メンタルを鍛えたいと思っている方へ

小説LABO

「メンタルが強くなりたいか〜!?」
「おーーー!!」

なんか前にもこんな書き始めをした覚えがありますがそれは置いておくとして……世の中、メンタルに自信がない方って結構多いんじゃないかな、と思ったりしています。仕事やが学校などで嫌な奴に会うのが嫌で嫌で仕方がなかったり、プレッシャーをかけられると途端に能力が発揮できなくなったり、誰かのちょっとした言動に一喜一憂してみたり。

私もその一人です。

若いころからずっと「自分はメンタルが弱い」と自覚しており、いつも「強メンタルの持ち主に、俺はなる!!」と思い続けて早◯◯年……。結果的にはメンタル王どころか、むしろメンタルスライムな人間にしかなれませんでした。

で、色々考えてきたことを今日は書きたいと思います。一応補足しておきますが、私はその道のプロではありません。あくまでも私の経験からメンタルについて語っているものですので、万人に当てはまるとも思っていません。それでも似たような方がいらっしゃっれば、その方にとっては参考になるかもしれないと思って本記事を書きます。

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メンタルは絶対に強化できない! ◯◯できるだけ!!

最初に結論を書きますと「メンタルは絶対に強化できない」と、私は思っています。

その根拠は半分は経験から、残りは論理的に説明できます。まずは経験のところからお話ししましょう。

自分も含めて年を重ねるごと、特に社会人になると色々な修羅場を経験することになります。取引先や上司を怒らせて収集がつかなくなったり、自分でも引くほどの失敗をしてしまったり、同僚や部下と口論になり気まずくなったり……まぁ、色々なことが降りかかってきます。

それらは人により大小、多少はあると思いますが、より大きな困難をたくさん経験することで「メンタルが鍛えられた」と思ったりすることがあります。またそういうことを言う人がいます。私自身も何度もそういう経験をしてきて「また鍛えられてしまった」と思ったりしたものです。

ですが、それは実は鍛えられたのではなく、ただ単に「慣れた」だけだったりします。

入社当時は「おい、しろもじ!」と名前を呼ばれるだけでビクッとしていても、同じことが続きしばらくすると変わってきます。最初は呼ばれるたびに「はいっ!!」と緊張していたのが、段々「うぃーす」という感じになってきます(笑)。

それはメンタルが鍛えられたからではなく慣れただけです。人の「慣れ」という能力は本当にすごいもので、どんなに衝撃的なことでも繰り返されていくことで何にも感じなくなってきたりします。小説なんかでも突然革新的な作品が出てきて「おぉ、すげー」となっても、同じような作品がたくさん出てくると「またそれかよ」と思ってしまうのと似ていますね(多分)。

実はその話は論理的な説明でも同じようなことだったりします。

人間の脳はまだまだ解明されていないことが多く、中でも感情に関わる部分は不明な点が多かったりします。それでも例えば「嬉しいときは脳のこの辺が活性化しますよ」というのはある程度分かっていて、要はその脳神経に電気が走ることである感情が形成されるというわけですね。

で、先程も書いたように同じところに何度も電気信号が流れる結果「脳が飽きる」わけです。これは脳の一種の防御機構ではないかと私は思っていて、強い刺激が何度も続くと脳に負荷がかかってしまうので、そういうときは「スルー」に近い形を取ることで負担を減らしているんじゃないかと思うんですよね。

それはあくまでも推測なのですけど、結果的には私たちはそのような経験をしているはずです。付き合っていたときは「ちょっとの時間でも会いたい!」と思っていた異性と結婚して数年も経つとそう思えなくなってしまったり、就職した初日は「頑張るでぇ」と燃えていたのが数ヶ月もすると「会社行きたくないでござる」と言い出したり。

脳はインプットされる新しい刺激には反応を激しくしますが、同じようなものに対しては「はいはい、またそれね」という対応をするわけですね。

つまり色々な困難を乗り越えて「メンタルが鍛えられた!」と一時的に思ったとしても、別の困難に直面すると再び弱メンタルが顔を覗かせる、ということになるわけです。

その考えに至ったのは結構歳をとってからのことなのですが、そのとき私は愕然としました。

「メンタルを強くすることはできないのか。私は一生、このメンタルと付き合っていかないといけないのか……」

落胆していたとき、ふと思ったことがありました。

メンタルは強くならないといけないのか?

そうです。「メンタルは強い方がいいのか? 弱いメンタルではダメなのか?」ということです。

自分で出した結論としては「そんなことはない」。

メンタルが強いというのはどういうことなのかを、メンタルが強いと言われている人を観察して気づいたことがあります。ひとつは先程書いた「たくさん経験し、慣れてしまった人」。そのため主に自分より年長者が多いのですが、色々話を聞いていると「いや、僕も昔は結構凹むことが多かったよ」という方が多かったんですよね。

また私の世代もそうなのですが、もう少し上の世代だと「子供の頃から扱いが酷かったので、そもそもその時点で慣れてしまっていた」というのもあります。昔は学校で体罰なんて当たり前でしたし、親にもよく殴られたりしていました(それを肯定しているわけではありません)。

そしてもうひとつが「元々何を言われようと気にもしていない人」がいます。

前にも書いたことがあるのですが、他人に何か言われたとき、それを真に受ける性格と何とも思わない性格の人がいます。何とも思わない人は確かに強メンタルであると言えるかもしれません。しかし一方で、人の心が分からないため人を傷つけたりを平気でしたりもします。

私が自分自身に「そういう人間になりたいのか?」と考えたとき「そうではない」と思ったんですよね。それは多くの人が同じように感じることだと思います。

人の顔色ばかり見て生きるのも大変ですが、人の顔色を一切気にしないで自分の好きなようにして生きていたいという考えも、どうかと思いますよね。周りの人を気遣ってあれこれ考えるからこそ、ちょっとしたことに傷ついてしまう。誰かが言った一言がグサッと刺さってしまう。

それはメンタル的にはマイナスかもしれませんが、性格としては悪いとはいえないのではないでしょうか?

弱メンタリストが生きる道

ではメンタルが弱い人はどうやって上手く生きていけばいいのか?

私の出した結論はまず「自分のメンタルの弱いところを知ること」です。

「人に大きな声で怒鳴られると怖い」

「大きな期待をかけられるとプレッシャーにつぶされそうになる」

「自分の悪いところを指摘されるのが辛い」

それをしっかりと自覚することですね。

そして次に「メンタルを鍛えようとはしないこと」です。「鍛えなきゃ。強くならなきゃ」と思えば思うほど、それができない自分を責めて余計に負担になることがあります。

自分で自覚した弱いところは鍛えなくても大丈夫です。というか、ぶっちゃけ鍛えようとしても一朝一夕にできるものではありません。もし生涯をかけて変えていきたいというのであれば止めませんが、そんなことに短い人生を費やすのは無駄だと思いませんか?

だから「自分はこういうことをされるのが苦手なんだ」としっかりと自覚しておけば、それが襲ってきたときの対処も多少は楽になります。だってすでに分かっていることですからね。「誰かにキツく言われるのが苦手」と自覚していれば、キツく言われたときに「あぁやっぱり私はこれが苦手なんだ」と再認識するだけで済みます(多少はダメージを受けますけどね)。

それがもし「いや、そんなことで凹んでちゃダメだ!」と思っていたら「やっぱりツライ……」というようになってしまいますからね。「ほら、やっぱそうじゃん!」って思うくらいでいいと思うんですよ。そうしている内に慣れてきたりしますからね。

それと逃げられるものからは逃げた方がいいです。人生にはどうしても逃げられないものもあったりします。生活があるので仕事からは容易に逃げられませんし、いい仕事に就くためには嫌な学校にも通い続けないといけないかもしれません。

そういうのは安易に逃げられないものです。

でももし簡単に逃げられるものであれば、逃げてしまいましょう。無理していつまでも辛い思いをし続ける必要もないと思います。

まとめ

文中でも書きましたが、人の心というのはまだまだ分からないことだらけです。でももし完全にそれが解明されるようになったら「こういう神経回路はこういう性格になる」ということまで分かるようになるわけで、それはそれで面白くないですよね。分からない方がいいことも世の中には多少はあるものですから。

また別の記事でも書きましたが、小説を書く人はあまり強メンタルでない方が私は良いと思っています。あまりにメンタルが強すぎる人は、他人の心が分からないからです。苦しんでいることは苦しんでいる人にしか分からないものです。

言い換えれば、辛い思いをした経験はそれ自体が創作の種になるとも取れますよね。ツライときにはなかなかそこまで割り切れないかもしれませんが、少し落ち着いたときには「よし、これを小説のネタにしよう」くらいに割り切って「得したな」と思えばいいんじゃないでしょうか。

また文中では敢えて触れませんでしたが、ある程度歳を取るとメンタルは強くなる……というよりはどーでもよくなってきます(笑)。感受性が低下してくるんですよね。若いときは周りの人の一挙手一投足が気になっていたのが、段々そんなことを考えるが面倒になってきます。

これは本当に困った問題なのですが、どうやらほぼ全ての人にあてはまるようです。周りを見ていると昔は気遣いがすごい人だったのに、いつの間にか強引で自己中心的な人になっていたりする人が結構いるんですよね。

だから、あまり気に病むこともないと思います。悩むことは若い証拠、とも言えますからね。

小説LABO

Posted by しろもじ