ジョナサン・アイブ 偉大な製品を生み出すアップルの天才デザイナー【リーアンダー・ケイニー|日経BP社】
こんにちは、しろもじです。
久しぶりの「読んでレビュー」になりますね。
当然本を読み続けてはいるのですが、なかなか「これ」という本に巡り会えていません。
「書評」ではありますが「面白くないと思った本を批判する」ということはやりたいくないと思っているので、そうなるとどうしても打率の関係で「書ける本と書けない本」というのがでてきてしまいます。
そんな中、久々に「これはなかなかよかった」と思えたのが『ジョナサン・アイブ 偉大な製品を生み出すアップルの天才デザイナー』。
そうです。小説ではありません。
かと言ってビジネス書か、と言われるとそれも違う。
前回、取り上げた『ジェフ・ベゾス 果てなき野望-アマゾンを創った無敵の奇才経営者』に近いものですね。伝記?
知らない人はいないと思うが、一応「ジョナサン・アイブ」についての補足
「ジョナサン・アイブ」と聞くと「Appleのデザイナー」という認識が一般的だと思います。
私の知識も「デザイナーのエライ人」程度でした(笑)。
現在の役職は「Chief Design Officer(チーフ・デザイン・オフィサー)」最高デザイン責任者。CDOとでも略すのでしょうか?
「デザイナーで一番エライ人」ですね。
Appleはアメリカの企業なので、アメリカ人かと思いきやイギリス人です。
1967年、英国チングフォード生まれ。
チングフォードって、あんまり馴染みがない地名ですが、本書の中で
チングフォードは、アイブの性格と同じ、静かで穏やかな街だ。ロンドン北東部の端、エセックス州境にあるベッドタウンで、古代の森林が広がるエッピング・フォレストのちょうど南に位置している。
雰囲気だけは掴めましたか?
いや、私も行ったことないんですけどね(笑)。
ちなみにGoogle Mapで見ると、ここらしい。
意外とロンドンに近い。
航空写真で見ると、確かに家が密集しています。日本で言うと、埼玉? なのかな?(笑)
銀細工師で教師だった父、マイク・アイブの影響でデザインに興味を持ち、高校時代からメキメキ頭角を表してきたそうです。
当時(1980年代)と言えば、工業デザインというものはあったものの、どちらかというとテクノロジー優先だった時代。
それでも当時から、ロンドンにはデザインスタジオが存在し、デザインテクノロジー(DT)という専攻分野があったというのですから、驚きです。
ちなみに、しろもじはその頃、鼻水垂らしながらカゴを背負い、網を持って駆け回っていました(笑)。
その後、ニューカッスル・ポリテクニック(現ノーザンブリア大学)へと進み、ますますインダストリデザインの才能を発揮していきます。
ジョナサン・アイブがAppleに入社したとき、ジョブズはいたの?
大学在学中、その後ロバーツ・ウィーバー・グループ(RWG)へ入社。その後デザイン事務所のタンジェリンへと移るくだりが書かれていますが、このパートは「ジョナサン・アイブの誠実さ・考え方・日本との関わり」などについて、なかなか面白いことが書かれています。
ネタバレになるので、ぜひご自身でお読みになって下さい。
さて、ジョナサン・アイブ、と言えばやはり「スティーブ・ジョブズ」との関係が思い出されるのではないでしょうか?
カラフルで魅力的だった「iMac」で注目されて以来「iPod」「iPhone」「iPad」と、次々ヒット商品を飛ばし、まさに「Apple黄金期」の象徴とも言える二人。
実はジョナサン・アイブがAppleに入社したのは1992年。
これに関するエピソードも、小説で言えば「伏線だったのか」というようなものがありますので、どうぞ本書でご確認下さい。
その頃のAppleは、既にスティーブ・ジョブズは追放され、後任のジョン・スカリー(元ペプシ・コーラ。ジョブズに『一生砂糖水を売って暮らすのか、世界を変えることをするのか』と言ってAppleに引き抜かれた。後にジョブズを追放する)がAppleを去る寸前。
既にAppleはガタガタになってしまっていました。
確かに記憶でもMacintoshなどが輝いていたのは、その7,8年前辺りが最盛期だった気がします。
当時はPCが出回ったばかりで、日本では「PC8800シリーズ、後に9800シリーズ」などが売られており、一般家庭でも「好きな人は持っている」という感じでした。
PC関連の雑誌なども増えてきていて、私も図書館で夢中になって読んでいた記憶があります。
ただ、Macは当時から高かったんですよね。
カッコよかったけど、高くてとても買えない。
買ったとしても、DOS/V互換機に比べて、遊べるソフトがない。
そんな感じで「何に使えるのかよく分からないけど、とにかくカッコよい」というのがMacでした(笑)。
話を戻すと、そういう時代にAppleへやって来たということです。
ジョブズが復帰したのが1997年。
その後「Think different」キャンペーンから始まるiMac、iPod、iPhone、iPad(それにMacBook Pro、MacBook Airも)などのApple黄金期の話に本書は進みます。
ここに至るまでの話が結構長いので、それを期待していると、ちょっとヤキモキしてしまいますが、やはり序盤をしっかり読んでおくと、中盤から後半にかけての快進撃の様子がより楽しく読むことができます。
本書はApple賛美本なのか?
先日「時価総額1兆ドルを突破した」と報道されたApple。
Appleは成功した企業であり、それを支えたスティーブ・ジョブズと共に、当然褒め称えられ、憧れられ、尊敬の眼差しで見られます。
では、本書はApple賛美の本なのでしょうか?
もちろん、そういう一面もあります。
特にAppleのような秘密主義な企業の本を書こうと思ったら、関係者などにインタビューを行ったりする関係で、批判はしにくいものだと思いますから。
そうは言っても、手放しで褒め称えているわけでもありません。
ジョナサン・アイブにしても、基本的には誠実な人間だとは感じましたが、それでも「ドロドロした部分」というのが全く無いわけというわけではなく、それについても触れられていたりします。
Appleは成功すべく成功したわけではなく、その中で人が戦い、努力し、妥協を許さなかった結果、成功したわけです。
そんな当たり前のことですが、輝かしく当てられたスポットライトだけを見ていると、ふと忘れてしまうこともあります。
「Appleだから成功した」
そんな思いになってしまうこともあります。
でも、実際にはそうではありません。
Appleはジョブズ復帰の前、何度も身売りの話が出ていました。
もし、ジョブズが復帰せず、どこかの企業にAppleが売られていたら?
更に、ジョブズが復帰したとしても、何もせず放漫な経営を続けていたら?
当然、今のAppleはなかったでしょう。というか、多分Appleという企業は消えていたと思われます。
そういう風に「どんなものでも、そこには人と人との関係があり、それによって創り上げられている」というのが分かるのも本書の特徴です。
また、ジョナサン・アイブに限って言えば「妥協を許さず、何度も何度も試作を重ねる」というエピソードが、それこそ何度も本書には書かれています。
「設計したら、それを中国の工場に送って、仕事は終わり」
何も知らないと、そう思ってしまいますが、実際にはジョナサン・アイブを始め、Appleのデザイナーが何度も中国の工場へ向かい、何日も泊まり込み、工場のメンバーと一緒に量産まで働く、というのが真実です。
これは私も知りませんでした。
特に感銘を受けたのが「発泡スチロールの模型を、いくつもいくつも作る」というエピソードです。
序盤から中盤に登場するシーンですが、創作者にとっては心動かされる話ではないかと思われます。
私たちは小説という「文章」を書いていますが、ともすると「書捨て」に近い形になってしまうこともあります。
近年、書籍が「長い時間をかけてじっくり取り組むべき商品」から「1年に3回、できれば4回ほど刊行したい商品」になってしまい、そこまで磨き上げられなくなり、求められるのは細かな部分よりもスピードになりつつあります。
それはそれで、ある意味間違いではないのかもしれません。
しかし、やはり自分が生み出すものに「妥協を重ねる」のか「妥協を許さない」のか、そういう部分では、できるだけ後者に寄り添いたいと思うのも、創作者としてはあるのではないでしょうか?
そういう意味でも、ビジネス書としてではなく、創作者向けの書籍として、本書をおすすめします。
きっと本書を読んでいると、途中で投げ出して、小説の続きを書きたくなる。
そうなると思います。
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