「予定調和と小説」という話 [投稿報告:『管理官と王女様』第11話『王立勇者育成専門学校総務課 〜結衣のお仕事編〜』第5話、第6話]

小説投稿記カクヨム

こんばんは、しろもじです。

昨日、今日でカクヨムに投稿した小説のお知らせです。

『管理官と王女様』の第11話「課題」を投稿しました。

また、昨日に『王立勇者育成専門学校総務課 〜結衣のお仕事編〜』の第5話「奇遇ですね。実は私も」(上)、第6話(下)も投稿しました。

最近小説を書いている時に「文字数足りない問題」に対面しております。

「連載小説コンテスト」の規定(推奨規定で1話2,000字から3,000字程度)を意識すると、どうしても3,000字に収まらないんですよね。

4,000字にはいかないように調整しているんですけど、切る場所っていうのもありますから、

なかなか難しいものです。

そうは言っても、今現在の平均文字数は3,200字程度なので、まぁ順当と言えば順当なのですけど。描写不足がないかだけが心配です。

小説と予定調和

少し前の話題で申し訳ないのですが、我が岡山のことがニュースになっていました。

これですね。上のリンクは岡山空港の公式ページですが、他の様々なメディアにも取り上げられていました。

一部のウェブサイトで言われていたのが「予想通り」ということ。

まぁ、当の岡山県民でも「ごもっとも」と思ってしまいます(笑)。

しかも「岡山空港」が「岡山桃太郎空港」にと、余計に長くなっている辺りに「結局、岡山空港って言われるんだから、桃太郎要らなくない?」とも思ってしまいます。

いっそ「桃太郎空港」にしてしまえば良かったのに。岡山駅も同時に「桃太郎駅」にすれば良い。大混乱するに決まっていますが、やるのならそこまでやれば良いと思います(笑)。

予想通りになってしまうことを「予定調和」と言いますが、今回はまさにその言葉がふさわしい出来事だったのではないでしょうか?

 

いや、今回はそんな愚痴っぽいことを言いたかったのではありません!

このニュースを見て「予定調和」というキーワードが頭をかすめて、ふと「小説でもそれで悩むことがあるよな」と思った話なんです。

ちなみに「予定調和」とは

(日本社会で)小説・映画・演劇・経済・政治等広い範囲で、観衆・民衆・関係者等の予想する流れに沿って事態が動き、結果も予想通りであることをいう。

デジタル大辞泉」より

と、言う意味です。

小説で言うと「あぁ、こういう展開っぽいなぁ」と思っていたら、本当にそのままの展開になることですね。

あまり良い意味では使われていないと思います。

 

当然、小説などの創作物では、読者の予想を裏切る展開が求められますから、予定調和というと良くないということになるんですね。

そのことをよく「どんでん返し」と言いますが、そのどんでん返しすらパターン化すると、新しい予定調和になることもあります。

よくあるどんでん返しは「ある登場人物が死ぬ」ということでしょう。

それが過激になればなるほど、中心的なキャラクターが死ぬ羽目になっていき、最終的には主人公が死ぬことになっていきます。

そして、それすらも既に予定調和の一環になってしまっていますね。

 

とは言え、これは「行為(死ぬこと)」だけではなく、その小説の流れも関係してくることもあるりますよね。

そこまで、どういう展開で物語が語られていたのかとか、その前に起こったイベントだとか、キャラクターへの感情移入度とかも関係してくると思います。

 

創り手側から言うと、それをどうやって裏切っていくのかという難しい問題に直面するわけです。

「小説にはどんでん返しが必要なのか?」というそもそもの話をすると「どんでん返しほどのものは必要ないかもしれないが、読まれる展開は駄目」なんじゃないかとは、思いますよね。

普通にプロットやあらすじを考えていると、どうしても予定調和の方へと話が流れていきます。始めはその方向でも良いのですが、どこかで崩さないといけない箇所も出てくるかと思います。

そこでどこまで崩していくのかが、作者の腕の見せどころだとは思いますし、作者が一番頭を悩ませるところだとも思います。

 

ところが、最近の小説やアニメを見ていると「あぁ、こうなるんだろうな。でも、そのまんまじゃ面白くないよな。どうなるんだろう……え、そのままなの?」というものも、時折見られるようになってきました。

特に異世界ものに多いと思いますが、主人公が万能すぎて、イベントなどが一瞬で解決されてしまうという話。

チート系とか無双系とか言われていますが、こういうのを見て、当初は「これはいかがなものか」と思っていたわけですが、最近「これはこれでも良いのか」と思うようになってきました。

 

この手の話が何なのかを考えていくと、これは「箱庭小説」なのだということに気が付きました。言い換えれば「ままごと小説」。決して煽っているわけではありませんよ(笑)。

つまり、物語が淡々と進んでいき、読み手はそのストーリーよりもキャラクターの言動を楽しむという小説です。

ストーリーに一切のドキドキ感がない代わりに、キャラクターはある程度の魅力がないと成立しないのですが、言い換えればキャラクターの魅力があれば、それはそれで良いのかもしれません。

 

少し例えが悪いかもしれませんが、こういう話は「お化け屋敷で『わっ!』と驚かされたくない人のための小説」と言えるのかもしれません。

全ての人が小説などの物語にドキドキ感を求めているわけではありませんから、そういうものもあって当然だとも言えますね。

もちろん、これは今に始まった話ではなく、過去の小説や物語にもあったものであるのは言うまでもありません。

しかし、それらが目につくようになってきた背景には、時代的な世相というのも関係するのかなぁと、最近思ったりしています。

 

しかし、この話をするには、少し長くなるのと、私自身の考えもたいしてまとまっていませんので、また今度、ということで。