『きみとぼくのダンジョン再建記』第59話投稿のお知らせ|プロット的小説
こんばんは、しろもじです。
『きみとぼくのダンジョン再建記』第59話「お前、どうしてここに」をカクヨムに投稿しました。
第1章が35話で終わっているので、バランスだけ見ればあと10話で第2章が終わるはずなのですが、少し見込みが怪しくなってきています。
プロット的小説≒カクヨム版
小説家になろう版の方は、今の所33話を目処に終わらせられる予定なのですが、カクヨム版はいつの間にか風呂敷を広げすぎてしまっている感があります(笑)。
最終的にどうなるのか、という所は考えてあるのですが、そこまでの過程をどうするのかで迷い中。
昨日書いた「小説投稿記 不定期版」でも書いたのですが、カクヨム版はプロットなし(ざっくりとしたものは頭の中にはある)、なろう版はプロットを作ってやっています。
このプロットというものの考え方は未だによく分かっていない部分も多かったりして、例えば1冊の本を書くのであれば「企画書」的な書き方をする場合もあると思いますし、今のような連載ものでしたら先の話のダイジェスト的な書き方もあるのでしょう。
私の場合は、初めからプロットをガチガチに作った『管理官と王女様(カクヨム)』や『物書きたちは譲らない!』のような小説などはScrivener3で箱書きするという作り方を行いました。
箱書き自体に慣れていないということもあって、用意した箱に「イベントをただ並べていくだけ」という作り方は、結果として全体の流れを悪くしますし、どこかギクシャクしたものになるということも分かりました(技量不足のため)。
今回のなろう版は、カクヨム版をベースに作り変えたものです。
言わば「カクヨム版がプロットであった」と言えるのかも? と言うかベータ版、パイロット版と言った方がいいのかもしれませんが。
即興的に作ったカクヨム版では、読み返した時点で整合性に欠ける部分があったり、あるいは「前に設定してしまったことにより制約が生まれてしまう」などの問題もありました。
それを元になろう版では「要らないことは書かない」「必要なことを足す」「順番を入れ替える」などの改良を加えたものになっています。
なっていますが、それでも今読み返してみると「あぁ、しまった!」と思うことがあるのは、前の記事でも書いたところ。
そういうことの繰り返しが、いわゆる「練る」ということなのでしょうか。
素材としての小説の舞台、キャラクター、ストーリーが、良い悪いの話ではなく(受けるかどうかの話ではなく)、ひとつの小説を磨いていくような感覚というのを、今回取得できただけでも大きな成果ではなかったかな、と思ったり。
今どきの小説は練りに練って書くというよりは、毎日、毎週連載していくような「週間漫画的」な書き方をするのが一般的ではあると思います。
そしてそれを一発でできる人、できない人もいると思いますし、一発できても再現できない人もいたりするのではないかとも思います。
それらは場数で積み上げていくしかないのかなぁというのが、私の持論でもあります。
「数撃ちゃ当たる」は、ある意味正論です。
その中でひとつでも「気付き」があれば、小説を書くという行為にとって有益なことだと思います。
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