました。
「きっつきつのデニムだけど、自転車で運動してスラッとなるんやで!」
↓
自転車に乗って、実際あんなにキツかったデニムがスルッと履けるように
↓
「おぉ、凄い! ほら、見てみてよ!」
↓
「それ、デニムが伸びてんだよ」
つまり「元々想定していた結果(ここでは「痩せた」ということ)」と「実際の結果(デニムが伸びている)」が異なることって創作によくあるパターンじゃないか、と。
例えば推理ものなどで「犯人は誰だ!?」と色々推理したりした結果「実は自殺でした。犯人はいません」みたいな展開。
このような話(デニムの話ね)の場合、ふたつのパターンがあると思うんですよね。ひとつは上のような話。
もうひとつは「自転車に乗ってもなかなか痩せない。ところが秘策があって……」みたいなパターンです。
ふたつ目のパターンでは「痩せてデニムがゆるゆるになる過程」が面白い話ですよね。
つまりそれぞれに「面白さ」の箇所が異なるというわけです。
で、こんな話をすると「そんなの当たり前じゃん」と思われるかもしれません。
でも私は結構混同しがちなんですよね。
ストーリー展開的には「運動したらデニムがゆるくなった! でもそれはデニムが緩んだだけだった」の方が面白いのかなぁと思いますが「運動してもお肉が落ちない、どうやっても落ちない! でも(例えば)運動の方法が間違ってて……結果、見事に痩せました!」という話の方が捨てがたい。
問題は、これを同時にやってしまうことがあることです。
「努力して結果を追い求める話」なのに「結果としてはデニムが緩んでたよ」という結論に至ってしまう。
努力の過程を描くのならば、デニムは緩んじゃいけないのに、最後の最後でゆるゆるデニムが登場しちゃう。
もしくは「実はデニムが緩んでました」という話なのに、妙に努力を強調しちゃう。
「デニムが緩む」という話も「努力して痩せた」も、どちらも「どんでん返し型」の小説だと思うのですが、どんでん返しは二度も返しちゃダメだと思うんですよね(ハリウッドドラマ(例えば『24』)のように、話がどんどん転がっていくのは別ですが)。
そんなの当たり前だとは思うんですけど、書いてて気がつくとそういう展開になっていることも結構多かったりするわけです。
思うに「この小説の面白さはこれだ!」というのが明確になっていないままに、書き始めるとそういうことになるのかなぁと。
これはブログ記事でも同じことが言えるのですが、最初に「これを書くんだ」と結論があって書き始める場合と「こういうのが書きたいなぁ」とふんわりしたところから書き始める場合では、後者の方が失敗しがちです。
頭の良い方は最初からそれがキチンと分かっているので最後まで貫けて書けるわけですが、私のようにCPUの性能があまり良くない場合には、やはり最初にそれを明文化しておく必要があるんだと思います。
まとめ
小説の面白さには「キャラクタや舞台の魅力」などの要素もありますが、今回はストーリーの展開について考えてみました。
もちろんストーリー展開と言っても、一括りにはできない部分もあります。
ただ「何が面白いのか? おすすめポイントはどこなのか?」を明確にするというのは、必要だなぁと思った次第です。
例えが古いですが『水戸黄門』だと、最後に「控えおろう」と印籠が出てくるシーンが楽しくて見るわけですよね(今でいうザマァでしょうか)。
「なんか印籠を出さなくても、助さん格さんがやっつけてくれちゃいました」みたいな展開だと面白くないですし「お代官様が実は良い奴でした」という展開では絞まらないわけです。
その上で「印籠なくなっちゃった!」とか「助さんがピンチ!」みたいな展開を加えることで、ドキドキ感が増したりするわけですよね。
そんな感じで「物語の面白さの芯」というのは、最初にしっかり持ってなきゃなぁと思った次第です。
ちなみに、デニムは日々ゆるゆるになってきています。
これは二着目を買う必要がありそうです。
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