ルーティンがなくなったら【創作日記111719】
100話に渡った『きみとぼくのダンジョン再建記』が先週で終了し、久々に更新のない日曜日になりました(ラスト前に1週飛ばしましたが)。
余程気が抜けたのか、昨日から風邪を引いてしまいました……。元々そんなに身体が弱いわけではないのですけど、どうも季節の変わり目は風邪を引きがちなんですよね。歳かな?
風邪も小説もルーティン
風邪と言っても凄いヤツじゃなくって、少しダルくて少し熱が出て少し鼻が詰まるというもの。思うにこれって一番厄介な部類ですよね。仕事を休んだりするほどでもなく、でもちょっとしんどい。「生かさず殺さず」という感じで、個人的には非常に困ります。
いつものパターンなら2,3日ほどしっかり寝れば治るはず。
先ほど「気が抜けた」と書きましたが、小説の方はちゃんと書き続けています。
はっきり覚えていなのですが『きみとぼくの』を書き始める前に、一度間が空いたことがあったんですよね。小説に限らずブログも同じですが、一度期間が開くと途端に書けなくなってしまうことがあるんですよね。
肝は「間が開かなかったら書ける、とは言っていない」ところです。
どっちにしても書けないときは書けないんですが、間が空いてしまうと能力的なことではなく週間として書く癖がなくなってしまう。人によっては「そんなの関係ない」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は何かに付けて「一度止めると、再開するのが大変」な口です。
って言うか、そういう人の方が多いと思うんですけどね。
で、「何が大変になるのか?」というと、これも色々あると思うんですが私は「話を考える能力」だと思っています。
恐らくなのですが「話を作る」ということだけで言えば、ほとんどの人ができるのだと思います。でもそれを文章にして、ある程度物語へと変換する能力は違うものだと思うんですよね。
そしてそれは「才能という生まれつきのもの」というよりは「後天的に鍛えられていくもの」だと思うんですよ。
と言うより、才能って結局は「バカみたいに続けられるのか?」が最も重要な要素な気もします。ある程度短期間で成果を出さないといけないものは、極僅かな差で決まってしまうことがありますが、長期的にやるようなことって「どれだけ続けてこれたのか?」によると思うんですよね。
ただよく勘違いしがちなのは「続けていればいい」というものでもないということ。
前にもどこかで書きましたが「野球が上手くなりたいから、何も考えずにバットを振り続ける」だけでは絶対に野球は上手くなりませんよね。小説も同じで「無心に書く」だけではダメだと思うんですよ。
1作書いて「何がいけなかったのか?」「何が足りなかったのか?」「どうすればよかったのか?」「どこは素晴らしい箇所だったのか?」をしっかり考えることが大切だと思います。
個人的には「研究」というよりは「振り返り」というイメージです。他の人の小説を参照するのかどうかは、書く人によるかもしれませんが私はあまりしないようにしています。どうしても引っ張られてしまうので。
だから自分の過去作と比べて、でいいと思うんですよね。
極稀に「処女作でデビュー。一気に人気作家に」という方もいらっしゃいますが、それはさほどメジャーなケースではないのではないでしょうか? もしそうなら公募やコンテストの要項には「処女作限定」というのが必須項目になるはずですから。
「ラブコメもの」の進行状況
少し、と言うかかなり話がとっ散らかってしまいました。
自分の小説は、前に書いてた「イメージストーリー」をいくつか書きました。文量的にはそれほど多くなく、約3,000字ちょっとです。主要なキャラクタが「のっぺらぼうの状態」から「やや顔が見えてきた状態」になってきたので、ついでに冒頭1話(約3,100字)も書いてみました。
で、現在は2話の冒頭で止まっています。
またちゃんと「家庭を後悔しなら」……じゃなかった「過程を公開しながら小説を書く」シリーズで記事にしていくつもりですが、再び「ラブコメの面白さとは?」のところでつまずいています。
ほんと、何が面白いんでしょうね?
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