Writone投稿用小説『僕がひとめぼれした彼女の秘密』
こんばんは、しろもじです。
音声小説のWritone(ライトーン)で行われる「RKBラジオ放送権争奪コンテスト」。
これに向けた小説を書きました。
一応、初稿になります(最終稿が異なる場合、ここを編集か追記します)。
本編:『僕がひとめぼれした彼女の秘密』(初稿)
僕が彼女に初めて出会ったのは、長い冬が終わりそろそろ春の足音が聞こえてくる季節だった。
そろそろ卒論も考えないといけないし、就活に動き出している友人も出てきていた。僕はと言うと、将来の進路に何も具体的な道を見つけられないでいる。
やりたいことなんて見つからないし、これからどうしていけばいいんだろうな?
そんなことを考えながら家路へ急ぐ。その日はまるで、春が背後まで迫ってきているかのような陽気に包まれた一日だった。
ふと視線をずらすと、歩道の脇にあるフェンスの向こうに一本の桜の木が見えた。その脇にひとりの少女がじっとそれを見上げている。
まだ咲いていない桜を見上げる彼女を見て、思わず立ち止まる。
春の優しい風になびく長い髪と、薄いブルーのワンピース。
彼女を見ているうちに、僕は何とも言えない気持ちになっていた。そして、すぐにそれが「ひとめぼれ」であると気づく。人生の中で、他人にひとめぼれなんてしたことがなかった僕は、動揺した。
どうしていいのか分からず思わず立ち尽くしていると、彼女も僕に気づいたらしく手招きしているのが見えた。戸惑いながらもゆっくりと彼女の元へと向かう。
「なに見てるのよ」
怪訝そうな顔で腕組みをしながら僕を見る。
「見てたでしょ? 私のこと」
困っている僕にそう畳み掛けるように言った。
「別に……そういうわけじゃ……」
「あれ? じゃ、私の勘違いだったのかもね」
「いえ、見てたと言えば見てたんだけど」
「やっぱり見てたんじゃない!」
やや膨らませた頬がうっすらと赤く染まっている。怒らせちゃったかな? 謝ろうかどうしようか迷っている僕に「なに? 私に見惚れちゃったの?」といたずらっぽく彼女が笑う。
どうしてそうなったのか分からないけど、彼女の問いかけに素直に頷いた。それを見た彼女はちょっと戸惑っているように見えた。「へぇ……」と言ったきりうつ向いてしまう。少し気まずい。何か話さないと、と咄嗟に口から出てきた言葉は「僕と付き合って下さい」だった。
彼女は驚いた顔をしていたが、本当に驚いたのは僕の方だった。自分がこんな人間だったとは知らなかった。比較的思ったことは口に出す性格だとは理解していたけれど、見知らぬ女性に――しかも出会って数分の女性に――告白をするなど、まるで自分とは思えない行動だ。
自分で言っておいて勝手に戸惑っている僕の様子に気づいたのか、彼女は少しだけ冷静さを取り戻したかのように元の表情に戻った。ジトッとした目で僕のつま先から頭まで、まるで値踏みするかのように何度も見ていた。
その視線に耐えられず、ややそっぽを向きながら(あぁ、これは散々罵倒された挙げ句に断られるパターンだろうな。いや、断られるだけならまだいいか。最悪通報されてもおかしくないのかもしれない)などということを、まるで他人事のように考えていた。
ひとしきり僕を眺めていた彼女は、腕組みをし直して口を開く。僕の予想に反して彼女は「別にいいけど」とあっさりとした口調でそう言った。
「別にいいけど」が何に対して「別にいい」のか一瞬理解できなくて、と言うか理解はできていたけど信じられなくて黙っていると「付き合ってあげても」と彼女がぼそっとつぶやく。
「よろしくお願いします」とすかさず手を差し出すと、ちょっと戸惑いながらも彼女も手を伸ばしてきた。冷たく細い指の感触が伝わってきて、ドキッとした。割れ物を扱うようにできるだけ力を入れないようにそっと握っていると、ギュッと握り返される。
「ただし3つだけ約束して」
彼女は僕を真っ直ぐに見つめながらそう言った。
「うん」
「ひとつ『浮気はしないこと』」
「うん」
「ふたつ『会いに来てと言ったらすぐに来て』』
「……うん」
やや不安を覚えながらも最後の言葉を待った。硬かった彼女の表情が崩れ、少し笑っているようにも見えた。「みっつ」彼女がそっと僕の手を離す。
「付き合うのは1年間だけ。来年の春になったらお別れね」
こうして、僕と彼女は付き合うことになった。
□ ◇ □
春。
彼女の名前は今井心音。
意外なことに歳は僕の一つ上。童顔だったので、告白した後「もしかしてこれは犯罪なのでは?」と冷や汗を流していたことが杞憂に終わったのは何よりだった。
僕らの交際は少し変わったものになった。
彼女との3つの約束の第2条。心音はこれをフル活用した。大学の授業中であっても「今すぐ会いたい」と容赦なくメッセージを送信してくる。
もちろん「授業中だから」という言い訳は通用しない。「約束を守れないのなら別れる」と言われると、こちらとしても折れざるを得ない。だがしかし、そうは言っても彼女の要求を全て受け入れていたら、僕の大学生活は破綻してしまう。
僕が心音にその辺の事情を説明すると、やや不満そうな顔をしながらも「しょうがないか」と納得してくれたようだ。
「でも、大学以外の言い訳は聞かないよ」
大学で知り合った新しい友だちにそんな話をすると、大抵は「よく我慢してるな」と呆れられることが多い。でも心音は3つの約束以外で僕を困らせるようなことはしないのだ。
心音の部屋を尋ねると、彼女は満面の笑みで僕を迎えてくれる。お茶を淹れてくれ棚からクッキーを用意してくれ、精一杯僕をもてなしてくれようとする。
僕に今日あったことを話して欲しいと、少し上目遣いで僕にお願いしてくる心音。
窓から見える夕焼けに「キレイだね」と目をうるませている心音。
最近読んだ本やテレビの話題を、必死になって教えてくれる心音。
そのどれもが僕にとってはかけがえのない、とても幸せな時間に感じられた。
心音に告白したきっかけは「ひとめぼれ」だったわけだけど、時を重ねるごとに僕は彼女の内面にも惹かれていた。
出会ったときのツンケンした態度はあくまでも「他人向け」のものであり、本当の彼女はとても恥ずかしがり屋で、内気な性格だと分かった。内向的である故に「自分の外」との接し方が分からないといったところだろうか。
付き合いだしてからもしばらくはギクシャクした会話が続いていたけど、1ヶ月もすると自然な会話ができるようになってきていた。
それが心音に本当の意味で受け入れられたような感じがして、僕は嬉しかった。
□ ◇ □
夏。
海へ行きたいという僕の言葉に、心音は渋い顔をする。
「もしかして泳げないの?」
「そうじゃないって! ってか、普通海に行くって言ってもバシャバシャ泳いだりしないでしょ?」
「まぁ、そりゃそうだけど。じゃ、なんで?」僕は食い下がる。
「……言いたくない」頬をぷくっと膨らませる。
「日焼けしたくないとか?」心音の肌は透けるように白い。
「そう、それ!」
「それってなんだよ……」
しょうがないかと諦めたのだけど、心音はしばらく考えた後「海辺のデート、っていうのならいいよ」と少し頬を赤らめた。
日にちを決めて「場所はどこがいい?」と聞くと、心音はベッドに置いてあったガイドブックを広げて「ここか……ここ! こっちの方がいいかな?」と子供のようにはしゃいでいた。
日帰りということもあり、一番近い海を選んで僕らはそこへ出かけた。
心音は「焼けたくない」という言い訳を立証するかのように長袖のパーカーを着込んで、大きめの麦わら帽子まで用意していた。その様子に少しがっかりしたものの、ショートパンツから伸びる細く白い足に見惚れてしまう。それに気づいたのか「ちょっと、見すぎ!」と怒られた。
海辺を手を繋ぎながら歩いた。途中、サンダルを脱ぎ波打ち際ではしゃぐ心音を微笑ましく見ていると「えいっ」と水を蹴り上げて僕に飛ばしてきた。
少し遊んで疲れてきたので、ふたりで海の家で昼食を食べる。「こういう場所で食べる焼きそばは美味しい」と聞いたことがあったけど、僕にはそれほどでもないように思えた。でも心音が「美味しい美味しい」と喜んでくれているのを見ていると、こっちまで美味しく思えてくるから不思議なものだ。
パラソルとビーチチェアを借りてのんびり海を眺めたり、変わった形の貝殻を拾ってみたりした。
テトラポッドに座って、水平線に沈んでいく夕日を眺めていると心音が手をギュッと握りしめてくる。「帰りたくないな」絞り出すように言うのを聞いて、僕は「また来ればいいさ」と手を握り返した。
心音は黙ったまま頷いていた。
■ ◇ □
秋。
心音と会えない日が続いている。
スマホで連絡だけは取り合っていたので、もの凄く寂しいというわけでもないのだけれど、それが逆に会えない辛さを増幅しているようにも思えた。
ある日突然、心音が電話してきた。
「会いに来て。今すぐ」
ちょうど面接に向かう予定だった僕は、一瞬心の中で「無理だよ」とつぶやいたけれど、すぐに「30分待って」と答えた。自転車に飛び乗り、心音の元へ向かう。
久しぶりに会った心音は、心なしか痩せてるように見えた。それを素直に言うと「ダイエットしてるの」といたずらっぽく笑う。
「なんか、サラリーマンみたいな格好だね」
「あぁ。今日、面接があったから」
「あ……ごめん」
珍しく申し訳なさそうな顔。「ま、俺くらいになれば、面接のひとつやふたつ、放り出しても問題ないさ」と軽口を叩くと「だから心配なのよ」と返してくる。ちょっとだけ表情が柔らかくなり、僕はホッとした。
いつもの心音に戻ったのか、早速「お土産は?」と手を差し出してくる。
「心音がすぐに来いって言うから、そんなの買う暇なかったよ」
「ええっ!? 気が利かないなぁ。こういうときは、シュークリームのひとつでも持ってくるものでしょ?」
「ダイエットしてるんじゃなかったの?」
「うっ……。まぁ、それはそれ、これはこれよ」
「じゃ、買ってくるよ。近くにケーキ屋さんあったよね。何がいい?」
一度置いたカバンを手に取ろうとすると、スーツの裾をギュッと掴んで「いい。そばにいて」と言う。再び表情は曇り、やや泣きそうな顔になっている。僕は近くにあったパイプ椅子に腰を下ろして「何かあったの?」と尋ねてみる。
心音は黙ったままうつ向いてしまう。僕も何も言えなくなって、部屋の中に沈黙が流れた。聞こえてくるのは、遠くから聞こえてくる車の音や、空調機から出てくる風の音だけ。少しじれったい気持ちになっていたけど、それでも心音の言葉を待った。
やがて心音は唇をキュッと噛むと、僕をまっすぐ見つめた。
「私ね――」
□ ◆ □
冬。
懸案だった就職活動も、ようやく終わった。結局、自分のやりたいことは見つからず、そこそこの会社に就職を決めた。
卒論の提出も終わりやることがなくなってしまうと、無性に心音に会いたくなってくる。ベッドに寝転びながら、僕はスマホをじっと眺めた。
心音とはあれ以来会っていない。それどころか、連絡すら取っていない。
風が強く吹いていたその日。
見知らぬ番号から電話がかかってきた。出ると心音の父親だと名乗る。彼は「心音とはもう会わないで欲しい」と切り出してきた。胸をキュッと掴まれるような痛みを感じた。
理由を聞くべきだったのかもしれない。そんなことはできないと抗議するべきだったのかもしれない。でも僕にはそれはできなかった。
ただ「分かりました」と答えた。
電話を切った後、自分のしたことに頭が真っ白になった。気づくと涙が出ていた。何度拭っても、それは止まることはなかった。
□ ◇ ■
春。
部屋を引き払うため、僕は荷物の整理をしていた。棚にあるものをダンボール詰めていく。ふとキラリと輝いているものに目が止まった。
ちょっと変わった形の貝殻。
夏に心音と海で拾ったものだった。重ね合わせの2枚をそれぞれが持っていようと、持ち帰った。桜色の貝殻は、ところどころキラキラと輝いていた。それを愛おしく触っているうちに、自分は何をしているんだ、という思いに駆られてきた。
気がつくと、僕は取るものも取りあえず家を出ていた。自転車のペダルを力の限り漕いた。坂を登り、坂を下る。白い息が蒸気機関車のようにモクモクと吹き出している。
ブレーキをかけ、自転車を止めた。鍵もかけずに、僕は走り出す。そこにはまだ花が咲いていない桜の木があった。
心音と初めて会った場所だった。けど、そこには彼女はいない。
再び僕は走る。
扉を抜け廊下を走る。途中で「走らないで」と注意されたが、構わず走った。
階段を登り、再び廊下を走る。
「205」と書かれた下に「今井心音」というプレートが挟まっている。
引き戸をゆっくりと開けた。
白を基調にした簡素な部屋の奥で、薄いレースのカーテンがゆったりと揺れていた。その手前に置かれたベッドに心音は腰掛けるように座っていた。
僕を見るなり驚いた顔をしていたけど、すぐに「約束と違うじゃない」とムッとした表情になる。でも僕はそれが本心でないことを知っている。
彼女にゆっくりと近づくと、両手で彼女を抱きしめた。
「約束は……守れない」
「どうして!?」
「心音と離れたくないから」
「私がかわいそうに思えてきたの? それとも私のためにそばにいたいと思っ――」
「僕のためだっ!」
そう、誰のためでもなく自分のためだった。僕はあの日、桜を見上げていた君にひとめぼれをした。彼女が出してきた3つの約束の意味が、最初は分からなかった。秋にその秘密を聞き、僕はどうしていいか分からなくなった。
心音は重い病気に苦しんでいた。
僕と会ったとき、すでに「余命1年」の状態だったらしい。でも、その後奇跡的に体調は回復していき、医者ですら首を捻ったそうだ。
それでも根本的に病気を克服したわけではない。
彼女は両親と相談し、手術に踏み切ることにした。成功の確率は五分五分。とても危険な手術で、失敗すれば命を落としかねないものだ。
それでも彼女は決断した。
心音はそれを僕に伝えることはできず、僕は父親からそれを聞かされた。
心音は僕のために、僕と一緒にいたいと思って決断した。でも最悪の結果を思うと、心が潰されそうになると思ったそうだ。そこで彼女の父親は、僕に会わない方がいいと判断した。
僕はずっとどうしていいのか、どうすべきなのか分からないでいた。でも、もう決めたんだ。
心音と一緒にいたい。
どんな結論になってもいい。僕が心音と一緒にいたいという気持ち、それだけは本心だった。人生には妥協しなければならないこともある。でも、ここだけは譲れないと思った。
「本当にいいの?」
涙目になっている彼女を、もう一度ギュッと抱きしめて僕は言う。
「もちろん。でも、ひとつだけ約束して」
「……なに?」
「来年の夏に、もう一度海に行こう」
返事の代わりに心音は僕の身体に回した手に力を込めた。
僕にはそれだけで十分だった。
改稿版
僕が彼女に初めて出会ったのは、長い冬が終わりそろそろ春の足音が聞こえてくる季節だった。
そろそろ卒論も考えないといけないし、就活に取り組み始めている友人もいる。そんな中、僕はと言うと、将来の進路に何も具体的な道を見つけられないでいた。
やりたいことなんて見つからないし、これからどうしていけばいいんだろうな?
そんなことを考えながら家路へ急ぐ。その日はまるで、春が背後まで迫ってきているかのような陽気に包まれた一日だった。
ふと視線をずらすと、歩道の脇にあるフェンスの向こうに一本の桜の木が見えた。その脇にひとりの少女がじっとそれを見上げている。
まだ咲いていない桜を見上げる彼女を見て、思わず立ち止まる。
春の優しい風になびく長い髪と、薄いブルーのワンピース。
彼女を見ているうちに、僕は何とも言えない気持ちになっていた。そして、すぐにそれが「ひとめぼれ」であると気づく。人生の中で、他人にひとめぼれなんてしたことがなかった僕は、動揺した。
どうしていいのか分からず思わず立ち尽くしていると、彼女も僕に気づいたらしく手招きしているのが見えた。戸惑いながらもゆっくりと彼女の元へと向かう。
「なに見てるのよ」
怪訝そうな顔で腕組みをしながら僕を見る。
「見てたでしょ? 私のこと」
困っている僕にそう畳み掛けるように言った。
「別に……そういうわけじゃ……」
「あれ? じゃ、私の勘違いだったのかもね」
「いえ、見てたと言えば見てたんだけど」
「やっぱり見てたんじゃない!」
やや膨らませた頬がうっすらと赤く染まっている。怒らせちゃったかな? 謝ろうかどうしようか迷っている僕に「なに? 私に見惚れちゃったの?」といたずらっぽく彼女が笑う。
どうしてそうなったのか分からないけど、彼女の問いかけに素直に頷いた。それを見た彼女はちょっと戸惑っているように見えた。「へぇ……」と言ったきりうつ向いてしまう。少し気まずい。何か話さないと、と咄嗟に口から出てきた言葉は「僕と付き合って下さい」だった。
彼女は驚いた顔をしていたが、本当に驚いたのは僕の方だった。自分がこんな人間だったとは知らなかった。比較的思ったことは口に出す性格だとは理解していたけれど、見知らぬ女性に――しかも出会って数分の女性に――告白をするなど、まるで自分とは思えない行動だ。
自分で言っておいて勝手に戸惑っている僕の様子に気づいたのか、彼女は少しだけ冷静さを取り戻したかのように元の表情に戻った。ジトッとした目で僕のつま先から頭まで、まるで値踏みするかのように何度も見ていた。
その視線に耐えられず、ややそっぽを向きながら(あぁ、これは散々罵倒された挙げ句に断られるパターンだろうな。いや、断られるだけならまだいいか。最悪通報されてもおかしくないのかもしれない)などということを、まるで他人事のように考えていた。
ひとしきり僕を眺めていた彼女は、腕組みをし直して口を開く。僕の予想に反して彼女は「別にいいけど」とあっさりとした口調でそう言った。
「別にいいけど」が何に対して「別にいい」のか一瞬理解できなくて、と言うか理解はできていたけど信じられなくて黙っていると「付き合ってあげても」と彼女がぼそっとつぶやく。
「よろしくお願いします」とすかさず手を差し出すと、ちょっと戸惑いながらも彼女も手を伸ばしてきた。冷たく細い指の感触が伝わってきて、ドキッとした。割れ物を扱うようにできるだけ力を入れないようにそっと握っていると、ギュッと握り返される。
「ただし3つだけ約束して」
彼女は僕を真っ直ぐに見つめながらそう言った。
「うん」
「ひとつ『浮気はしないこと』」
「うん」
「ふたつ『会いに来てと言ったらすぐに来て』』
「……うん」
やや不安を覚えながらも最後の言葉を待った。硬かった彼女の表情が崩れ、少し笑っているようにも見えた。「みっつ」彼女がそっと僕の手を離す。
「付き合うのは1年間だけ。来年の春になったらお別れね」
こうして、僕と彼女は付き合うことになった。
□ ◇ □
春。
彼女の名前は今井心音。
意外なことに歳は僕の一つ上。童顔だったので、告白した後「もしかしてこれは犯罪なのでは?」と冷や汗を流していたことが杞憂に終わったのは何よりだった。
僕らの交際は少し変わったものになった。
彼女との3つの約束の第2条。心音はこれをフル活用した。大学の授業中であっても「今すぐ会いたい」と容赦なくメッセージを送信してくる。
もちろん「授業中だから」という言い訳は通用しない。「約束を守れないのなら別れる」と言われると、こちらとしても折れざるを得ない。だがしかし、そうは言っても彼女の要求を全て受け入れていたら、僕の大学生活は破綻してしまう。
僕が心音にその辺の事情を説明すると、やや不満そうな顔をしながらも「しょうがないか」と納得してくれたようだ。
「でも、大学以外の言い訳は聞かないよ」
大学で知り合った新しい友だちにそんな話をすると、大抵は「よく我慢してるな」と呆れられることが多い。でも心音は3つの約束以外で僕を困らせるようなことはしないのだ。
心音の部屋を尋ねると、彼女は満面の笑みで僕を迎えてくれる。お茶を淹れてくれ棚からクッキーを用意してくれ、精一杯僕をもてなしてくれようとする。
僕に今日あったことを話して欲しいと、少し上目遣いで僕にお願いしてくる心音。
窓から見える夕焼けに「キレイだね」と目をうるませている心音。
最近読んだ本やテレビの話題を、必死になって教えてくれる心音。
そのどれもが僕にとってはかけがえのない、とても幸せな時間に感じられた。
心音に告白したきっかけは「ひとめぼれ」だったわけだけど、時を重ねるごとに僕は彼女の内面にも惹かれていた。
出会ったときのツンケンした態度はあくまでも「他人向け」のものであり、本当の彼女はとても恥ずかしがり屋で、内気な性格だと分かった。内向的である故に「自分の外」との接し方が分からないといったところだろうか。
付き合いだしてからもしばらくはギクシャクした会話が続いていたけど、1ヶ月もすると自然な会話ができるようになってきていた。
それが心音に本当の意味で受け入れられたような感じがして、僕は嬉しかった。
□ ◇ □
夏。
海へ行きたいという僕の言葉に、心音は渋い顔をする。
「もしかして泳げないの?」
「そうじゃないって! ってか、普通海に行くって言ってもバシャバシャ泳いだりしないでしょ?」
「まぁ、そりゃそうだけど。じゃ、なんで?」僕は食い下がる。
「……言いたくない」頬をぷくっと膨らませる。
「日焼けしたくないとか?」心音の肌は透けるように白い。
「そう、それ!」
「それってなんだよ……」
しょうがないかと諦めたのだけど、心音はしばらく考えた後「海辺のデート、っていうのならいいよ」と少し頬を赤らめた。
日にちを決めて「場所はどこがいい?」と聞くと、心音はベッドに置いてあったガイドブックを広げて「ここか……ここ! こっちの方がいいかな?」と子供のようにはしゃいでいた。
日帰りということもあり、一番近い海を選んで僕らはそこへ出かけた。
心音は「焼けたくない」という言い訳を立証するかのように長袖のパーカーを着込んで、大きめの麦わら帽子まで用意していた。その様子に少しがっかりしたものの、ショートパンツから伸びる細く白い足に見惚れてしまう。それに気づいたのか「ちょっと、見すぎ!」と怒られた。
海辺を手を繋ぎながら歩いた。途中、サンダルを脱ぎ波打ち際ではしゃぐ心音を微笑ましく見ていると「えいっ」と水を蹴り上げて僕に飛ばしてきた。
少し遊んで疲れてきたので、ふたりで海の家で昼食を食べる。「こういう場所で食べる焼きそばは美味しい」と聞いたことがあったけど、僕にはそれほどでもないように思えた。でも心音が「美味しい美味しい」と喜んでくれているのを見ていると、こっちまで美味しく思えてくるから不思議なものだ。
パラソルとビーチチェアを借りてのんびり海を眺めたり、変わった形の貝殻を拾ってみたりした。
テトラポッドに座って、水平線に沈んでいく夕日を眺めていると心音が手をギュッと握りしめてくる。「帰りたくないな」絞り出すように言うのを聞いて、僕は「また来ればいいさ」と手を握り返した。
心音は黙ったまま頷いていた。
■ ◇ □
秋。
僕と心音は、毎日と言っていいほど頻繁に会っている。
心音はいつも、僕との写真を撮りたがっていた。
「写真が好きなの?」と聞くと「別に……そうでもないんだけど」と言う。スマホに保存された写真を二人で見ながら、僕らは一日中笑って過ごした。
「あ、この写真」
心音がスマホを指さす。それは春に撮った写真だった。ぎこちない二人が微妙な距離間で立っている。
「キミ、変な顔してる!」
「それを言ったら……ほら、これ。心音だって――」
「あー! それは見ちゃダメー!!」
「消す?」
「……ううん。一応残しとく」
そんな僕らのやり取りを見て、周囲の人は「目の前でいちゃつくなよ」と文句を言ったり「見てられない」と呆れたりする。でも、僕は気にしていない。
「あれから半年だね……」
「そうだね」
「ひとめぼれ、だったんでしょ? 私に」
「うん」
「どこが良かったの?」
「うーん……」
「ちょっと、そこは考え込んじゃダメでしょ!」
「あはは。ごめんごめん。でも、改めてどこって言われると」
「……まぁ、そういうもんだもんね。ひとめぼれって」
「……」
「私も……だったし」
「えっ? 今なんて?」
「別にぃ」
心音はプイッとそっぽを向いてしまう。困っていると「ね?」と、振り向いて首を傾げる。
「甘いものが食べたいなー」
「はいはい。買ってくるよ。何が良い?」
「シュークリーム!」
「大通りに確かお店あったよね」
「あ、そこのやつ、好き!」
「じゃ、行ってくるね」
「5分で帰ってきて」
「無理言うなよ」
「よーい……ドン!」
息を切らせながら、心音の部屋に帰ってくると、彼女はベッドに腰掛けて……泣いていた。隣に座って、心音の肩をそっと抱きしめる。一瞬、ビクッと震えた心音は、僕の肩に顔を埋めてきた。涙声で、僕に言う。
「私ね――」
□ ◆ □
冬。
懸案だった就職活動も、ようやく終わった。結局、自分のやりたいことは見つからず、そこそこの会社に就職を決めた。
卒論の提出も終わりやることがなくなってしまうと、無性に心音に会いたくなってくる。ベッドに寝転びながら、僕はスマホをじっと眺めた。
心音とはしばらく会っていない。それどころか、連絡すら取っていない。
風が強く吹いていたその日。
見知らぬ番号から電話がかかってきた。出ると心音の父親だと名乗る。彼は「心音とはもう会わないで欲しい」と切り出してきた。胸をキュッと掴まれるような痛みを感じた。
心音の父親は、受話器の向こうで話し続けている。言っていることの意味は理解できたけれど、僕はそれを、まるで他人事のように聞いていた。
彼は「君のためなんだ」と言った。僕はそれに抗議するべきだったのかもしれない。でもできなかった。
ただ「分かりました」と答えた。
電話を切った後、自分のしたことに頭が真っ白になった。気づくと涙が出ていた。何度拭っても、それは止まることはなかった。
□ ◇ ■
春。
部屋を引き払うため、僕は荷物の整理をしていた。棚にあるものをダンボール詰めていく。ふとキラリと輝いているものに目が止まった。
ちょっと変わった形の貝殻。
夏に心音と海で拾ったものだった。重ね合わせの2枚を、それぞれが持っていようと持ち帰った。桜色の貝殻は、ところどころキラキラと輝いていた。それを愛おしく触っているうちに、自分は何をしているんだ、という思いに駆られてきた。
気がつくと、僕は取るものも取りあえず家を出ていた。自転車のペダルを力の限り漕いた。坂を登り、坂を下る。白い息が蒸気機関車のようにモクモクと吹き出している。
ブレーキをかけ、自転車を止めた。鍵もかけずに、僕は走り出す。そこにはまだ花が咲いていない桜の木があった。
心音と初めて会った場所だった。けど、そこには彼女はいない。
再び僕は走る。
扉を抜け廊下を走る。途中で「走らないで」と注意されたが、構わず走った。
階段を登り、再び廊下を走る。
「2810」と書かれた下に「今井心音」というプレートが挟まっている。
引き戸をゆっくりと開けた。
白を基調にした簡素な部屋の奥で、薄いレースのカーテンがゆったりと揺れていた。その手前に置かれたベッドに心音は腰掛けるように座っていた。
僕を見るなり驚いた顔をしていたけど、すぐに「約束と違うじゃない」とムッとした表情になる。でも僕はそれが本心でないことを知っている。
彼女にゆっくりと近づくと、両手で彼女を抱きしめた。
「約束は……守れない」
「どうして!?」
「心音と離れたくないから」
「私がかわいそうに思えてきたの? それとも私のためにそばにいたいと思っ――」
「僕のためだっ!」
そう、誰のためでもなく自分のためだった。僕はあの日、桜を見上げていた君にひとめぼれをした。彼女が出してきた3つの約束の意味が、最初は分からなかった。秋にその秘密を聞き、僕はどうしていいか分からなくなった。
心音は重い病気に苦しんでいた。
僕と会ったとき、すでに「余命1年」の状態だったらしい。でも、その後奇跡的に体調は回復していき、医者ですら首を捻ったそうだ。
それでも根本的に病気を克服したわけではない。
彼女は両親と相談し、手術に踏み切ることにした。成功の確率は五分五分。とても危険な手術で、失敗すれば命を落としかねないものだ。
それでも彼女は決断した。
心音はそれを僕に伝えることはできず、僕は父親からそれを聞かされた。
心音は僕のために、僕と一緒にいたいと思って決断した。でも最悪の結果を思うと、心が潰されそうになると思ったそうだ。そこで彼女の父親は、僕に会わない方がいいと判断した。
僕はずっとどうしていいのか、どうすべきなのか分からないでいた。でも、もう決めたんだ。
心音と一緒にいたい。
どんな結論になってもいい。僕が心音と一緒にいたいという気持ち、それだけは本心だった。人生には妥協しなければならないこともある。でも、ここだけは譲れないと思った。
「本当にいいの?」
涙目になっている彼女を、もう一度ギュッと抱きしめて僕は言う。
「もちろん。でも、ひとつだけ約束して」
「……なに?」
「来年の夏に、もう一度海に行こう」
返事の代わりに心音は僕の身体に回した手に力を込めた。
僕にはそれだけで十分だった。
あとがき
今回のコンテストは「朗読時間約10分=6,000字」という要項があるんですよね。
今までも短編は何度か書いたことがあるのですが、6,000字という短さは初めてかもしれません。
やってみて分かったのが「文字を削る辛さ」です。
入らないんですよね(笑)。
普通に気にしないで書いたら倍ほどになってしまい、泣く泣く削っていきました。
上の初稿で、やっと5,994字です(CotEditorで)。
「たくさん書け」というのは、全然苦痛にならないのですけれど「文字を削れ」というのは本当に難しいことを再確認しました。
完成したばかりなので、削りすぎて内容がわからなくなっている可能性もなきにしもあらず。
その辺りは、少し時間を置いてから見直して最終稿とすることにします。
と言うか、物語的に詰め込みすぎだった気がします(笑)。
この話は当初は「2,3万字程度の短編」として考えていたので、ちょっと盛り込み過ぎた設定だったような気がします。
もう少しシンプルな話の方が、より深く掘り込んで書けるような気がするので、そうした方が良かったのかも(ただし、そんなにシンプルなプロットは持ってないのですが)。
でもまぁ、勉強になったのかなとは思います。
本当はもう少し時間をかけて煮詰めていきたいところですが、12月31日の締切を考えると12月の頭には投稿したいところなので、11月の末あたりに見直して少し修正して投稿となる予定です。
ちなみに本作は、こことWritone以外には投稿する予定はありません。
今後も、ウェブサイト限定の小説なんかも書いてみたい気もしますが……まぁ難しいでしょう(笑)。
【記事訂正】
記事投稿当初「Voicebook」と記載していましたが、登録商標にあたるとのご指摘を賜りました。
訂正しお詫びします。
□ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □
今日も最後までお読み頂きありがとうございました!
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