「働く」というのはどういうことなのか?

2019年8月28日雑多記事エッセイ

最近「働き方改革」という言葉が登場したり、それの発端になった「過労死」や「長時間労働」などの問題など、働くということについて考える機会が増えてきました。

そこで今回は「働くとはどういうことなの?」ということについて、色々考えてみたいと思います。

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なぜ「働く」が今議論されているのか?

まず最初に、どうして今になって「働く」ということがこれほど社会で議論されるようになったのでしょうか?

それは恐らく、これまでほとんどの人が「働くとはどういうことなのか?」を考えてこなかったからだと思います。

現に私たちが義務教育期間に「働く」ということについて、教育を受けたりする機会は滅多にありません。本来であれば「教育」とは「社会に出るための準備期間」であるはずで、必然的に「どうして働かなきゃいけないのか?」とか「働かないとどうなるのか?」とか「そもそも働くとはどういうことなのか?」をしっかり教えておく必要があるはずです。

ですが、実際にほとんど教えられてこなかったのは、そもそも誰も真剣に「働くとはどういうことなのか?」を考えてこなかったからではないでしょうか?

小学校の頃は「将来何になりたい?」みたいなふんわりしたイメージで、高校にもなると「大学に行くのか、行かないのか?」のように進路として、そして最終的には「どういう仕事に就くのか?」という段階を経て、私たちは社会人になっていきます。

昔でいうところの「敷かれたレールの上を走る」という感じでしょうか?(流石に古いか)

そこには「働くことの意味」について深く考えるというよりは「何となく働かなきゃいけないから」という受け身的な行動が見て取れます。

「働く≒仕事≒お金」な現代

現代において働くということは、ほぼ「お金を稼ぐため」と同義語です。

お金については以前に書いた記事『働くこととお金のこと』でもチラッと触れましたが、元々物々交換をしていた私たちの先祖が「それは色々面倒だよね」ということで、物の価値を保存しておける仕組みとして誕生したものです(他にも諸説ありますが)。

なぜお金を稼がないといけないのかというと、その根源にあるのはもちろん「衣食住」ですよね。生きていく上で最低限の衣食住を満たすためにお金は必要です。

例えば第二次世界大戦直後の日本などでは、まさにこれがとても大切で「生きていくためにお金が必要」という世の中でしたので、働くということは言い換えれば「生きること」として当たり前のことだったわけです。まさに「働かざる者食うべからず」の世界です。

ところが段々豊かになってくると、衣食住のコストはそれに合わせて下がっていきます。もの凄く極論になりますが、例えば田舎に住んで贅沢をいわなければ3日に一度のアルバイト程度でも生活をしていくことが可能になっています(時給800円×8時間×10日=64,000円)。

この「豊かになる」というのは「社会が豊かになる」ということです。社会とは個人の所属している団体のことで、国であり地方自治体であり会社もそうだと言えそうです。

例えば上に挙げた「時給800円」ですが、1時間働けば800円もらえるという仕組みは、会社が組織として1人1時間800円を払えるだけの豊かさを持っている、と言い換えることもできるのではないでしょうか。もっと多くのお金、時給1,000円だったり1,500円だったりを払える会社はもっと豊かだといえそうですね。

会社が豊かになり国が豊かになってくると、お金を稼ぐということが容易になってきます。私の上の世代の方々は「お金を稼ぐのはとても大変なことだ」といつも言っていました。いや、今でも大変は大変なんですが、それでも昔に比べれば随分楽になったといえるのではないかと私は思います。

働くことの意味

ではどうやって社会が豊かになっていくのかというと、これは人が働いた結果だといえそうです。

前回の記事で書いたように、私の祖父母は田舎で商店を営んでいたそうです。創業当時は自転車にリヤカーを繋いで買い出しに行っていたのだ、と聞いた覚えがあります。とても大変そうですよね。

それがいつしか自動車を買えるようになると、買い出しの時間が大幅に短縮されます。また一度に買い出しできる量も増えてきますので、たくさんのものを店先に並べることができるようにもなってきます。

近所の人は自分で遠くまで買い出しに行く時間を短縮することができます。

商店もたくさん儲かるようになるので、より大きなトラックを買って一度にたくさんの商品を仕入れることができるようになります。

このように「人が働く」という行為が、世の中をより豊かにしていくのではないでしょうか。

逆にいえば「働くということは社会に貢献する活動のこと」ともいえそうです。

これは結果的に「お金を稼ぐ」ということになるわけですが「お金を稼ぐ=社会に貢献している」というわけでもないのが、お金の難しいところです。

例えば「親から相続した資産」は、その人の社会貢献度を正しく評価しているとはいえませんし、もっと極端なことでは宝くじなんかもそうですよね。

また年収3,000万の人が年収300万の人の10倍の貢献度があるのかといえば、それは必ずしもそうではないのではないでしょうか?

最初に書いたように「働くことの意味」というのが正しく教えられていないと「働くとはお金を稼ぐこと」とだけ理解してしまい、その結果「お金さえ稼げればいい」という風潮が生まれてくるのではないかと、私は思います。

ひとつ補足しておきますと、私は「労働はお金じゃないよ。安くても文句を言っちゃいけないよ」と言っているわけではありません。お金をたくさんもらえるのであれば、もらえるに越したことはありませんから。

ただ労働をお金だけに換算してしまうと、色々なものが見えてこないんじゃないかな、ということが言いたいわけです。

仕事は時代により変化していく

また仕事は時代により変化していくものであるともいえます。

上で祖父母の小さな商店を例に挙げましたが、それでいえば自転車で仕入れをしていたときには「自転車を作る」「リアカーを作る」という仕事がもてはやされます。

ところが自動車に置き換わるようになると、自転車やリヤカーを作っている仕事はなくなりこそしなくても減ってきますよね。

田舎の商店も同様です。より大きなスーパーが登場してくると、より安くたくさんの商品を売ることができるようになります。同時に家庭に車が普及してくると、郊外型の大規模スーパーに買いに行くことができるようになってきます。そうなってくると田舎の小さな商店でものを買う人はいなくなってきます。

今ではネットスーパーが普及し始めており「重い荷物を抱えて帰ってくる」ということすら必要なくなってきました。

このように仕事は時代によって変化していきます。

なくなる仕事がある一方、新しくできる仕事も増えてきます。それらは「生きていくために必要不可欠な要素を持ったもの」というよりは「より生活を楽にしてくれるもの」もしくは「楽しくしてくれるもの」になっていくというわけです。

恐らくもっと時代が進めば、生きていくためのコストは限りなく少なくなっていくかもしれません。その結果がもしかしたら「ベーシックインカム」のような社会の実現をもたらすのかもしれません。

それでも人の仕事はなくなることはないと思っています。

例えば全てをAIが管理し、ロボットによる自動化が行われる社会になったとしても、人が誰かの役に立てるということはなくならないはずだからです。

まとめ

「格差社会」「ブラック企業」「過労死」「やりがい搾取」……。

ここ最近、働くということに対して見直す風潮が生まれつつあります。

文中でも触れましたが、労働とお金をセットにして考えると「頑張れば頑張った分だけお金が儲かる」という仕組みは、資本主義社会では「全てに通用するルール」ではありません。

どれだけ誠心誠意頑張っても、必ずその対価が得られる保証はありませんし、逆にいえば頑張らなくてもお金が入ってくるときは入ってくるからです。

ですので、私は「お金と働くことをを切り分けて考える」ことが、これからの時代には必要になるのではないかと思っています。

つまり「自分が社会に対して何を貢献できるのか?」ということと「お金を稼ぐ」を別の軸で考えるということですね。

生きていくためにはお金が必要です。

これは間違いなく真実です。

もし「お金を稼ぐこと」と「自分が社会に貢献したいこと」が一致している場合には、それでガシガシ貢献して、稼いでいけばいいのだと思います。(これは「したいことが仕事になった」というだけでなく「している仕事が社会に貢献できていると実感できる」というのも含みます)

でももし一致していないときは?

そのときは「お金を稼ぐための仕事」と「社会に貢献できること」を自分の中で割り切って考えてみるのもいいのではないでしょうか?

「楽しい話を考えて、みんなを楽しませたいんだ」という創作活動は、働きながらでもできますよね。会社に入って働いてお金を稼ぎながら「自分のしたい仕事」を並走させることは(環境にもよりますが)できると思います。