「小説を書く」ことのプロとは何か?

小説LABO

こんばんは、しろもじです。

小説を書いている人を呼称する言葉に「小説家」「作家」という言葉があります。

これらは現在主に「紙の書籍で出版を果たした人」を差示す言葉として認識されています。

一方で現在は一度出版したからと言って、ほぼ将来においてもそれが続くという保証はなく、むしろ1冊、1シリーズで終わってしまう小説家・作家も多くなってきました。

小説家・作家という呼び方は、本来「小説を書くプロ」という意味合いがあると思われますが、上記のようなことから「どこからどこまでがプロと呼べるのか?」という線引が曖昧になってきているように感じられます。

今回は「小説を書く上でプロの定義は?」というテーマを考えてみたいと思います。

例によって、本記事はあくまでも一意見です。これを参照になさってご自身の考えを深められるのもよいでしょうし、反論を書かれるのも良いと思います。

 

なお、文中に出てくる「小説家」「作家」という名称は同じ意味で使っています。メインは小説家としていますが、場合により作家という名称を使っているだけなので、その違いは今回はないものとします。

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紙の書籍で出版したら(プロ)小説家なのは何故か?

まず冒頭にお話した「紙書籍で出版したらプロなのは何故か?」ということを考えてみます。

インターネットが普及していなかった時代、小説を世に出すためには出版社の公募に応募し賞を受賞するしか方法はありませんでした。

賞以外でも受付けしているものもありましたし自費出版というものもありましたが、結局は出版社に作品を持ち込み書籍として出版される方法しかなかったわけです。

 

つまり出版社というフィルタを通じて作品が世に出ることにより、そこにはある程度のボトルネックが存在したわけで、ある意味「厳選されていた」わけです。

そのことも関連して本1冊辺りの発行数も多くなり、結果として「◯◯◯万部」というような大ヒット作も誕生したりしました。

それが出版社の価値を高めることになり「出版社から出版されている本は一定の価値を保っている」という担保へと繋がりました。

 

このようなことから「出版社は書籍のプロである」という認識が生まれ、結果として「出版社から紙書籍で出版された小説家はプロ」という図式が成り立ったのではないかと推察されます。

これは現在も続いており、例えば私がKDP(Kindle Direct Publishing:Amazonのデジタル個人出版)で出版し「私はプロ作家です」といきなり名乗ったとしても、あなたは鼻で笑うわけです(笑)。

 

意外だなと思うのは、これだけネットが普及し個人でも作品を気軽に発表できる環境下にあってさえ、まだ「出版社の権威」が盛大に支持されている事実です。

これには「会社」という組織が密接に関わっていると思われます。

会社という企業体にはたくさんの人や他の企業が関わっており、それ故に資金的にも能力的にも個人のそれを凌駕します。

それが「出版社に認めれられないと認めることはできない」という考え方に繋がっているのではないかと思われます。

 

それは確かに事実ではあるのですが、いつどのような場合にでも当てはまるものではありません。

出版社には「出版業界◯◯年」というようなベテランの方も、今年大学を卒業して出版社に入社したばかりという方もいらっしゃいます。

無論、新人さんでもベテランさんの指導・アドバイスを受けることが可能なので、そこに能力的なバックアップ、フォローが生じますから、全くの素人とは言えないでしょう。

 

ただ、出版社に勤めている編集者が全て完璧に出版に精通しているのかと言えば、そうではないでしょう。

もしそうなのであれば、世に出る紙書籍は全てヒットしていなければなりませんし、打ち切り作品が出るわけがありません。

「作品の売れ行きは絶対的なものではなく、相対的なものだから」という意見もあるでしょう。

しかし他のコンテンツに押されて紙書籍の売り上げが低迷している「出版不況」という現実を考えると、それもどうかなと思います。

※決して出版社の編集者を貶しているわけではありません!

 

次ページでは「自称プロと他称プロの違い」について考えています。

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Posted by しろもじ