Web、SNSで燃え上がらない、たったひとつの方法
ここ最近、SNSなどでの発言が原因となったいくつかの炎上を目撃しました。
最初に断っておきますが、本記事はそれらを糾弾したり非難するものではありません。
個人的にはそういうのを見ると、少し悲しい気持ちになります。そういう人たちのことを詳しく知っているわけではありませんけど、恐らく「ものすごい極悪人」というわけではないのだと思われます。親しい人に聞けば「そんな人じゃないんだけど」という答えが返ってくるような方なのではないでしょうか。
だから炎上しているのを見ていると「一緒になって叩きたい」とか「呆れてしまう」とか「見て楽しむ」とか、そういう気持ちよりも「なんでそんなことになるんだろう」という純粋な気持ちが沸き起こってくるんですよね。
今日はその原因と、燃えないための対処方法を考えてみたいと思います。
有名=燃えやすい?
まず「有名になればなるほど燃え上がりやすい」というのはあると思います。
当然のことですが、有名になればフォロワーも増え注目も集まりますので、たったひとつの発言が人の目に触れやすくなります。
Twitterなどは比較的発言が流れやすいものですが、私がつぶやく一言と、フォロワー数万人の方がつぶやく一言は「誰かが見る可能性」で言えば、後者の方が圧倒的に多いはず。
なので、有名になれば燃えやすいは当たり前なことです。
ただ、有名じゃなくても燃えてしまった人たちもたくさんいます。
また今は有名じゃなくても、後々注目を集めることになった結果、過去の発言が「発掘」されることもあるでしょう。
Twitterに限らず、BlogでもYoutubeなどでも同じです。基本的にアーカイブされるものは、全て「いつか誰かが見る可能性がある」ものです。
なぜそんな発言をするのか?
それでは「どうしてそんな炎上しそうなことを発言してしまうのか?」を考えてみましょう。
これは直接聞いたわけではありませんからあくまでも想像でしかありませんが、やはり「承認欲求」が絡んできているのではないかと予想できます。
人は誰でも「自分の意見を聞いて欲しい」と思うものです。頭の中に浮かんだことは、誰かに伝えたくなるものです。そしてそれを「そうだね」と言って欲しいと思っています。
ネットの話ではないのですが、会社の人間関係などを見ていると「普段認められていない人ほど、会話の中で承認欲求を満たそうとしている」ように思われます。昇進できない、お給料が上がらない。その「認められていない」という不満が、通常の会話で「私の言っていることを聞いて!」という形で噴出してしまうのではないでしょうか。
例えば昔あった「店舗の冷蔵庫に入ってみた」みたいなのは「俺、面白いっしょ?」という問いであり、それに対して「面白いよ!」という答えを求めていたのではないでしょうか。
私自身はそれらの気持ちは分かるものの、今ではすっかり承認欲求がなくなりかけており、段々理解不能になりつつあります。これは「俺、凄いでしょ」と言いたいわけではなく、ただ単に「歳を取ったから」に他なりません。
私も若いころは承認欲求の塊のような生き物でしたから(笑)。
でもねぇ、歳を取るに従って「誰かに認めてもらう必要はない」という心境に変わってくるんですよね。かっこよく言えば「自分が認めていればいい」ということですが、正直なところ「もう、どーでもいいです」という感じ。
面倒くさいんですよね。
ま、そんな感じで人によっては歳を取れば、そういう欲求からは開放されるのかもしれません。
炎上させないためには
では具体的に炎上させない発言を考えてみます。
自分が思ってて実際にやっている方法なのですが
「その発言は友人に対してもできるのか?」を、投稿ボタンを押す前に考える
ことになります。
知り合いとか近所の人とかじゃありません。あなたが大切に思っている友人、もしくは恋人、家族でもいいと思います。「大切な人にでも、それ言えるの?」を考えるだけで、炎上するような発言をする可能性は、グッと減ると思います。
よくある炎上は「特定の個人、もしくは民族、団体に対する暴言」などがあると思われます。でもそれ、友人に言えますか? 彼女に言えますか? お父さん、お母さんに言えますか?
また先程の「冷蔵庫にイン」の案件では「それ、家の冷蔵庫でもできるの?」「彼氏、彼女さんの家は?」ということになりますね。
ネットって「匿名」だと思いがちじゃないですか。しかも、相手は目の前にいるわけじゃないので、言いたいことを言ってしまいがちです(実際には全然匿名じゃありません)。
昔「ネット弁慶」という言葉が流行りましたが(今でもある?)ネットになると急に強い言葉を使いたくなるのかもしれません。
ですから、一度リアルに置き換えてみるといいと思うんですよね。
「親しい人に言えないことは書かない」
実にシンプルなルールだと、私は思うのですが。
「ネット」「リアル」の垣根はもうない
ずっと昔、ネット黎明期などでは、確かに「ネットの文章は書き捨て」みたいなこともあったように思われます。某掲示板などは「便所の落書き」と揶揄されたりしていましたしね。
でもこれだけネットがリアルと結びつくようになってくると、もう両者を隔てる壁はないと思うべきでしょう。実際、この文章を書いてて「リアル」という言葉に違和感を感じてたりします。最近言いませんよね。
先程も書きましたが、ネットは全然匿名じゃないですし、ネットの向こうには同じ人間がいます。ただ単にモニタと光ケーブルを挟んでいるだけで、実際の世の中と全く変わらない世界なんですよね。
それほど「ネットを使う」ということが当たり前になってきたということでしょう。老若男女問わず、誰もがネットを使う時代には「ネット/リアル」の壁はないわけです。
思っていることと言っていいこと
もう少しだけ補足しておきます。
誰が何をどう思うか、は「思想・信条の自由」により確かに保証されています。
例えば、あなたが私を見たとき(おいおい、マジかよ。頭ハゲそうだよ……)と吹き出しそうになるのは、しょうがないことかもしれません(”しろもじさん、かっこいい……”でも可。ちなみにあくまでも例なので、私は禿げてません)。
ですがそれを本人に言うかどうかは別の話です。
昔から言われているように「思っていることと言っていいことは別」なのです。言い換えれば「本音と建前」とも言えますが、人間は「思うのは自由だが、言うことには責任を持たなくてはならない」ということですね。
これはとても大切なことで、思想・信条の自由を守ることにも繋がるのだと、私は思います。
もしも「思ったことは何でも言っていい」ということになれば「思った段階で阻止しなくてはならない」というふうに、過激な考え方も出てくる可能性があるからです。なんでもそうですが「誰かがいらないことをするから、規制が増える」というのはよくあることです。
ですから、個人が気をつけて発言すべきだろうと思うわけですよね。じゃないといつか銃を向けられて「犯罪係数オーバー300。執行対象です」という時代になるかもしれませんし。
どうも最近は「本音と建前」が悪者扱いされている感じがあるんですよね。「言いたいことを言っている人はかっこいい」みたいな風潮があるように思われます。
「言いたいことを言う」のにもいくつか種類があって、確かに「凄いこと言うな」と感心するものもあったりするのですが「誰かが傷つくもの」なんかは、やっぱりちょっと考えた方がいいと思います。
まとめ
普段の生活ではできない話がネットではできる。
そんな時代はもう終わりました。
よく「ネットで問題のあった人を、吊し上げしている人こそ問題だ」という意見も聞いたりしますし、それもそうだなとは思います。でも、実際にはどうしてもそういうことは起こってしまうものです。もちろん吊し上げついでに個人情報を拡散したりした場合は、立派な犯罪になりますけど。
「言いたいことを言いたいだけ書く自由がある」のなら「言ったヤツをとことん吊るし上げる権利もある」とも言えるのかもしれません。
個人的にはそういう世の中にはなって欲しくないんですよね。
息苦しい世の中ですから、文句の一つも言いたいのかもしれません。ネットで日頃の鬱憤を晴らしたいのかもしれません。自分の主張を誰かに聞いて欲しいのかもしれません。
そういう場合には、SNSなどに書かず小説を書けばいいのではないでしょうか。主義主張は小説内で語ればいいんです。もちろん、具体的に書いちゃダメですよ。「某国の態度が許せん!」みたいなのを、そのまま書いちゃダメです。
って言うかね、小説を書いているとそれだけで満足しちゃうと思うんですよね。話を考えるのは楽しいし、誰かに読んでもらえると嬉しいですし。
小説でなくてもいいのかもしれません。結局のところ「ガス抜きできることがあるのか」が重要な気もします。これについては、また今度記事にしたいと思います。
どうか皆様のBlogやSNSが、炎上案件になりませんように。
そしてどうか、私も燃やさないで下さい。しろもじは「燃えるゴミ」ではなく「燃えないゴミ」になります。分別はちゃんとしましょう。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません