小説の人称(一人称・三人称)はカメラ視点を意識すると分かりやすい【執筆考察01】
こんばんは、しろもじです。
今回からブログカテゴリ「小説講座」の一環として、小説などの書き方・考え方・執筆方法などを考察していく「執筆考察」というサブカテゴリを始めたいと思います(厳密にはカテゴリ分けはしてませんけど)。
そもそも、この「小説講座」というカテゴリ、勢いで作ったものの、実際には「小説執筆に関するノウハウ」ではなく「小説を書く人が読んでインスピレーションを得られれば良い」というものになっています。
簡単に言うと「ノウハウ」ではなく「提案」みたいな感じですね。
いっそカテゴリ名ごと変えちゃおうかとも思ったのですが、それはそれで面倒なので、そのままにしておいて「執筆考察」というくくりで「小説を書く上で色々問題になるだろう」ということについて、グダグダと書いていくことにしました。
あくまでも「私はこう思っている」という記事になりますので、使い方としては、読んだ上で「あぁ、そうなんだ」と思ったり「そりゃ、違うだろ」と反論してみたり「なんだそれ」と呆れてみたり……皆様ご自身の考えを再確認したり、再構築する機会になれば、と思います。
前置きが長くなりました。
今回のテーマは「小説の人称」についてです。
小説の人称とは何か?
「小説を書いたことがないよー」とか「小説を書き始めたばかりだよー」という方のために、一応人称とは何かということを解説しておきます。
人称についてWikipediaでは
人称(にんしょう、person)とは、文法の用語で、ある発話の話し手(speaker)および聞き手(addressee)という役割とそれ以外を区別するために使われる。
とあります。
もう少し言うと人称には「一人称」「二人称」「三人称」があります。
詳しくは次に解説していきますが、簡単に言うと「誰の視点で語られているか」によって、人称分けがされていると思えば大丈夫でしょう。
国語や英語の授業でも習ったと思いますが、一人称の主語は「私、俺、I」など、二人称は「あなた、You」など、三人称は「彼、彼女、He」などになります。
ただし、小説の三人称の場合は、彼、彼女だけでは分からなくなる可能性があるので、具体的な名前が用いれれることが多いです。
人称がややこしいとされる理由
小説を書き始めると、必ず引っかかるのがこの人称という問題です。
一人称は「俺、私」が語る物語なので、比較的分かりやすいのですが、もっとも混乱するのが三人称ではないかと思います。
二人称は「あなた」に語りかける話になり小説には不向きです。
もちろんそういう書き方をされている小説も存在していますが、あまり一般的ではないので、ここでは割愛します。
で、三人称ですが、三人称視点の小説を書く時に、一番困るのが「どの視点で書けば良いのか分からなくなる」ということではないでしょうか?
小説慣れしている方なら、それほど意識しないで書けるかもしれませんが、そうでない場合は非常に難しく感じることも多いようです。
また、ネットや書籍の「小説の書き方講座」的なものを見ても「三人称の場合、登場人物の心情を語ってはいけない」とか「視点を変えてはならない」などと書かれていることもあり、それらがより難しく感じさせることになっているのではないかと思います。
でも、実は人称ってそんなに難しいものじゃないと、私は思います。
三人称とは、言い換えればカメラカット
まず、一番ややこしそうな三人称についてお話しましょう。
小説を書く時に、その情景を映像として頭の中で再生させながら、それを文字に起こしていく方法があります。
恐らく、多くの人がこの方法で書いているのではないかと思いますので、これを前提に話を進めます(そういうのなしに、いきなり文章だけで構成されている方もいるかもしれませんが)。
頭の中で映像化したイメージを文章にするとき、そのイメージがどのポジションから見ている光景なのかを意識すると、人称の問題は分かりやすくなるのではないかと思います。
例えばこんなシーン。
Aは人気のない通りを歩いていた。
辺りは静まり返っていて、人の話し声はおろか車のたてる騒音すら聞こえてこない。まるで人類が滅んでしまったみたいだな、とAは少し身震いした。我ながら馬鹿馬鹿しい妄想だとは分かっていたが、街灯の少ない薄暗い通りをみる限り、そんな考えに至ったとしても仕方がないという気もしてきた。
少し足早になり、裏路地に続く角を曲がる。無造作に置かれた鉄製のゴミ箱が、ガタンと音を立てAはビクッと身体を震わせた。「なんだ猫かよ」鳴き声を上げながら走り去っていく子猫に憤慨しつつも、ホッとため息をついた。
それと同時に、背後でジャリッという音が聞こえた。
「おいおい、今度はなんだ?」
少しおどけた様子で振り返ると、そこにはひとりの男が立っていた。肩から古びたショルダーバッグをかけており、手にはショットガンのようなものを構えていた。
「両手を挙げろ!」
男はショットガンをAの頭に突きつけながら、野太い声でそう言った。
文章の上手い下手はちょっと置いておきましょう(笑)。
この文章はいわゆる三人称視点のものとなります。
カメラの位置はAの背後。
真後ろでなくても良いのですが、今回は単純化するために背後ということにしておきます。
三人称ではありますが、Aの方から見たカットで書かれていますので、Aの心情も入っています。
このAの心情を書くのか書かないのか、というのは、小説においてはルールでもなんでもなく、ただの作風です。
()内に描写したり、敢えて「」で書いたりしても良いでしょう。
続きを見ていきます。
Bはショットガンを気の弱そうな男の頭に突きつけながら、ジリジリと詰め寄った。男は今にも泣き出しそうな顔になり、言われた通り両手を挙げて小さく首を振っている。「助けてくれ……」消えそうな声でそう懇願している。
Bはその言葉には答えず、更に男に近づく。あと2メートルほどの距離に来た時、男は一歩だけ後退した。「動くな。撃つぞ」Bはわざとらしくショットガンの銃身を少し揺らして威嚇する。それに合わせるように、男は小さな叫び声を上げると、一気に振り返り路地を走っていく。
「チッ」Bは小さく舌打ちをした。ショットガンには元々弾など入っていなかった。あくまでも威嚇用に用意したのだが、今回はそれが裏目に出てしまった。ショットガンを小脇に抱えると、Bは転げるように逃げていく男の後を追った。
今度はBの背後にカメラが回りました。
決してB視点ではないのですが、Bを軸として描かれているので、Aに分からないであろう項目(舌打ちや、弾がないこと)なども書かれています。
つまり、三人称とは「それぞれのカメラワークに沿って、その中の誰かに軸を合わせて書いていく」ということになります。
先程言ったように「心情などを地の文で書くかどうか」というのはルールではなく、あくまでも作風です。
ただ、気をつけておかないといけないこともあります。
それは「カメラワークの変更の頻度」です。
「映像をイメージして書く」と聞くと、映画のようなシーンを想像しながら書くように聞こえますし、実際そうでも構わないのですが、最近の映画ってカット割りが激しく人物を行ったり来たりすることが多かったりします。
そういうイメージで書くと、文章が煩雑になり、読み手が混乱することがあります。
これもルールではないのですが、個人的には「最低でもシーン毎で分ける」という使い方が良いのではないかと思います。
段落毎だと、一体誰の行動や台詞なのかが分かりにくくなる可能性がありますからね。
普通、小説を書く場合の三人称とは、このようなことを指しますが、たまに「神視点」というものもあったりします。
これは「完全三人称」と言ってもいい手法で「全ての描写を客観的に行う」やり方になります。
カメラの位置が適切かどうかは別として、要は「誰も軸にならない」書き方になります。
この場合は「心情」などは書くことができません。
あくまでも客観的に書かれているので、それらは行動や台詞によって補完するしか方法がありません。
最近ではあまり見かけない手法ではないかと思います。
一人称は簡単なようで意外と難しい
次に一人称の小説についてお話します。
一人称は最近良く見かける手法ですね。
特にラノベ系には、この一人称が用いられることが多いかと思います(でも、最近は減ってきている)。
一人称のカメラはこうなります。
なんだこれ(笑)。
カメラ人間ではありませんよ。
一人の視点からだけ、物語が書かれれるのが一人称の小説になります。
よって主語は「俺、私」などになりますね。
一人の視点にカメラが固定されるので、他の人の心情などは「神視点」と同じく、描写することができません。
ただ、話し言葉で書くことができるので、先程言ったようにラノベなど、くだけた文で書く場合には向いている手法ではあります。
それぞれの特徴など
では、小説を書き始めたばかりの方が、どの人称で書くべきかと言うと、これは「好きな方でいいんじゃない?」ということになります。
ただ、それぞれに特徴がありますので、どれを選ぶかで小説の雰囲気はグッと変わってきます。
三人称の特徴
三人称の特徴は、何と言っても「視点を変えることができるので、どんなシーンでも描写することができる」という点にあります。
一人称の場合、主人公が見ていないシーンの描写は(基本的に)できませんが、三人称ならばそれが可能です。
小説を書く場合「主人公」がいて、それを取り巻く人物が描写されます。
取り巻く人物は、敵だったり、友達だったり、いろいろですが、例えば敵味方に分かれている話を書く場合。
敵には敵の論理がある、という書き方をしたい場合は、三人称視点の方がやりやすいでしょう。
カメラを敵側に持ってくれば、敵の心情などを描くことができるからですね。
ただ、どこまでカメラを回すのか、というのも、作風によってきます。
ほぼ半々という場合は「群像劇」的な作風になります。
一般的には「要所要所で」という使い方になるのではないでしょうか。
敵味方だけではなく、それに絡む人々を描く場合にも三人称は有効です。
さっきの寸劇で言えば「逃げるA」と「ショットガンで脅すB」が描かれていましたが、それに「路地の奥から、静かにそれを監視するC」という人物を書きたい場合、AやBが、Cに気づかなくても書くことができます。
ただ、それらも含めて、あまりカメラワークを頻繁に行うと「一体だれの物語なのか」ということになってしまうので(群像劇なら別)、あくまでも主人公側を主に、必要に応じてカットを混ぜていくという方法が良いかと思います。
それらも含めての作品(小説)ですので、ある程度は自由にするのが良いと思いますけどね。
一人称の特徴
一人称は、ひとりの視点で描かれていくので「見ていないもの、聞いていないもの」については書くことができないという不自由さははあります。
ただ一方で、地の文は全て主人公(視点が主人公の場合)の主観や心情で構成されますので「どう思っているのか」というのが書きやすいという利点もあります。
心情を細かく書くことができる、ということは、言い換えれば「感情移入しやすくなる」ということでもありますので、それだけ読者の気を引きやすいとも言えます。
ちなみに、一人称を若年層(主に高校生)にすると、ターゲット層がグッと増えることになります。
「え、高校生視点だと、高校生しかターゲットにならないんじゃないの?」と思われるかもしれません。しかし、意外なことに20歳のお兄さんも30歳のお姉さまも、40歳以上のおじさまも、かつては高校生(もしくはその年代)でした。
よって、高校生視点で書いても、案外すんなり受け入れることが可能です(人にもよりますが)。
70歳一人称の小説……と言うと、どうなんでしょうねぇ(笑)。面白そうではありますが。
話を戻しましょう。
それ以外の特徴では、先程も触れましたが「話し言葉で書けるので、読みやすくなる」というものもあります。
と言うか、これが一番大きいかもしれません。
まとめ
人称については、非常に頭を悩ますことが多いと思います。
でも、個人的には「そんなことで深く悩む必要はない」と思います。
あくまでもカメラワークを意識して「今、どの視点で書いているのか」だけを考えれば良いでしょう。
逆に言えば、人称の使い方が凄くても、小説においては評価されることはないですからね。
「この作家さん、人称の使い方上手いなぁ」という理由で、賞やコンテストを受賞することなどありませんから。
プロ作家さんの作品の中にも「あれ? これ誰の台詞?」と戸惑ってしまうものもあったりするくらいです。
「煩雑にならないようにする」ことだけ考えておけばいいでしょう。
それらも含めて、皆様が考えるキッカケになれれば、と思います。
今日も長くなってしまいました。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございます!
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