【Micro Income】これからの「小説家像」を考える脳内会議2【創作日記102319】

2019年10月23日小説投稿記MI会議,創作日記

「これからの小説家はどうあるべきか?」をアマチュア小説家が勝手に妄想する「これからの小説家を考える脳内会議」。今回は第2回目で前回はこちら。

簡単に前回のまとめをしておきますと「専業小説家(紙書籍だけで食べていける方)は本記事では考慮に入れない」「よって書籍化以外の活動を考え兼業作家をメインに考える」「Micro Incomeとは(実際にこのような言葉があるかどうかは分からないが)小さな副収入のこと」という感じでした。合ってる?

今回は前回の宿題であって「どうしてネットで稼ぐと言うと嫌われるのか?」を考えてみたいと思います。

スポンサーリンク

ネット収入にはどんなものがある?

まずネットで得られる収入について考えてみましょう。

ネットで収入を得るには色々な方法がありますが、代表的なものは

  • 広告を表示させて、その表示回数やクリック数が収入になるもの(例:Google AdSense)
  • ある商品についておすすめ記事を書き、その商品購入ページへのリンクがクリックされることで収入になるもの(例:Amazon associate)

の2つがあると思われます。カクヨムで導入されようとしている「カクヨムロイヤルティプログラム」は前者に分類されますね。ちなみにTEXT FIELDは両方導入しています。上に表示されている広告は「Google AdSense」ですし、Amazon関連の記事に載っている商品リンクはAmazon associateになります。それらはクリックすることで、私に数円から数十円(時には数百円)程度のお金が入るようになっています。

それ以外ではKindle Direct Publishing(KDP)やnoteのように「テキスト情報を直接売る」というのも、ネットを通じた収入になります。

なぜネットで儲けていると聞くと、嫌悪感を持ってしまうのか?

本題に入りましょう。

全ての人に当てはまるとは限りませんが、多くの場合「ネットで儲けている」と聞くと「なんだか嫌だなぁ」という印象を持つかと思われます。直接的に「儲けてます!」と言われなくても、例えば広告が貼ってあったり商品へのリンクがあったりするのを目にすると「ウザい」とか思ったりしますよね。

どうしてだろう、と色々考えてみたのですが、どうも「広告自体が嫌だ」というわけではないと思うんですよね。いや、そりゃYoutubeやTVなどの広告は鬱陶しく感じたるすることはありますよ。ない方がいいと思うこともあります。

でも本当に全ての広告が不要なのかと言うと、そうでもない気がするんですよね。

私たちが商品やサービスを買う際、その多くが広告を経由しているのは間違いなさそうです。直接的であれ間接的であれ、広告によりその商品やサービスのことを知ったり、イメージを持ったりします。

それが「自分の欲しいもの」だった場合、広告への嫌悪感は持たないのではないでしょうか? 私自身、TVやYoutube、ブログの広告などを普段は「邪魔だな」と思いつつ、時折じっくり見ていることがあったりします。そういうときって、その商品自体に興味があるときなんだと思うんですよね。

では興味を持つとはどういうことかを考えてみましょう。もちろん「その商品自体に興味がある」というのが前提になりますが「広告の内容」というのも重要な要素かな、と感じました。つまり「広告から『儲けてやるぞ臭』が漂っていない」ということです。

ブログに貼られた広告にしても、Youtubeで流れている広告にしても、最終的には「商品やサービスを売るため」に作られています。それはネット広告に限らず、TVCM、新聞のチラシ、街にある看板、もっと言えばセールスマンのセールストークに至るまで、目的はただひとつ「商品を売ること」です。

私たちが仕事を通じて収入を得るには「商品やサービスを売る」ことで成り立っています。直接的に売る人でなくても、工場で物を作っている、経理をしている、機器の保守をしている、などなど。どんなことであれ「製品やサービスを売る」ことでお金を得ていますよね。

ネット広告はその一端であるのに、どうして好感を持てないのか?

実際の商売でもそうですが「儲けが先にくると、人は嫌悪する」という傾向があります。言い換えれば「それは私のために役に立たない」と感じるということです。だから「興味のないネット広告」や「観たい動画の間に挿入される広告」に苛立ちを覚えてしまうのではないでしょうか。

どうすれば、それを払拭できるのか?

少し話が変わりますが、私たちは「得られるものより多くのお金を払う」ということが稀にあります。アイドルのCDを段ボール箱一杯買ってみたり、クラウドファンディングでスタートアップ企業を応援してみたり。

その多くの場合「それに対して好意を感じたから」というのが理由なのではないでしょうか? つまり「応援したい、支えたい、お布施したい」という感情の元に、気前よくお金を払っているということです。例えばこのサイトに載っている広告をクリックしたとしても、クリックした方は1円も損はしません(クリック先で商品を買えば、その対価は払うことになりますが)。そしてそれで私が得られる利益は、先程書いたように数円から数十円程度です。

ですがアイドルのCDに数万円を払うのに何の躊躇もない方でも、私が数十円儲けることには嫌悪感を感じることもあるでしょう。

それは「対象に対する好意の差」だと思われます。

好意があるないは、どうやって決まってくるのでしょう。それは先程書いた「儲けてやるぞ臭」の有無だと思われます。つまり儲けが先に来ていると、人は胡散臭さや嫌悪感を持つのではないでしょうか?

逆に言えば「儲けは後」という行動を取れば、多少は嫌悪感を感じされずに済みそうな気がします。そのためにはどうしたらいいでしょうか?

結構難しい問題ではありますが、私は「まず人の役に立つを考える」ことだと思います。コンテンツを見た人が「これはよかった」と思えることを書いたり、録画したりすることです。

例えばAmazonのリンクを貼ろうと思ったとき「これは利益率が高いから」とか「これは売れそうだから」という理由で記事を書けば、それは確実に伝わると思います。逆に「これは使ってみてよかったから」とか「これはぜひみんなにも使って欲しい」と純粋に思って書いた記事も伝わるものではないでしょうか。

まぁこれはネットに限らず、普通の商売でも当てはまることなんですけどね。

私もいい歳なので、今更「ひとのやくにたっていれば、おかねはあとからついてきます!」というようなことは言いませんが、それでも「儲け至上主義」が前面に出てしまうと、それは伝わってしまうものです。

また、身も蓋もないことを言いますと「やっかみ」というのはあると思います。例えば私が「このブログで実は年収1000万円得ています!」と記事に書けば、あなたは「は?」と思うのではないでしょうか(念のため書いておきますが、そんなにあるわけないです)。

まぁそこはしょうがないところでしょう。これもネットに限らない話ですからね。

まとめ

結局のところ、前回と同じ結論になります。

「あなたのことをよく知ってもらって、あなたに好感を持ってもらえれば、広告収入を得ていることに対する嫌悪感は薄れる」ということになりそうです。

ただ「好感を持ってもらうぜ臭」というのも、やはり受けて側に伝わってしまうものなので、ここも注意したほうがいいかもしれません。やはり「あなたの役に立つ」ということをまず考えるべきかも。

小説を書く人にとってのそれは「面白い小説を書く」ということになりますよね。また「その小説をどのように書いているのか」とか「どんなところで苦労したのか」とか「次はどんなのを考えている」とかというのも、他の小説を書いている人にとっては役に立つことができそうです。