創作をする側の人が見る『100日後に死ぬワニ』

小説LABOエッセイ,創作日記

先日最終回を迎えて、色々物議を醸している『100日後に死ぬワニ』。

「最終回の意味が分からない」とか「○○案件」だとか色々言われていますよね。今回はその辺りはばっさり置いておいて、創作をする人が『100日後に死ぬワニ』という作品についてどう思ったのかを率直に書いていきたいと思います(考察ではありません)。

あくまでも筆者個人の意見ですので、ご意見などはお寄せ頂ければと思いますが、ご批判などはご遠慮下さい。

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感情移入とは重ねることで形成される

私が同作品を知ったのは、大体掲載から60日頃(つまり「死まであと40日」の辺り)だったと記憶しています。

「へぇぇ」と思って数話ほど読んだのですが、そのまま放置。20日に終わったとネットに載っていたので、改めて1話から読み直したという次第です。

創作をしてていつも疑問に思うことは「キャラクタたちに対する感情移入は、読み手の中でどのように形成されるのだろう?」ということでした。自分自身も受け手ではあるので色々考えてみたりしたんですけど、その中で「物語が進んでいくことで、キャラクタ像が受け手の心の中に具現化していくこと」なのかなぁとぼんやりと思っていました。

今回の『100日後に死ぬワニ」を見て、それを確信した次第です。

最初にチラッと見たときは、ワニや他のキャラクタたちについて特になんとも思っていませんでした。

改めて最初から見直していく過程で、ワニと友達の関係、先輩(だっけ?)との恋の行方などが描かれていくわけですけど、はっきり言って個々のエピソード自体はそれほど面白い話ではありませんよね。

加えて私は一気に100話見たわけですけど、それでも100話というエピソードを繰り返すことでキャラクタたちのイメージが明確になっていき、結果的に感情移入度が高くなっていきました。

100日目はやっぱり悲しかったですからね。

もちろん重ねれば良いというものでもないわけです。主人公のワニを見てみると「備蓄しておこう」と言って積んだ肉をすぐ食べちゃうダメっぽさや、先輩ワニに「クリスマスの予定はある」と聞いてがっかりしつつ、先輩がバイトしてるのを見てホッとしたりなど、人間的な可愛らしさを持っているのも重要な要素なんだと思います。

ただ、私たちが創作をする場合「長く見てもらえればキャラクタに感情移入してもらえる可能性は高くなる」一方で「そもそも長く見てもらうのが難しい」という面もあります。

特にWeb小説は山のようにあるわけで、その中で1つの作品にかけてくれる時間というのはとても短いわけです。

そう考えると1話を長くするエピソードよりも、できるだけ短く区切りながら先へ先へと進んでいける形式の方がWeb的なのかなぁと思ったり。

商売にしたから悪かったのか?

最終話掲載と同時に映画化やらグッズ販売とかが開始されて、某広告会社がバックにいるだとか色々な噂が立ちました。

それの真偽はここでは問いません。

ただ「100日で死ぬワニという創作を商売にしたから悪かったのか?」という疑問は残ります。

当サイトでは何度も書いていますが、小説、マンガ、アクセサリなど、創作の対価として報酬を受け取ることは何ら悪いことではありません。

マンガを書いてWebで公開して、それを元に商売をすることは当たり前だと思っています。

だってそんなことを言ったら世の中のほとんどのことは成り立たないですしね。コンビニに行って「レジ打ちくらいでお金を取るのはけしからん」と言ったり、お医者さんに行って「簡単な検診だけならタダみたいなもんでしょ?」とは言わないですよね?

もし本気でそういうことを言う人がいるのなら、その人は無報酬でお仕事していないとおかしいわけですからね。

というわけで、何案件だろうが私は構わないと思っています。

多くの人が頭にきているのは「それを隠してやっているから」だと思うんですよね。「Twitter上で公開され始めた連載マンガが人気になって、それが商売になっちゃった」という体で、実際には全て仕組まれていたというのが気に入らないのではないでしょうか?

これタイミングが全てだったと思うんですよね。

書籍化、映画化、グッズ化などが100話と同時に出てきちゃった。タイミング的には最も注目されるであろう100話に合わせて……というのは分かるんですけど、確かに外から見ていると「ちょっと……」ってなる気も分かります。

だからせめて60話とか70話あたりから自然な感じでプロモーションしていけばよかったんじゃないかなぁと思うんですよね。

プロモーションとかマーケティングって聞くと一般的な人は眉をひそめますが、そういうのってとても大切ですしそもそも世の中はそんなもので満ち溢れています。

だから「見せ方」っていうのは、良かれ悪かれ大切なんだと思うんです。

小説を書いてWeb投稿している人なら分かると思いますが「作品が面白ければ、タイトルやキャッチやあらすじは関係ない!」とは言えないですよね? 当然それらには気を使いますし、Twitterなどで宣伝したり、あれやこれやと読んでもらう工夫をすると思います。

それらは言ってみればマーケティングの一種です。

今回はそこがあまり良くなかった。せっかく題材としては面白いものだったのに、上手く調理できていない。そんな感じかな、と。

まとめ

今回のような話をネットで見て「○通は最低だなー」とか思って憂さ晴らしするのも面白いんですけど、やっぱり創作をしている人間なら創作側から見てみるのも大切かなと思って、今回の記事を書いてみました。

情報操作とか世論操作とか言われますけど、多かれ少なかれ世の中はそういうもので満ち溢れています。「ピュアな真っ白な心で」なんて、そうそうあるものではありません。なので、そういうのはあるという前提で、色々考えてみるのも面白いですよね。