「小説の生まれる瞬間」の話【創作日記092119】

小説投稿記創作日記

一口に「小説を書く」と言っても、それには色々な過程があって「タイトルを決める」とか「次の展開を考える」とか「キャラクターを造っていく」とか、まぁ多くのことがあるわけですが、その中でも一番最初にやらなくちゃいけないことが「どんな小説を書くのか?」ということですよね。

よく小説指南本などで「着想を練る」と言われている工程です。今日はそんな話です。

スポンサーリンク

小説の生まれる瞬間

Webにしろ書籍にしろ、他の方の小説を読んでいていつも浮かぶのが「これ、どうやって思いついたんだろう?」という疑問です。「これって○○に似てるなぁ」とか「これどこかで見たよなぁ」という小説でもそうなのですが、特に不思議に感じるのは「独特のキャラクタがいたり、見たこともないような舞台だったり、完全に期待を裏切られるようなストーリーを持った小説」などです。

面白さや小説の出来不出来、好みの問題は置いておいて、そういう作品を読むと真面目に「どうしてこの話が頭に浮かんだんだろう?」と不思議に思ってしまいます。

自分の話をすると「新しい小説を書こう!」と気合を入れても、出てこないときは一向に出てきません。具体的に言えば、カクヨムに投稿している小説のほとんどは「結構前から溜めておいたプロット」から書いていったものです。『きみとぼくのダンジョン再建記』だけは、前から言っていたように完全即興小説なので、投稿の一週間前ほどに思いついた話ですが。

そして貯蓄プロットの残り(の中で使えそうなの)は、残り3つほどになっています。

それらを実際に書いて投稿するかどうかは別として「ネタとしてのプロット」をたくさん持っているということは、例えばひとつのプロットともうひとつのプロットを足したりすることもできるので、そういう意味からも良いことだと、個人的には思っています。

なのに、最後のプロットを思いついてから約一年以上、新しいプロットを思いつくことはできませんでした。何度か机の上や移動中などに「うーん、うーん」と考えてみたことはあるのですが、先程も書いたようにそういうときに限って出てこないものです。

小説やアニメ、映画などを見てて「それに影響されて似たような作品を思いつく」ということは、結構よくあるのですが、大抵の場合数日後に読み返すと「パクリじゃないか」ということに気づき消してしまうことになります。

あくまでも個人的な意見ですが「小説を書くのが上手い下手」よりも「小説のネタが出てこなくなる」ということに強い不安を覚えます。

念を押すように書きますが「面白いかどうかは別として」です。「こういうシーンがあって……こういうキャラが出てきて、こんな展開になって……舞台はここで……年代は……」など、小説の種がモワモワと育っていく過程こそが、創作の面白さのひとつであって、それがなくなるというのは小説を書くこと自体の面白さが損なわれるのではないか、と思うんですよね。

で、そんなことを先週くらいからグジグジ悩んでいたりしたわけですが、今朝ひとつのプロット(の卵)がポワッと生まれました。

ベッドの上で。

今朝、結構早くに目が覚めて(歳を取ると早く目が覚めるようになります)ぼけーっとしながら「うー、寒い……もう一度寝るか」とウトウトしていたとき、突然「あっ」とアイディアが出てきたんですよね。

急いでメモっておいて、その後二度寝したわけですが、半日ほど経って読み返してみると「どこが面白いのか分からないし、どこかで見たことがあるような気がする」感じです。それでも久々の新しいプロットの誕生です。素直に喜ぶべきでしょうか。

現時点では「長期的なストーリー」というより「短編の集まり」のような話になるのかなぁと思っていて、その方向であれば比較的早くに書き始めることができるかもしれません。まぁ、先に『きみとぼく』を完結させないと、なんですけどねぇ。