CEOしかいない会社の誕生する日
TEXT FIELDでは「雑多記事」として小説、ブログ運営に当てはまらない記事をまとめていますが、その中でも「ニュースでもないし、デジタル関連の使い方でもない」という記事もちょくちょくあります。
具体的には「私はこう思った」的な記事で、どちらかと言うとエッセイ的なものになります。
これらを他のものと区別するためにタグ付けしていくことにしました。「エッセイ」というタグが付きます(ネーミングセンスなくてすみません)。
と言っても、本記事と先日上げた記事の2つしかないのですが……そのうち増えることでしょう(過去のものは特に入れる予定はありません)。
基本的には「だからどうした?」という記事になりますので、お時間が余ってしょうがないときにでもご覧頂ければ、と思います。
今日のテーマはロイターに載っていた『アマゾン、倉庫の完全自動化の可能性排除 「あと10年かかる」』という記事から。
Amazon倉庫から人のいなくなる日
ロイターによると
アマゾン・ロボティクス・フルフィルメントを統括するスコット・アンダーソン氏は、「技術は現段階でなお極めて限定的」とし、注文の処理作業を完全に自動化するには少なくともあと10年はかかるとの認識を示した。
ロイター記事より引用
とのこと。
恐らくこれは現従業員向けの発言だと思われます。
現時点でAmazonの従業員がどれくらいいるのかな、とググってみたところ「647,500」という数字が出てきました。
「Amazon.com」と記載されていましたが、恐らくこれはワールドワイドの従業員数のはずです。
もちろんパートタイマーも入れた数でしょうが、ちょっとした中堅都市規模です(調べてみたら足立区、船橋市、静岡市くらいの規模のよう)。
これらの中には倉庫で働く人以外にも、IT系の技術者やセール担当者、バイヤーなど色々な人が含まれており、またそれ以外にも物流関連なども含めると膨大な人がAmazonに関わっていると言えそうです。
ロイターの記事に書かれているのは、この中の「倉庫で商品をピックアップしたり、発送作業に携わる人々」を指し示していると思われます。
ご存知のようにAmazonはロボティクスを積極的に活用している企業であり、現時点でも多くのロボットが倉庫に投入されています。
ルンバみたいなロボットは、一時期ニュースでも取り上げられていましたよね。
「それでもまだ人の手が必要なのか?」という気がしますが、恐らくオーダーされた商品をピックアップし梱包するところで手がかかっているのではないかと思われます(働いたことないから分かりませんが)。
記事に書かれていた「あと10年はかかる」は、勘ぐった見方をすれば「10年くらいで無人化できる可能性がある」とも取れます。
一時期、Amazonの倉庫で働く人々の大変さがニュースで取り上げられていたことがありますが、逆に言えば「そこまでしないと利益にならない」というわけで、Amazonにしてみればより一層の省人化を進めたいというのが本音でしょう。
利益のほとんどを投資に突っ込むAmazonですから、これらの技術の開発は現在でも常に行われており、私は10年どころか5年くらいで「ピックアップから発送まで」は、ほぼ無人化できるのではないかと思っています(あくまでも最新鋭のフルフィルメントセンターでの話ですが)。
そうなってくると「Amazonの倉庫から人がいなくなるのか?」ということになるわけですが、これは恐らくもう少し先のことになるはず。
なぜなら「ロボットを管理、保守する人は必要だから」です。

「ロボットの保守をロボットが行う」という可能性もありますが、その「保守するロボットの保守は誰がやるの?」ということになるので、結局は一次的なロボット(つまり作業に直接関わるロボット)以外は人の手の方が優れているのではないでしょうか?
省人化は自分の首を絞める?
ただ人の数は極限まで少なくなることが予想されます。
64万人のうち、どの程度の人数が倉庫でのピックアップに携わっているのかは不明ですけど、技術の進歩によりかなりの人が職を失うことになる可能性はあります。
これは別にAmazonに限った話ではなく、他の企業、他の業種でも同じことが言えます。
本来、人を大量に雇えるだけのポテンシャルを持った大企業が、ロボティクス(もしくはAI)に力を入れ人を削減する。
一方、中小零細企業はそういう余裕すらないので「とにかく安くてもいいから死ぬほど働きます」という人を雇うか、人手不足で潰れてしまうかの二択になってしまいます。
いずれにしても「誰にでもできる仕事」というのは、今以上に世の中から駆逐されていくことが予想できます。
そうなってくると「仕事に就きたいけど無理」という人が溢れてきます。
就労人口が減るということは、経済にとってはマイナス要因です。
Amazonは商品を売ることで成り立っています。
最近ではAWSの方が好調みたいですが、元を手繰っていけば結局は「消費」に行き着きます。
この辺りは難しい話ですが「より安く商品を提供すること」が「省人化」に繋がり、「省人化」は「雇用の減少」に繋がるので経済が回らなくなる。
とは言え、高いコストで高い商品をウィンドウに並べていても、人はなかなか買ってくれない。
お金は上流で堰き止められ、下流へと流れていかない状況が生み出されてしまいます(今でもそうなってますけどね)。
解決策はあるのか?
「人の手がかかる」ことは、コストがかかるということで、最終的には商品の価格に影響を与えます。
これまでの経済の原動力として労働とされてきた「ものを作る」「ものを運ぶ」「ものを売る」という「もの」に関わるものは全て人の手から離れていっています。
この傾向は、止めることはできないでしょう。
今の社会を形作っているのは18世紀後半に起こった「産業革命」によるものです。
蒸気機関などを使った第一次産業革命、石油などを活用した第二次産業革命。
コンピュータが登場した第三次産業革命に続き、現在はITやAIを駆使した第四次産業革命の時代だと言われています。
第一次、第二次の産業革命は、衣食住の生活を豊かにしてくれました。
大量生産、対象消費の時代で、より多くのものをより安く生産することが可能となった時代です。
コンピュータが登場したことにより、それらがより効率的に行われるようになったのが現代です。
またそれにより「衣食住」という、人が行きていく上で不可欠な要素ではなく、より人生を豊かにするような「娯楽分野」へとシフトしているように思われます。
一昔前は「コンピュータを使った仕事をしています」と言えば「それは虚業だ」と言われたものですが、今では立派な仕事になっています。
そういうことを考えると「今現在、何の役にも立っていないこと」が、将来の仕事になる可能性は十分に存在しています。
ここで少し「仕事」について考えてみましょう。
例えば将来、フルオートメーション化された工場で野菜や肉、服や靴などあらゆる商品が作られるようになり、建築や工事なども完全ロボット化した結果「人が行きていく上で、最早人の手は必要ない」という時代になったとします。
それでも、それらの工場や機材を作る人達は必要かもしれません。
もう少し話を進めて「それを作るものロボットがやる時代」になったらどうでしょうか?
資本主義経済では、お金が経済価値の基本として存在しています。
お金を得るには当然働くしかないわけですが、働くということは「人の役に立っている」ということでもあります(一般論では)。
社会に貢献した分、その代価としてお金を得る。
得たお金で食べ物や着るもの、住む家を買う。
それらを提供している人は、代価にお金を得る。
それが経済が回っているということです。
その一部、もしくは全部がロボット(≒AI、つまり人外)に置き換わるということは、その分野では人は最早社会の役に立てないということになります。
つまり(当面先のことになるとは思いますが)「ものづくり」では「社会の役に立てない=お金を得られない」という時代がいつかやってきます。
ただ、上記はあくまでも机上の空論でもあります。
全てが機械化され、人の手が極限までなくなった場合、衣食住に関わるコストは限りなく0に近づいていきます。
では「何もしなくても生きていけるようになるのか?」となれば、そうはならないでしょう。
例えばトマトを作っている工場があったとして「ほとんどコスト0で作れるようになったから、タダで配りますよ」とはならないですよね。

企業が存在し資本主義経済下にある以上、ものが0円で配られる時代にはならないはずです。
そこで少し前の話に戻ります。
新しい「役に立つ」

結局の所、生きていくためにはお金が必要です。
お金を得るには仕事をするしかありません。
仕事とは人の役に立つことです。
インターネット普及し初めてGoogleというサイトを見たとき、ほとんどの人が(私もです)この企業が世界でも有数のものになると想像できませんでした。
インターネットにより人がWebサイトを開設したり閲覧したりするようになると「それを整理し必要な情報を見つけやすくする」という新しい仕事が生まれました。
検索エンジンがなければ、誰もTEXT FIELDを見つけることができなかったというわけです(私が必死で宣伝して回るしか方法がなかった)。
つまり新しい「役に立つ」が生まれたというわけですね。
そういうふうに「役に立たなくなったこと」から「新しい役に立つこと」に仕事は変わっていくのでしょう。
「それって何よ?」と言われると少し困るところでもありますが(完全に理解していれば、将来私は次のラリー・ペイジになれますから)。
ただ敢えて言うとすれば、先程も書きましたが「娯楽」はひとつのキーワードになる気はしています。
ものづくりは極限までコストダウンしていきます。
0円で配られることはなくても、以前よりも安い価格で販売することが可能になっていきます。
もしそのままものづくりだけを続けていけば、いずれものの価格は下落していき経済は回らない状態になっていくことが考えられます。
そこで新たにお金を稼ぐ産業が必要になるわけですが、衣食住が満たされるのであれば「娯楽」に今以上にスポットライトが当たるという時代になることも予想されます。
それは従来型の娯楽とはやや異なるかもしれません。
まとめ
あまり推敲もしないで書きなぐったので、やや(かなり?)偏った話になってしまったような気がします。
文中でも触れましたが、恐らくこの先100年くらいは「従来型の仕事がなくなってしまう」ということはないと予想できます。
それは「人の手の方がコストが安く、簡単である」というものが、いくらかはあるからです。
Amazonの倉庫から人がいなくなる日は来るかもしれません。
でも、Amazonから人がいなくなる日は来ないでしょう。
本記事のタイトルにある「CEOしかいない会社の誕生する日」は、当面来ないと思われます。
(※と書いてて気づいたのですが、地方には「本当に社長しかいない会社」というのが、既に結構あったりします。そういうことじゃないのですが、そうとも取れるので補足しておきます)
「小説を書く人を応援するサイト」らしく、最後に少し小説について触れておきましょう。
先程「従来型の娯楽とは異なるかもしれない」と書きました。
これは皆さんも同意してもらえると思うのですが、小説はまごうことなき従来型の娯楽です。
よって、小説というものはなくなりこそしないものの、これ以上の飛躍的な発展は見込めないと思っておいた方がいいでしょう。
ただ「原作としての小説」は今後も需要があるとも思います。
VRやARやMRなどの時代になっても、そこにストーリーがあるのならば、小説という媒体によって作られた物語は消えることなく生き残ることができるでしょう。
AIが小説を書くと言う話もチラホラ聞かれますが、現在のAIは「自分で考えている」わけではなく「過去のデータを分析して構築し直している」だけです。
それは創作ではありません。
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