「小説を完結させるという話」|『きみとぼくのダンジョン再建記』第60話投稿のお知らせ

小説投稿記カクヨム,小説家になろう

こんばんは、しろもじです。

『きみとぼくのダンジョン再建記』第60話「アルエル……」をカクヨムに投稿しました。

60話。

節目を迎えると「長く書いたなぁ」という気持ちが、改めて湧いてきます。

後は、何話で終わらせるかですね。

やろうと思えば無限に書き続けられる気もしますが、そうは言ってもどこかで区切りをつけないといけないのも事実です。

逆に止めようと思えば、後数話で終わらせることもできたりするので、そう考えると面白いものですねぇ。

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小説を完結させるということ

小説を完結させるという話は、以前にも少し書きました。

上の記事では「小説は完結させないと意味がない」とまで言及していますが、実際には連載もので100話、200話と続いている小説もあるわけで、それを否定するわけではありません。

ただ、個人的には「物語はどこかで終着駅に着かないといけない」とも思っていて、一時的なものだとしても完結という要素は切り離せないのだとも思っています。

言い換えれば「完結することによって、物語の価値が高まる」ということもできるかもしれません。

アメリカのTVドラマシリーズなんかで「シーズン◯◯」みたいに続いている作品ってありますよね。

昔、大好きなシリーズがあって、それが確かシーズン7くらいで完結しちゃったんですよね。

そのときは「なんでこんなに人気があるのに止めちゃうの?」って思っていました。

決して人気がなくなったから打ち切りになったわけではなく、そのシリーズは別の話として今でも放映を続けています。

また最近聞いたところでは、短いシーズンで復活するとも。

つまり「続けようと思えば続けられたけど、一旦終わった」ということですよね。

ファンからすれば、先程言ったように「なんで?」と思ってしまうのですが、むしろ終わったからこそ、その作品は今でも輝いていて魅力を失っていないのだと、最近気づきました。

言い方がどうかと思いますが、いわゆる「腹八分目」です。

「もうちょっと」というところで止めるからこそ「もっと観たい。もっと読みたい」という感情になれるのではないだろうか?

そんなふうにも思っています。

小説で言えば「もっと書こうと思えば書けるんだけど、少し贅沢なくらいで終わらせる」ということで「続きが気になる」「他の作品も読んでみたい」という気持ちになれるんじゃないでしょうか?

とは言え「最後の1滴まで絞りきる」という小説も悪くはないです。

商業的なことを言えば「売れているものを切る」というのは難しいでしょうし、小説投稿サイトに連載している小説も、長く続けていればそれだけPVも読者も増える可能性があるわけですから、手段としてそれは否定できないところでもありますよね。

まぁそれは「すごく読まれている人気作」の話であり、私が投稿している小説には当てはまらないかとは思いますが(笑)。

『きみとぼくのダンジョン再建記』は、カクヨム版の方は恐らく100話前後辺りかなぁと思っています(ただし冒頭でも書いたように、畳もうと思えば畳めるので、もしかしたら強引に畳む可能性も無きにしもあらずです)。

小説家になろう版は、プロット通りに行けば33話。±数話と言ったところ。こちらは大風呂敷を広げすぎず、カクヨム版で言うところの第1章(35話)で終わりです。

これが終わったら、次の話を書き始めたいと思ってるんですよね。

ただ、どの話にするのかはまだ未定です。

この辺は長くなるのでまた今度にしますが「現代もの」「架空戦記もの」「近未来もの」辺りで悩んでいます。

個人的には現代ものが書きたいのですが、これを書くなら投稿先はカクヨムなのかなぁ。

Writoneへの投稿もしたい所ですが、どうも掌編が好まれる傾向があるので、難しいところですね。技量的に(笑)。

難しいですよね掌編。もっと学ばないと、と思っています。

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