ついに始まった……中毒者のAmazon離れ
こんばんは、しろもじです。
いつか来ると思っていましたが、ついにやってきました。
しろもじのAmazon離れ。
欲しいものがない!
なんとなく「最近Amazonで買い物してなくない?」と思って購入履歴を覗いてみたら7月が8件、8月が3件。
そのうち消耗品(定期的に頼んでいるもの)がそれぞれ2件、2件。
Kindleを含む書籍が4件、1件。
つまり本を除けば「これ欲しいっ!」となって買ったものは、2ヶ月で2個だけということ。
ちなみにその2個は「充電式乾電池」と「CBR250RR用のブレーキ・クラッチレバー」ですので、嗜好品と言えばそうですが、充電池は足りなくなってきたので補充だったし、ブレーキ・クラッチレバーは曲がったので交換用に買ったものですから、本当の意味で「ムダ遣い」はなかったわけです。
「そんなの別に普通のことじゃ?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
でもAmazonに毒された中毒者にとっては、これは異常な事態なのです。
いや、正確に言えば「Amazonで買い物をしてない」ことが問題なのではなくて「無駄なんだけど欲しいもの」がないのが問題な気がします。
物欲の減少は危険サイン!?
もちろん人によるとは思いますが、私のような欲にまみれた凡人にとっては、物欲の高さはひとつの心のバロメータとも言えます。
以前、心が病んでいたときは「何も欲しくない」という期間が続いていました(調べてみたらその期間のAmazonでの買い物は、年6個ペースでした)。
現時点で心が病んでいる……とは思っていません。多分。
ただ、冒頭でも書きましたが「いつかは来るのかも」と思っていたんですよね。
歳を取ってくると、徐々に欲求が低下してきます。
食欲、睡眠欲、性欲、承認欲求……そして物欲。
マズローの欲求5段階のピラミッドを見た方は多いと思います。
若い頃のそれがクフ王のピラミッド並の大きさだとすると、今現在の私のはまるでアポロチョコレートのようなもの(やや誇張)。
欲からの開放は良いこととされているかもしれませんが、それはあくまでも自分自身で乗り越えた場合であって「自然と消えてたわ」というのは、やはり不自然なものであると言えるでしょう。
つまり、一言で言えば「しろもじも、もうろくしたな」。
心躍る体験を
それを自然の摂理と言ってしまえば簡単なのですが、それでもなんとか抗いたいとも願うのは理解していただけるのではないんでしょうか?
「何か買うもんねぇかなぁ」とAmazonを眺めていたとき、そう言えば昔Amazon Echoを買ったときのことを思い出しました。
確かあのときは、当サイトでもたくさんEcho関連の記事を書きました。
「このデバイスは今までにない新しいものだ」
「これを使いこなすことで、生活が一変する可能性がある」
「これからは音声コマンドの時代だ」
そう思って夢中で操作したり、記事を書いたりしていました。
残念ながら、現時点ではEcho級のデバイスは存在しないないようです(近いうちに出てくる有料版Alexaは、少しだけ興味がありますが)。
創作も同じではないか
そんなことを色々考えているうちに「あれ、でもこれって創作も同じじゃね?」ということに気づきました。
当然創作の形は人それぞれ、作品それぞれなので、一概にそうとは言い切れませんが、それでも「人に何らかの希望を持たせたり、心躍る体験をさせるものであるべきなのでは」と、個人的には思うんですよね。
もちろん「鬱エンド」な作品が駄目と言ってるわけではありません。
創作は自由なのですから。
でもやはり、芯となる部分ではそういう要素を持たせておいた方が良いのは確かかもしれません。
って、それって当たり前といえば当たり前なのですが、あれこれ創作をしていると「どうやったら受けるのか?」とか「どうやったら驚かせるか?」みたいな、ちょっとひねくれた発想が先行してしまいがちなんですよね(個人的に)。
ですので、途中紆余曲折があろうとも最後の一文を読んだ後に、読者の方が「あー、俺も頑張らなきゃな!」みたいな、ポジティブになれる作品……というのが、今の自分が一番書きたい話なのかもしれません。
まとめ
若干ざっくりした話になってしまいましたが、結構本音だったりします。
本音であるが故にまとまってない……そんな感じかも(笑)。
ていうか、Amazonから強引に創作に話を結びつけるな、という気もしますけど。
とりあえず「欲しいものリスト」を埋める作業をしてきます。
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