もう一度考える「何かを受け入れる」という話 [投稿報告:『管理官と王女様』第5話]

小説投稿記カクヨム

こんばんは、しろもじです。

 

『管理官と王女様』第5話「暗殺計画」を「カクヨム」に投稿しました。

10話までは、書いた後で読み返してはいるのですが、それでも投稿前にもう一度は読み返すんですよね。

それで、この『管理官と王女様』を読んで思ったのが「やっぱり地の文が多いな」ということでした。

まだ序盤なので、しょうがないと言えばしょうがないのですが、つい「どうなのかなぁ」と思ってしまいます。

それでも、少なくても自分だけは「これで良い」と思っているので、そのまま投稿しているわけです。

 

ここ最近の「投稿報告」では、必ず「小説についての、なんらかの考え」を付記しているわけですが、前にも書いたことがあるように「書き方なんてのは個人によって違うのが当たり前」なわけです。

その中で、色々な小説や漫画を読んだり、アニメや映画を観たり、ノウハウ本や教養本を読んだり、というのは「それをそのまま受け入れることではなく、そこから何かを得るためにやる」ということだと思うんですよね。

 

私はこう見えて(?)自己啓発本が好きでした。一番ハマったのは『7つの習慣』でしたね。あれを初めて読んだ時の感動は、今でも覚えています。

でも、その時はそれをそのまま鵜呑みにしていたんですよね。

結果として、全くどうにもこうにもなりませんでした(笑)。

 

考えてみれば当たり前の話で、何かを見て感銘を受けると言うことは「自分にないこと」だからです。

今、自分が持ってないものを提示されるから「凄いな」と思うわけです。

自分にすでにあるものだったら「共感」という反応になりますよね。

共感は「確認」とも言えます。「あ、間違ってないんだ」ということですね。

でも、それでは大きく心を揺さぶられたりすることはないわけです。

 

自分に今までなかった発想、持っていなかった感覚を提示されるから、感動し「そうなんだ!」と思ってしまうわけですね。

その時に、つい「それをそのまま」受け入れてしまうと、それはただの真似になります。

非常に若い内(人にもよりますが、大体中学生まで)なら、自分自身と言うものが、まだしっかりと形成されていない状態ですので、それが良い方向へと向かうこともあります。

 

しかし、ある程度の段階になってくると「自分の中にあるもの」と「自分になかったもの」が拒絶反応するようになってきます。

なかったものは、感動を覚えますが、自分に取り入れることが困難になるんですよね。

困難になると「そういうものを受け入れようとすること自体が間違いなんだ」と思い始めます。自分は自分なのだ。他の意見・思想など無視すべきなのだ、と。

 

それはそれで間違っていないのかもしれません。ただ、自分の世界を広げようとすると、色々なものを見たり、聞いたり、体験したり、教えてもらったり、要は受け入れることが欠かせません。

この受け入れ方、というのがとても大切なんだ、というお話をしたい、と思った次第です。

上手く伝わっていますでしょうか?

 

そして、このことは今書いている記事自体にも言えることだと思います。

ズルい言い方になるかもしれませんが、この記事に書かれていることですら「真に受ける必要はない」ということになります。

ただ、無視したり一方的に非難すべきか、と言うとそういうことではなく、この前の「『ゼロ・グラビティ』を観て得たことの話」でも少し触れましたが「それを見て(観て)何を得たのか?」を知ることが大切だと、私は思うんです。

 

極端な話をすれば「何も得られなかった」でも良いと思うんですよ。

でも、例えば「カクヨム」で、他の作家さんの小説を読んで「面白くないなー」と思っても、そこから「何で面白くないの?」とか、逆に「すげー」と思ったら「どこが凄かったのか?」と言うことを考えられれば良いと思うんですよね。

そして、それには答えがないとも思っています。

私が読んで思ったことと、あなたが読んで思ったことは、当然違います。

もし「何も得られなかった」場合は、それは既に「あなたが持っている」ものかもしれません。

でも「得られなかった」と気づくのか、「おもろかったな」で終わるのかの違いは、必ずあるのだと思います。

 

ベテラン社畜から蛇足として言わせていただければ、仕事にだってそういうことは多いのです。

嫌いなヤツ、苦手なヤツ、意見が合わない上司、言うことを聞かない部下、それらの人からも吸収するくらいの気持ちでも良いと思います。

理不尽なことからだって学べることはありますし、納得いかないことにだって参考にすべき点はあるかもしれません。

 

そして、これって小説家(当サイトではプロ・アマ問わず、小説を書く人を小説家と呼んでいます)だからこそ、そう思うべきであり、思うからこそ救われている部分があるのではないかとも思います。

 

今日はこの辺で勘弁して……おいて下さい(笑)。

投稿記では、その時思ったことを書いているので、あまり理論立ててお話しできていないかもしれません。

ただ、これを読んでもらった方が、何か「ピーーン」とくれば、嬉しいです。

それでは、今日はこの辺で。また、あした。

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