『きみとぼくのダンジョン再建記』第39話投稿のお知らせ|「なんとなく止める理由」

小説投稿記カクヨム

こんばんは、しろもじです。

『きみとぼくのダンジョン再建記』第39話「ニコラ、剣を貸せ」をカクヨムに投稿しました。

第1章を終えた辺りで、正直なところかなり燃え尽きた感があり、第2章に入ってから「本当にこの方向で良いの?」と悩みながら書いていたりします。

前にも書いたように本当の意味で「即興に近くなってきた」という感じで、それはそれで楽しいこともあるのですが、逆に苦しい部分もあったりしますよね。

小説を書いている方なら分かっていただけると思うのですが、こういうときってついつい逃避しがちなんですよね(笑)。

 

一応「1日30分は小説に手を付ける」というルールを設けているのですけど、本当に30分だけになってしまい、むしろ「まだ30分経たないのか……」と絶望してしまうことも。

ノッているときは時間の許す限り書いていたりするわけですから、凄く不思議なことですよね。

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なんとなく止める理由

Twitterや小説投稿サイトなどを眺めていると、フォローしてもらったりフォローさせてもらっている方などで「あれ? 最近更新がないな」という方がいらっしゃったりします。

例えば私生活が忙しくなったり、他に興味があることができたりして、小説活動が止まってしまっているという可能性が高いのだとは思いますが、中には上記のように「なんとなく書けなくなったり、書きたくなくなって活動が止まっている」という方もいらっしゃるのかもしれません。

 

それ自体がいけないことだと言う気はありません。

小説を書くことだけが人生ではありませんし、それの優先順位を決めるのは御本人の意思によるものですから。

 

一方で、自分のことに置き換えるとこれがとても怖いことに思えてきたりします。

ブログ初期のころに書いたのですが、私はこのブログをやる前にいくつかのブログを運営したことがあります。

そのいずれも色々な理由があって、なし崩し的に更新を終えてしまいました。

 

それを「しょうがないな」と思う反面「もったいなかったな」と思ったりもするんですよね。

「よし止めよ」と意思を持って中止したときとは違い、なし崩し的に終わってしまうときって「今日はいいか」「今日もいいか」と一日一日が過ぎていき、気がつくともはや手遅れになるほどに日にちが過ぎていて、心境的にも「もーどうでもいいや」という感じになってしまいます。

 

中には「本当にどうでもよかったこと」もあったりするのですが、時折「あー、ちゃんとやってればよかったなぁ」と後悔することも多いんですよね。

中止してからの日数を思って「あれだけの日、ずっとやっていれば、今頃どれだけレベルアップできていたのだろう?」と考えると、後悔という言葉では足りないくらいの思いに駆られます。

 

若いときってあんまりこういうこと、思わないんですよね(いや、私もまだ若いんですけど!)。

だから、最近は「なんとなく止める」ということを止めるようにしました。

止めるときは「止めよう」と思って止める。

逆に、ブログは毎日更新するようにしていますし、小説も投げ出さないように毎日手だけはつけるようにしています。

 

なんとなく離れていく、という怖さ。

なんて言うと、ちょっと大げさな気もしますが、やはり「なんとなく」というのは色々な意味で危険なことだと、最近特に思います。

「なんとなく」の裏には「楽しかったことが苦痛になってしまった」という心理が隠れているのではないかと思います。

 

では、なぜ「楽しかったこと」が「苦痛になってしまう」のでしょう?

これについては、今考えているところです。

ひとつ理由を上げれば「そもそも楽しいのベクトルが間違っていたから」ではないかと思っています。

 

小説やブログを書き始めたころは、恐らく無条件に楽しいと感じるのではないでしょうか。

世の中にはそれほど「文章を書くことが面白い」と感じられる人は多くはありません。

小説やブログを書いて、そこに楽しさを見いだせる人はほんの一握りなのだと思います。

 

しかし、小説もブログもいずれ「公開」されることとなります。

ブログならPVが気になるでしょうし、小説ならPV、感想、レビュー、コンテストの結果などに神経を尖らせることになります。

毎日チェックして「あー、今日は読まれてないなぁ」とか「おっ、今日はたくさん読んでもらえてる!」などと一喜一憂することになるでしょう。

 

スピードの違いはあれど、ある程度までは順調に読まれていくことになると思います。

しかし、右肩上がりはいつまでも続きません(続く場合もあるみたいですが)。

始めは「10PV」とかでも嬉しかったのに、いつの間にか「2桁か……」とがっくり肩を落とすことになるでしょう。

 

小説やブログを書き始めたころは「書くことが面白かった」はずなのに、いつの間にか「読まれることが面白い」にすり替わってしまうんですよね。

それ自体はモチベーションの拠り所として間違いだとは言い切れない部分があります。

しかし、目的が「自分の中にあるもの(書きたいという気持ち)」から「自分の外にあるもの(PVや感想など)」だけになっていくのは、間違いであると、私は思います。

 

まぁ、しょうがない部分もありますけどね。

この辺りは、またしっかりまとめてからブログ記事にしたいなぁと思ってます。

 

今日の投稿機はちょっと長めになってしまいました。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。

それでは、また、あした。