「30万字書いても書き足りてない」という話|『きみとぼくのダンジョン再建記』第94話投稿のお知らせ

小説投稿記カクヨム

こんばんは、しろもじです。

『きみとぼくのダンジョン再建記』第94話「待たせたね」をカクヨムに投稿しました。

今回の投稿で、目標としていた100話まで後6話。元々目安としての100話だったので、別にぴったり合わせる必要はないのですが、たまたまとはいえいい感じになってきたので、何とかしたいという変な気持ちが沸き起こっていたりします。

でも……ちょっと足りそうにないんですよね。逆に「2,3話で終わらせろ」なら、何とでもなりそうなのですが……。あまり間延びもよくないと思いますので、その辺りは気持ちをグッと抑え込んで展開優先にしたいところです。

文字数的には29万字を超え、改めて「よく書いたなぁ」という印象です。もちろん個人記録更新です……と書いて、他はどれくらいだったろうかと調べてみたところ『家族編集部』が15万字で次点でした。約倍ですね。

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まだ書き足りないとか

これだけ書いたんだから、もうこの物語で書き残したことはないだろう……という感じにもなろうかと思われるのですが、実際には全然そんなことはありません。

これは多くの小説家にいえることなのではないでしょうか? 何万字、何十万字と書き続けてやっと完結した。そこで「もうこの小説で書くことは、何もない」というほど燃え尽きられることって、早々ないのではないかと思われます。

私自身、これまで書いてきた小説を振り返ってみると、ほとんどの作品でそう感じてしまいます。文字数だけで言えば長編よりも中編、中編よりも短編の方が「語り足りない」ということは多そうな気がするんですが、むしろより長く書いた小説の方が「もっと語りたい!」という気持ちが大きくなる傾向にあるように思われます。

これは恐らく長くなればなるほど多くの風呂敷を広げることになるので、それだけ書くことも増えることと、長く続ければ続けるほどキャラクタが「生きて」きて、書けること書きたいことが増えていくからではないでしょうか?

一方で短編は文字数に制限があることが多く、設計の段階からある程度削ぎ落としを行わないといけないので、書いているときは「もっと文字数が欲しい!」と思っていても、いざ書き終えた段階では完成されえてしまっているので、そういう思いになることが少ないのかもしれません。

では「長編小説をどこまで続けるのか?」という話も気になってくるところです。かつて小説という創作物は「1冊完結もの」というのが多かったように思われます。シリーズもので連続しているものは一般文芸ではよくありましたが、それらも「どこから読んでも大丈夫、どこで止めても大丈夫」というようなものだったのではないでしょうか。

ですが、最近では連載を前提にしているものが、特にWeb系小説を中心に主流になっているようですね。つまり「いつ終わるかは分からない」というものです。これは元々は週刊少年漫画系で取られていた手法ではないかと推測しています。

ただ週刊少年漫画とは違うのは、漫画は「俺達の戦いはこれからだ」的なものであっても、何とか終わりを告げられていたのですが、小説の場合は突然終わってしまうというものが多いような気がしています。具体的にどれがそうなのかと言われると困るのですが、こういうことがありました。

一時期ラブコメものを調べていたときにAmazonでレビューを眺めていたんですよね。そしたら既刊の最終巻のレビューで「続きが気になります」というものがあるのに、それが発刊されてから既に1年以上経っているという小説が散見されたんですよ。

それまでの刊行ペースを見ると、約半年ごとに1冊のようなのに既に1年以上新刊が出ていない。ということは、それは「打ち切りになった」と見るのが妥当なところではないでしょうか?

そういうことを考えていると「小説は漫画よりもシビアだな」と思わざるを得ませんでした。もちろん週刊少年漫画は雑誌という媒体が先にあって、それを元に「打ち切り」が決められるわけですから、編集部から作者へ伝えられてからの余裕があるわけですが、いきなり書籍となる小説ではそれができないという原理はよく分かります。

でも書いている方、また読んでいる方のことを思うと、ちょっとだけ悲しくなってくるのも事実ですよね。アマチュアで(読んで下さっている方のことを考えると、こういう言い方はしたくないのですが)比較的底辺付近にいる私でさえ「30万字では語りきれぬっ!」と思ってしまうのに。

まぁ商業ものというのは、お仕事でやっていることですから、そんなことを言っていては成り立たないというのも確かでしょうけど。

でも、最近ではWebで発表できる機会も増えてきましたので「続きはWebで!」というやり方もできるようになっていますし、現に漫画などではそういうのもチラホラ出てくるようになっています(小説でもあるのかな?)。Webで続きを書き、反響を見ながら書籍化していく、もしくはWebのみでやっていく。

そういうやり方でも続きを書けるという環境になったのは、素直に良いことだと思います。

ただあくまでも個人的な意見で言えば「いずれはどこかでキチンと終わらせないといけない」とは思っていますけれど。

Web小説では「エタる」という言葉があるようです。英語のEternal(エターナル)から来ているようで「永遠の」という意味から「終わらない小説≒更新が止まっている小説」という意味のようです。

これは「続きが書けなくなった!」という切実な理由からエタることもあるようですが、稀に「序盤を書いて反響がよくなかったらエタらせる」という手法もあるようです。つまり「続きを書いても意味ないから、とっとと止めてしまう」ということですね。

当たり前ですが、創作は自由です。なので、自分で書く小説を自分でエタらせるのも自由だと思います。ただ個人的な感想を言えば「自分の書いた小説は、自分の子供のようなものなので、どんな形でも終わらせることが大切だ」と思っていたりします。

ちょっと愚痴っぽくなってしまいました。歳を取ると、何かに付けてご意見したくなるのはいけない傾向ですね。この辺にしておきましょう。