オレ様のススメ
誰かに悪口を言われて落ち込んだり、ミスをして怒られて自分の無能さを実感したり、受験に失敗したり面接に落ちたり小説コンテストに落選したり。
私たちは外部からのちょっとした「ダメ出し」で「あぁ、自分はなんてダメな子なんだ」と落ち込んだりしますよね。
本記事はそんなメンタルをやられつつある方に向けたエールを送る記事です。と言っても、私自身が「今現在強メンタルな持ち主であり、何を言われようが何をされようが全く気にも留めない人間だから、皆さんにアドバイスをして差し上げよう……」というものではありません。
当サイトの記事でも何度も書いていますが、私は本当に豆腐メンタルの持ち主です。ちょっとしたことで傷つき、ガラスのハートが何個も何個も破壊されながら生きています。それは今現在も進行中です。
でも、そんな中で「ちょっとした考え方次第で、少しだけ楽になる」ということもありました。最後にも書きますが、こういうことは「今日からいきなり変わる」というものではありません。
あくまでもそのきっかけになれればいいな、と思いながら書いていきます。
オレ様のススメ
他の人のちょっとした言動で傷ついちゃう人って「自己評価が恐ろしく低い」んだと思うんですよね。
「自分なんて大したことない」「他の人はあんなに優秀なのに」「なにをやってもダメだ」
思い当たるフシはきっとあると思います(ない方は本記事を読む意味はあまりありません)。
普段から「自分は他人と比べて価値の低い人間なんだ」と思っているから、何かあったときに「あー、ほらやっぱりそうだ」と感じてしまうんですよ。
それを解消するには、主題にあるように「オレ様」になることです。でも、オレ様って嫌われそうな気がしますよね。
自分勝手、自己中心的、自分を過剰に評価している……。
しかし、よくよく考えてみると「悪いオレ様」ばかりでもないと思うんですよ。
よくマンガやアニメなんかに「オレ様キャラ」が出てくることがありますよね。すごく不快なオレ様もいますが、中にはステキなオレ様もいたりまします。もちろんリアルでも同じです。
一体何が違うんでしょうか?
正しいオレ様は他人を見下すことではない
私が観察したところによると、ステキなオレ様は自分勝手だったり自己中だったりしますけれど、他の人を不当に見下してはいないんですよね。
アニメなんかだと表現上そういう描写があったりもしますが、最終的には他人をしっかり認めています。
まぁ創作キャラはちょっと極端かもしれませんが、実際にいる人物を見ていると「オレ様であっても不快ではない人」は「他人を見下して自分をオレ様化していない」というのが観察できます。
そういう人は自己評価がとても高いです。でもその自己評価は「自分が努力して手に入れた、もしくは生まれつき持っている能力などを、きちんと評価できている」からこそなんですよね。
だから他人の努力や能力もきちんと認めます。
一方で、私のような弱メンタリストはとても自己評価が低いのです。自分の頑張りや成果を「そんなに大したことじゃない」と本気で思っています。
だから他人の努力や成果も認められません。
また先程ちらっと出てきた「不快なオレ様」も、自分の評価が出来ていないのに無自覚、もしくは分かっていて「オレ様スゲー」となっています。
これも同じように他人の努力や成果を認めることはできません。
「謙譲語」の害悪?
ずっと前に「これって日本語にある謙譲語っていうのがよくないんじゃないか?」と思ったことがあるんですよね。
謙譲語っていうのは「自分をへりくだって表現する言葉」です。
謙譲語とは違うかもしれませんが、有名な話に「贈り物をするときに日本では『つまらないものですが』と渡すが欧米では『これは素晴らしいものだから』と言う」というものがあります。
「つまらないものなんて渡すなよ」ってことですよね。
私は当時「そりゃそうだ」と思って「日本もこうあるべき」とも思いました。でも、最近はちょっと違うかなとも感じるようになってきました。
最近の若い方はよく分からないのですが、私が小さいころには学校や家ではこのように教えられてきました。
「他人に迷惑をかけるな」「偉そうにするな」「謙虚であれ」
ところで「これは素晴らしいものだから」とプレゼントを渡すことは、上に書いていることに反するでしょうか?
違いますよね。
本当は「自分の評価をきちんと持った上で、へりくだれ」ってことです。でもその辺りはあまり教えられてなかった気がします。だからついつい「へりくだる」方だけが身についてしまって「私なんて大したことないんだ」というメンタルに繋がっていったのではないでしょうか?
まとめると
- 強メンタルの持ち主は、自己評価が高いけれど敢えて自分を落とすことをしている
- 弱メンタルの持ち主は、自己評価が低いのでいつも自分を自分で落としている
と言い換えることができるかもしれません。
自信を持つには?
先程「自分の能力」ということを書きました。
でも本当のことを言えば能力すら関係ないと、私は思うんですよ。
今生きているだけで、あなたや私はひとつの大切なひとりの人間です。
ノーベル賞を取るような学者さまだったり、世界を変えるような製品をつくったデザイナーだったり、歴史を動かした偉大な政治家だったり。
そういう人にだけ生きる価値があって、そうではない人には価値がないでしょうか?
そんなわけがありません。
もっと言えば「大学や高校に合格した人にだけ価値がある」「営業で優秀な成績を収めた人にだけ価値がある」「小説で出版できた人にだけ価値がある」わけでもありません。
最終的には「生きているだけで価値がある」と言えるでしょう。
そこを履き違え「頑張らないヤツはクズ」「成績を残せないやつに価値はない」という思考になれば、いつか自分自身にも価値がないという考えに行き着いてしまうことになってしまいます。
「社会的に貢献できる人間か?」「世の中の役に立っているか?」というのはまた別の話です。もし、社会貢献できない、例えば引きこもっちゃってニートしてるような人を「クズだ」と言うのであれば、いずれ歳を取って動けなくなったときには、その人もただのクズになるという理屈のはずです。
その上で一番大切なことは「自分を一番大切に思うことができるのは、自分だけと知る」ということです。もちろん家族や友人、恋人などもあなたのことを大切に思ってくれるでしょう。
でもここでいう「大切」とは「一個人としての尊厳を持つことができる」という意味合いで、上記のこととは若干異なります。
「自分は唯一無二の存在であり、何人たりともそれを否定することはできない」ということを理解できるのは、自分だけです。
前にも書きましたが、誰かが「お前はクズだっ!」って言ったからと言って、急にあなたがクズになるわけじゃないですよね?
「お前はクズだっ!」と言われたあなたが「そうかオレはクズなんだ」と受け入れてしまうことで、あなたの中では「自分はクズ」となってしまうわけです。でも実際には別の第三者から見ると「全然クズちゃうやん」ってこともあったりするわけです。
もちろんあなた自身が「そんなことないもん!」と否定することも大切です。
そのためには「自分がいかにクズではないかということを、正しく自覚すること」が重要です。それは先程言ったように「自分は唯一無二の存在であり、何人たりともそれを否定することはできない」ということを理解するのと同じことです。
つまり「正しくオレ様たれ」ということです。
まとめ――一朝一夕にはいかないが
冒頭でも書きましたが、これらを私が全て理解して実践できている……わけではありません。
恐らく持って生まれた性格や、幼少期の教育なども関係してくると思われるので「じゃ、明日から変わる」というものではないと思います。
でも、誰かから否定されたり、仕事で怒られたり、書いた小説が酷評されたりして落ち込んでしまったときには思い出して欲しいんですよ。
「あなたは他の人と比べて、なんら遜色ない一人の大切な個人である」
ということを。
自分を大切にして下さい。そしてその上で他人も大切にしましょう。
オレ様で生きていきましょう!
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