若いときこそ小説執筆に取り組むべき3つの提案

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こんばんは、しろもじです。

以前「中高年層こそ小説執筆に取り組むべきだ」という趣旨の記事を書きました。

「歳をとっても小説は書けるし、書くべきだ」というエールを送った記事だったのですが、だからと言って「若いころからやらなくてもいい」というわけでもありません。

何事にしてもそうなのですが、若いときにやっておいた方が有利なことに違いはないわけです。

そこで今回は「若いときこそ小説を書くべき」という視点から記事を書いてみます(手のひらを返しているわけではありません)。

現時点である程度の年齢を重ねている私が、振り返りながら書く記事なので若干「お説教臭い」面もあるかもしれませんが、どうぞお許しください。

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歳を取ると◯◯になる!

まず歳を取る(ここではおおよそ20代後半から30代以降を指し示しています)と「何事も面倒になって」きます。

新しいことに挑戦するのも面倒。

知らないことを知ろうとするのも面倒。

今のままでいいじゃない?

生活自体がこじんまりとしてきます。

 

もちろんこれは若いときにでもあるかとは思われます。

しかし年を取ってくると本当に億劫になってくるんですよ。

それは後述する「忙しくなる」も関係していますが、精神的な守りに入ってくることが大きいのではないかと思われます。

 

同世代の人間を見ていると「新しいことを始めた」という人も稀に見かけますが、ほとんどの人は「相変わらずだなぁ」ということが多かったりします。

「いつかしたいなぁ」と思っていたことでさえ、いつの間にか「まぁいいか」という感じになってきます。

10代、20代のような「軽快さ」は枯渇してきます。

 

次に「時間がなくなる」ということがあります。

結婚して子供が生まれると、彼ら彼女らが独り立ちするまで約20年間は「自由な時間が少なくなる」可能性があります。

もちろん、ある程度成長すればそれほど手は掛からなくなるのですが、とは言え独身のときほどの自由はなくなります。

 

また最近では結婚しない人も増えてきましたが、独身でも徐々に自分の時間は制限されてきます。

20代後半辺りから30代になると、会社の中でも「役職」というものが付き始めます。

それに応じてお給料も増えますが(一般的には)、責任も増えてきます。

 

責任が増えると同時に仕事量も増えてきます。

ブラックな会社であればサービス的精神でそれをこなしていかなくてはなりません。

そうでない場合でも、プライベート時間に仕事のことを考えることが増えてきます。

 

趣味やしたいことに使える時間は、少しずつ減ってきます。

 

更に「思考力の低下」があります。

人間の脳細胞は10代後半をピークに、後は減少していく一方だという話を聞いたことがあります。

しかし当然ながらそれ以降頭が急速に悪くなっていくというわけではありません(笑)。

 

それはなぜだろうと考えると「経験」が補足されているからだと思われます。

色々なことを経験して脳細胞に複雑な回路が形成されていった結果、様々なことを予測する能力が上がってくるのでしょう。

それが「答えにたどり着く速度の速さ」に貢献しているのは確かなところだと思いますが、一方で「他の思考を受け入れられない」ということに繋がります。

 

「年寄りは頑固だ」というのは、これが関与しているのだと思います。

それ自体は決して悪いことばかりではないのですが、創作という分野においては時として致命的になりかねません。

 

ここに書いたことは全ての人に当てはまることではありません。

当然「歳をとってもどんどん新しいことに挑戦する人」もいますし「若い人でも思考力が低下していると思われる方」もいます。

まぁ傾向として捕らえていただければよいかと思います。

1万時間の法則

1万時間の法則」というものがあります。

何事も1万時間やり続ければ、一定の成果を出すことができるというものですね。

全ての事柄に当てはまるというわけではないと思いますが、ある程度の事実であるのも確かであると思われます。

 

1万時間というと

1日1時間で、1万日≒27年

1日3時間で、3,333日≒9年

1日5時間で、2,000日≒5年

1日8時間で、1250日≒3年

面白いことに、一日の労働時間で割ると「石の上にも三年」に合致していますね。

 

仕事などでは、業種や仕事内容にも依りますが、やはり3年目辺りから「大体のことができる」ようになるように思われます。

ただ創作分野に関しては、これは当てはまりません。

1作目で大ヒットを出す作家さんもいらっしゃいますし、その方が1万時間書き続けたのかと言えばそうではないでしょう。

また逆に1万時間やっても芽が出ないということも、大いにありえます(こちらの方が可能性的には高い)。

 

しかし、そうは言っても1万時間=3年の努力が無駄になるのかと言えば、決してそうではないでしょう。

文章を書くという能力においては、必ず上達していると思います。

そう考えると、1日8時間でも3年かかるわけですし、一般的にはそれほど打ち込める時間はないはずなので、3時間として9年かかるわけですから、若い頃からやっておくのに損はないでしょう。

 

要はそれを活かすのがどれになるのか? という部分であると思います。

小説などというのは、ある程度博打的な要素が強いので「1万時間やっても成果が出ない」ということもありますが、文章を書く仕事で言えば使い物になる可能性は高いでしょう。

小説家でなくても編集者にはなれるかもしれません。

紙書籍でなくても、電子書籍で売れるかもしれません。同人かもしれません。

ライターとして生計を立てていけるかもしれません。

 

また博打的要素が強い故に「回数」が重要になってくるとも見ることができます。

前にも書きましたが、打席に立った回数が重要です。素振りではダメだと思います。

その回数をこなすためにも、若い頃からやっておく方が有利となります。

 

やや話が逸れますが、これはブログやウェブサイトでも同じことが言えます。

ブログを始めるときって、必ずやる気に満ち溢れているわけですよね(でないとやらない)。

でも、数ヶ月経ってもなかなか見てもらえない。

1年やってもPVが増えない。

そういうことはザラにあります。

 

それを続けていくのは、精神的にも本当にキツイわけです。

でも、そこを乗り越えていくと必ず成果が出てくるのは間違いないのです。

ただそれが「1年やったらなのか、3年なのか、5年なのか」というのが分からないので、先に折れてしまうことになるのだと思います。

 

小説も似たようなものだとは思います。

「初めて書いた小説で紙書籍デビューしちゃった」

「投稿サイト1年目で、◯◯PVも集められるようになりました」

「ブログ開設半年で、これだけの読者が!」

こういう話を聞いてしまうと、ついつい自分が劣っているように感じられます。

 

もちろん能力的な部分も否定はできませんが「運」も絡んでくるわけで、そこを見落として早々に見限ってしまうことになるわけですね。

打席を降りるともう打つことはできません。

絶好球がいつ来るかは分かりません。

初球かもしれませんし、ツーストライクスリーボールからかもしれません。

次の打席かもしれませんし、次の試合かもしれません。

 

そういう意味で「長く打席に立つには、早くからの方が有利」だと言えます。

まとめ

書き終えてから改めて見直して見ると、やはりややお説教臭くなってしまいました(笑)。

 

この記事は決して「小説家になりたかったら◯◯しなさい!」的なものではありません。

歳を取ってしまった人間が「若い頃に本気出してればなぁ」と後悔しているものでもありません。

私自身の経験から得られたものを、書いただけのものです。

 

私の人生とあなたの人生は異なります。

だから身も蓋もないことを言ってしまうと「ブログにこういう記事を書くこと自体が無駄である」とも言えます。

しかしながら、この文章を読んだ方の何かしらのヒントになれれば、とも思います。

 

どうぞ幸せな執筆ライフを。

(最終回みたいになってしまった)

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今日も最後までお読み頂きありがとうございました!

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