『ゼロ・グラビティ』を観て得たことの話 [投稿報告:管理官と王女様 第3話]

小説投稿記カクヨム,映画

こんばんは、しろもじです。

小説投稿サイト「カクヨム」に『管理官と王女様』の第3話を投稿しました。

昨日は1話だけ書き進めて、少しだけプロットに手を入れてみました。

ラストはほぼ決まっているのですが、その手前が……。駄目というわけじゃなく、ふんわりとしか決めてなかった所なんですよね。

ここが決まってないと、中盤を書くのに支障が出てきそうなので、具体的にしているということです。

と言うか、今更感ありまくりですが(笑)。

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映画『ゼロ・グラビティ』を観て思った、創作のテーマの話

【注意!】今回ネタバレがありますので、もし今後映画を観る予定の方は、どうぞ映画を鑑賞後にご覧下さいね。

昨日の記事で「小説を書くにはたくさん本を読まないといけない?」というお話をしました。

それに関連したことですが、少し前に『ゼロ・グラビティ』という映画をアマゾン・プライムで見つけたので、観てみたんです。

ご存知でしょうか? 『ゼロ・グラビティ』。

劇場公開時には結構話題になりましたし、地上波でも放映されたらしいので、知っている方も多いと思いますが、一応簡単にご紹介しておきます。

サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニーの主演で描き出す、史上最高の宇宙体験映像と、全身を貫く感動がひとつになった、スペース・サスペンス・エンターテイメントの傑作誕生! 地球から60万メートル上空。すべてが完璧な世界。そこで、誰もが予測しなかった突発事故が発生。スペース・シャトルの船外ミッションを遂行していたメディカル・エンジニアのライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)と、ベテラン宇宙飛行士マット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)は、宇宙空間に放り出されてしまう。シャトルは大破し、他の乗組員は全員死亡。ヒューストンとの交信も断たれ、残った酸素はあとわずか。漆黒の闇で二人をつなぐのは、たった1本のロープだけ。果たして、次々と襲いかかる危機を突破し、地球に無事生還することができるのか…!?

『ゼロ・グラビティ』タイム・ワーナーYOUTUBEチャンネルより抜粋

ついでに予告編も貼っておきます。

この映画は「どう観るか」で評価の別れるものなのだと思います。

映画館のスクリーンで、圧倒的にきれいな宇宙空間を楽しむのであれば、間違いなく一級品の映画でしょう。

 

しかし、小説を書いている身としては、やはりストーリーは気になります。

昨日記事で書いたように「インプットから何を得るのか?」というのは、大切ですからね。

一応補足しておくと、何かを観たり読んだりした時、必ず何かを得なければならない、と言うわけじゃないとは思っています。

昨日の記事で書いたのは「たくさんの本や映画を観ているけど、何も得ているものはない」というのだったら、そんなことよりも書いた方がいいんじゃない? ということですね。

 

ただ、この『ゼロ・グラビティ』は思う所がありましたので、少し触れてみたいと思います。

ハリウッドのテンプレ作品?

上のあらすじにあるように、映画開始後20分くらいで、突然ロシアの人工衛星が破壊され、スペースデブリが飛んで来るんですよね。

それが主人公ライアン(サンドラ・ブロッグ)たちの方角へと迫っているというシーン。

ここでライアンがハリウッド映画登場人物のテンプレのような行動を取るんです。

ベテラン宇宙飛行士マット(ジョージ・クルーニー)との会話シーンです。

 

マット「作業を終えろ」

ライアン「ムリよ。まだ起動中ですもの」

マット「避難する」

ライアン「待って」

マット「ダメだ、今すぐ終了しろ」「命令だ」

ライアン「……分かった。もう済んだわ」

 

もうテンプレ中のテンプレと言っていい展開ですよね。

危機が迫っている。

誰かが「逃げるぞ」と言う。

主人公が「待って、これをしないと」と拒否。

結果、大惨事に。

 

映画としてドキドキ感を煽りたいのは分かりますし必要だとは思いますが、一体いつまでハリウッドはこの展開をやるつもりなんだろう? と思わざるを得ません。

 

その後の展開も、ほぼテンプレ通りに進んでいきます。

「死ぬんだろうなぁ」と思っていたら、やはりマットは死んじゃうし(そして主人公を助けるために、というこれまたテンプレ)、「絶対ISSでトラブるぞ」と思ってたら案の定、いきなり燃えだすし。

テンプレにはテンプレである理由はあるのは分かります。

テンプレというのは「最低限のルール」のようなもので、これを拒否したり、無視したり、勉強しなかったりというのは、間違っていると思います。

テンプレを知った上で、どれだけ観客を裏切れるのか? と言うのが大切なんだと再認識しました。

主人公に感情移入できない

主人公ライアンは心に傷を負っていて、それが映画のひとつのテーマになっているのですが、あまり深く語られておらず、どちらかと言うとマットの方が人間味を感じられてしまうんですよね。

また、ライアンが作中で取る行動にも、感情移入できないものが多数あります。

衛星の破片が激突して、ライアンが宇宙空間に投げ出されるシーン。

ここでライアンはパニックになります。

ゼェゼェ呼吸が荒くなり、酸素をドンドン消費してしまいます。

もちろん、ライアンは技術者として宇宙に来ており、生粋の宇宙飛行士ではありません。

しかし、それにしても慌てすぎです(笑)。

まぁ、あそこで慌てないと、後で「酸素がやばい」という展開にならないので、必要なのは分かるんですけどね。

 

また、ISSに到着しマットが飛ばされて行った後のシーン。

すでに酸素は限界で、一刻もはやくISSのエアロックに辿り着かないと危ない!

なのに、彼女は急ぎません。

観客を焦らしたいという意図が、あまりにも露骨すぎます。

 

シャトルの使い方もマニュアルを見ないと思い出せないし、動かないのが燃料切れと分かると、計器類を叩きながら「ふざけるな!」と物に当たる始末。

そして、その周りをペンのようなものが漂ってても知らんぷりです。

個人的には「危ないんじゃね?」と思うんですけど。

 

まぁ他にもたくさんあるのですが、この主人公の奇行には理由があるのだと思います。

それは次の項目で書きますが、ここでは感情移入できない主人公について。

作品において、主人公に感情移入できるか(共感できるか)と言うのは、とても大切だと分かりました。

観客は、主人公に自分を重ねて「助かって欲しい」と思うからドキドキします。

例えば恋愛映画で恋が成就する話だって、普通に考えれば「はいはいリア充リア充」となりますが、そこに感情が乗ってしまうから「なんとか上手くいって欲しい」と思ってしまうわけです。

 

主人公が良い人である必要はないと思いますが、あまりにも「見ててイライラする人物」の場合は大きな問題だということが分かります。

作品のテーマ

この映画にはテーマがあります。

色々な見方はあるかと思いますが、私は「命の尊さ」なのだと思いました。

 

ただ『ゼロ・グラビティ』では、それをやりすぎていると思います。

ISSに到着後、ライアンはエアロック内で、突然宇宙服を脱ぎ始めます。ヘルメットは酸素が不足しているので分かります。

しかし、全部脱いで短パン(?)とタンクトップになるんですよね。

「なんで?」と思っていたら、そのまま足を抱え込むように丸まって、エアロック内を漂っているシーンに繋がるんです。

これはつまり「母体の中の胎児」をイメージしていますね。

宇宙船(ISS)という母の中に帰還し、その中に抱かれているシーンというわけです。

 

先に言ったように、主人公が奇行を取る理由がこれです。

つまりテーマを主張したいがために、主人公を動かしているわけです。

映画のテンプレを守らせるために動かしている部分もあります。

 

テンプレとテーマが先にあって、そこに主人公を当てはめた。

だから主人公に厚みがないし、行動がおかしいし、結果として感情移入できない。

 

そして、テーマを訴えかけてくるシーンが多すぎて、映画を観ているとどこか説教されている気分になってきます。

 

小説にしても、映画にしても、よく「テーマがないといけない」と解説されていることが多いのですが、私はなくても良いんじゃないかと思っています。

うっすらと、作品の背後にあるメッセージ的なもので、作品の世界を映し出すものとしてのテーマくらいはあった方が良いと思いますが、作者が「これを学べよ」的なテーマは不用です。

 

小説や映画はどこまで行ってもエンターテイメントです。

エンターテイメントは楽しませてナンボです。

決して説教するものでも、気づかせるものでもないと思っています。

 

だから、本心を言えば、今応募しているカクヨムの「連載小説コンテスト」の方針にはあまり賛成ではありません。

学びたい時にはそういう本や映像を見れば良いのだと思います。

「作者が伝えたいこと」なんていうのは、実におこがましいことだと、個人的には思っているんですよね。余計なお世話ではないかと思います。

まとめ

実に偉そうに好き勝手書きましたが、映画自体をけなしているわけではありません。

先に書きましたが、映像美はとても美しく、これは映画館で心を無にして観れば、間違いなく一級品の映画です。

ご家庭の大きなテレビで観ても、そこそこ迫力ある映像を堪能出来ると思います。

私はiPadで観たのがいけなかったのだと思いますね(笑)。

 

ただ、映画から改めて得られたことも多かったので、そういう意味でも観て良かったと思えました。

当然、自分で書いておきながら、自分の心にグサグサ刺さっていたのは言うまでもありません(笑)。

反省すべきところですね。

 

今日も最後までご覧いただきまして、ありがとうございます!

それでは、また、あした。