「描写について考える」という話|『きみとぼくのダンジョン再建記』第92話投稿のお知らせ

小説投稿記カクヨム

こんばんは、しろもじです。

『きみとぼくのダンジョン再建記』第92話「後悔するなよ」をカクヨムに投稿しました。

昨日の創作日記で書いたように、現在94話を書いているところです。結局94話を書き直すにあたって、93話まで書き直すことになりました。ちょっと冗長になっていた部分をぎゅぎゅっと短くまとめてみました。

その作業をしていたときにふと思ったのが「シーンを書く際に、どこまで詳細に書くべきだろうか?」ということです。

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書き手のイメージと読み手のイメージ

あるシーンを書くとき。当然小説を書いている人の中には、ある程度明確なシーンのイメージがあると思います。なので極端な話、会話だけで構成したとしても、そのシーンは頭の中に正確に再現されますよね。

一方で読む側にしてみれば、小説に書かれた文章から補完しながらイメージを再生していくことになるのだと思われます。漫画や映画などとは違い、ここが小説の面白いところであり、また難しいところですよね。

例えば舞台を説明するときなど、田舎の風景、人が行き交う都会のイメージ、商店街、農村、学校などなど。一般的に想像しやすいイメージであっても、人によっては異なる印象を持ったりすることもあるかもしれません。

純粋に「こういう場所ですよぉ」というのを知ってもらうという意味だけでいいのであれば「寂れたシャッター街」とか「無数の人が行き交うスクランブル交差点」とかと書けば、ある程度想像できるのかもしれません。

またWeb小説の主流になっている「ファンタジー系」の小説であれば、RPGゲームなど(ドラクエとかFFとかね)を下敷きにすることで、共通の認識を持つことができるので、よく使われる手法なのではないでしょうか(『きみとぼく』もそうなんですけどね)。

敢えて風景などを詳細に書く意味というのを考えてみると「そのシーンのイメージを持ってもらうために書く」のかなぁと思ったりしました。例えば登場するキャラクタの悲しいイメージをふくらませるために「夕日が落ちていく光景」を書いたり、爽やかなシーンのために「すり抜ける気持ちのよい風」や「燦々と照る太陽」を書いてみたり。

そういうのって昔の小説の方が、より細かく書いていたように思われます。ただの農村のシーンであっても数ページほど使って書かれてたりしましたしね。その分キャラクタの外見に関しては、現在の小説の方が(というよりWeb小説の方が)明確に書かれているのかなぁとも思います。

キャラクタの描写

この点は何度かご指摘頂いたことですが、私の小説にはキャラクタの外見についてのことがほとんど書かれていません。自分としては「キャラクタは会話とか行動からイメージして欲しい」と思ったからなのですが、やはりちょっと端折りすぎているのかな、と最近では反省しています。

キャラクタの描写をする場合、地の文で書く場合とキャラクタの会話などで想像してもらう方法がありそうです。最近ではまどろっこしいことをしないで「学年一の美女」とか、それこそ「めちゃくちゃ可愛い」などと直接的に書くことが多いようです。

その辺りは従来からの小説が好きな人と、SSやチャット小説のようなものが好きな人で好みが分かれるのかもしれません。どうなんでしょうね?

確かに読む側からすると会話文が多めの小説の方が、読むスピード速いのかなと思います。時間をかけてゆっくりと文章を追っていく、という読み方はWebではあまり求められていないのかも?

次に書こうとしているラブコメものもその辺りが悩みどころです。新しいキャラクタが登場するたびに、その外見を同じように書いていくのか。それとも違う方法を取りつつ、極力詳細に書いていくのか。ほんとむつかしい。絵で書きたいくらいです。絵が書けるとは言っていませんが。

未来の世界をどう書く?

話を光景に戻しますが、今考えている途中のSF(もどき)の小説は、そういう意味では描写や説明が難しいな、と思ったりしています。近未来(2050年くらい)が舞台なのですが、30年くらい経つと風景がどう変わるんだろうと、想像して頭がこんがらがったりしています(笑)。

逆に30年前の風景を思い浮かべてみると、変わっているところも多いけど、大部分は変わっていないとも言えそうです。車は空を飛んでいませんし、人がパワードスーツのようなものを着たりはしていません。生活シーンは大きく変わっていますけどね。

でも変わっていないということを書かなくちゃいけないのかな、とも思います。もしかしたら、都市部だけは変化しているかもしれません。都市部はテクノロジーの恩恵を受けて、超ハイテク化しているものの、田舎は逆にローテク化してしまっているとか。

ただ既存の舞台より、むしろ書きやすいのかなとも思ったりします。例えば「繁華街」などを書く場合、最近の小説の流れでいえば詳細に書くということはある程度そのこと自体に意味があると思われてしまうかもしれません。「なんでそんなに詳細に書くんだ。伏線か? ミスリードか?」と余計な心配をかけてしまいそうです。

その分、近未来であれば共通の認識がないわけですから、思う存分書けるのかなと思うわけです。それが求められているのかどうかは分かりませんが。

『きみとぼく』はもうラストに差し掛かっているので、あまり新しいことはできませんが、ラブコメものではその辺りを意識してやっていこうかな、と思っています。