Web系コンテストと公募【創作日記120219】

小説投稿記創作日記

小説を書けないことを「筆が進まない」とか言いますが、流石に直筆で書いているという方もほとんどいらっしゃらないと思われる現代では、どのような言い方がいいんでしょうか? キーボードが進まない? いや、キーボードは進んじゃダメだろ。キーボードが叩けないでしょうか。

まぁ何が言いたいかと言うと「小説が書けねぇ」ということです。

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好調なときがない人でもスランプって言っていいの?

言いたんですけどね、スランプ。

スランプって言葉は「調子の良し悪し」という意味だと思うんですけど、実力が伴っていない人が使うとちょっとアレな感じですよね。プロ野球選手が使うと納得できても、素人がバッティングセンターで言ったら「お前、何言ってんの?」みたいな。

なんかいい言葉がないものでしょうか。野球なんかだと「イップス」なんてちょっとかっこいい言葉があったりしますが(ご本人にとってはかっこよくも何もないですけど)。

まぁそんな戯言は置いておいて、書けないんです。しかも結構深刻。

「小説が書けないならブログを書けばいいじゃない」と思って、最近開設したブログの記事に取り掛かったんですけど、これもなんか上手く書けない。

物理的にキーボードが打てないとかいうわけじゃないのですが、頭が回ってないというか、もしかしたら変に回転しすぎてて空転しているだけなのかも。

でも大体理由は分かっているんです。

多分これは「小説の読みすぎ」です。昔からそうなんですが「小説を読む」のと「小説を書く」の切り替えがすぐに出来ない頭でして、読む優先になっちゃうと不思議と書けなくなるんですよね。私の頭はシングルコアなので、ひとつのことしかできないんですよね。クアッドコアとまで言わないですが、せめてデュアルコアくらいに生まれたかった。

「ラブコメ」を研究するために、あれこれ読みすぎた感があります。特にこの週末は固め読みしたので、完全に脳が「リードオンリー」になってしまっています。これを治す方法はただひとつ。「ひたすら書くこと」。シンプルですが、この方法しか今のところ知りません。

こういうのがあるから、普段あまりWeb系の小説を読むことができないんですよね。5話くらいなら流石に大丈夫なんですが、読み始めると没頭することが多いので、気づくと10話20話なんてこともあり、後で後悔することになります(読んだことを後悔じゃなくて、書けなくなることを後悔ね)。

読みたいなぁと思いつつ、結構話数があるものは寝かせてあるので、落ち着いたらまとめて読みたいなと思っているんですどね。

Web系コンテストと公募の違いは?

で、ここからが本題なのですが先週から「第5回カクヨムWeb小説コンテスト」が始まりました。

昨日投稿した「2020年1月に〆切のある小説コンテスト・公募一覧」でも書いているのですが、カクヨムWeb小説コンテストは、短編を除き「読者選考ありき」なんですよね。

コンテストの応募要項のページにも

「大賞」及び「特別賞」については、応募された作品の中から、読者選考によるランキング上位作品が最終選考にノミネートされます。最終選考ではKADOKAWA内の小説系レーベルの編集部が合同で選考委員となって、受賞作品を決定します。
読者選考期間中の読者による評価が、ランキングに反映されます。

カクヨムWeb小説コンテスト応募要項より引用

と書かれています。

あくまでも「ランキング上位作品がノミネート」なので「1位から○位までが」ではないわけで、ある程度の選考はあるような気もしますが、それでも読者選考が優先されるわけです。

これを否定しているわけではありません。だって第4回でも3,708作品の応募があったわけですから、編集部の方が目を通すのは無理というものです。一般的な公募では、おおよそ300〜500くらいの応募があるようなので、その差は歴然です(ただ電撃大賞は4,600くらいの応募があるので、これは別枠かも)。

ですから「読者選考である程度絞ってから、編集部選考で最終的に決める」という仕組みは仕方がないとも言えそうです。

ただ書く側からすると、悲しくなってしまうのも確かです。

自分の小説は棚に上げておいて、他の方の小説をざっと見た感想では「読者選考通過作品と、落選作品の間に必ずしも明確な差があるわけじゃない」という気もするんですよね。

読者選考、つまり応募作品のランキングになると思いますが、これの仕組み自体は当然公開されていません。ですが恐らく「レビューとフォロー」が主になっているのではないかと思われます。個人的な感覚では「PVと応援では、ランキングはあまり変わらない」という印象です。

※あくまでも相対的なものなので、はっきりと「そうだ」と言っているわけではありません。

レビューとフォローが付くには「読者の目に止まること」が大切であり、そのためには何らかの方法で「読者に伝えること」た必要になってきます。「新着に載る」のも手なのですが、混雑時では一瞬、比較的空いている時間でも数分程度で流れてしまいます。

なので新着だけでは、有効な露出とは言えないのではないでしょうか。

そうなると「自ら営業すること」が必要になってきます。まぁその辺りは前にも書いたことがあるので、ここでは割愛します。

要は「小説を書く以外のことが必要」というわけですね。当然「絶対そうじゃないといけない」というわけではありません。前のコンテストでも「ほぼ書くことだけ」で受賞されていた方もいらっしゃいましたし。でも、多くの方が「書くこと以外」をしているのも事実です。

一方でいわゆる公募には読者選考はありません。ありませんが、全ての作品を編集部の方が目を通しているというわけでもないのだとは思います(読むと名言しているものもありますが)。俗に言う「下読み」という方が読んで2次に上げる作品を決める、というのがよくある方法ではないでしょうか。

そう考えると読者選考のあるWebコンテストと公募の差は、そんなにないような気もします。それでも書く側にとって読者選考より公募の方が良いと思えてしまうのは、どうしてなんでしょう?

恐らくそこには「編集に携わっている方の目に触れることもなかった」という思いが出てしまうからだと、個人的には思います。傲慢な言い方をすれば「分かる人が読めば分かってもらえたはずなのに」という思いと言ってもいいのかも。逆に言えば公募で落とされたら「編集さんが読んでくれてダメならダメなんだろう」という諦めがつくのかもしれません。

確かに4,000近くの作品に目を通すのは大変だと思います。

ひとつの作品に30分の時間としても2,000時間÷8時間(労働時間)=250日ですからね。10人がかりでやって25日、それもフル回転でですから現実的じゃないかもしれません。

だから「読者選考による」のはしょうがないとしても「編集部のピックアップもありますよ」とだけ書いておけばいいんじゃないでしょうか。上位作品はどちらにしても通過するので(前回のカクヨムコンでは256作品が最終選考に進んでいます)中位から下位あたりを専属の編集部員(下読みでも)見て回るという形は無理なのかなぁ、と素人考えに思ってしまうんですよね。

結果的に拾い上げが0だとしても「一応全部目は通しておるぞ」という姿勢が大切じゃないかな、と思うんです。

と言うのも、私自身「Webコンテストよりも公募にしようかな」と思ったりすることがあるからなんですよね。今の作品ではどっちにしても同じ結果だとは思いますが、どうせなら「全部目を通してくれる方がいいじゃん」となるのは当たり前じゃないでしょうか?

そうなってくると、Web小説コンテストやサイト自体の存続意義にも関わってくると思うんですよね。もし私が公募に移行するとすると、Webは「実験や公募落選作品の保管庫」になると思います。そして掲載している小説を「ダメ元」でコンテストに応募し続けるような形になるんじゃないでしょうか。

そういう傾向が強まってくると、ますますコンテストの運営が難しくなりそうな気がします。

まぁ、そうは言っても今回はコンテストに出すんですけどね。

まとめ

という感じで、リハビリ的に3000字くらい文字を打ってみました。

リハビリって言っても、思ってもないことを書いたわけじゃないですよ。これでもちゃんと考えています、シングルスレッドコア並には。

皆様はどんなふうに思っていらっしゃるのでしょうか? ちょっと気になったりします。