再び「視点」の話|『きみとぼくのダンジョン再建記』第76話投稿のお知らせ
こんばんは、しろもじです。
『きみとぼくのダンジョン再建記』第76話「応戦準備!」をカクヨムに投稿しました。
前回の投稿記で書いたようにおおよその終わりが見えてきたので、今回は比較的楽に書けました。
次話77話も半分くらい書けており、この調子でペースを上げていき一気に最後まで書ければ……いいなぁと思っている次第です(願望)。
「SFもの」の方も、これまた前回書いたように「パイロット版」として書き始めました。
とりあえず人称は「三人称」にしてみることに。
一人称の方が書きやすいんですけど、やっぱり色々な場面を書きたいんですよね。
再び「視点」の話
◯人称という話は結構色々な説があり「一人称」「三人称」「三人称多元視点」「三人称神視点」などなど、様々な呼び方や考え方があります。
個人的には「そこまで難しく考えず、カメラをどこに置くのかを考えてやればいいんじゃないか」と思っています。
この考え方は恐らく「映像寄り」の作り方であり、頭の中に場面を「絵(実写でもイラストでも3Dでも)」を思い浮かべながら、それを文字にしていくという作業になるのだと思います。
だから、逆に言えばこの考え方も「人によるよね」ということになります。
向いている人とそうでない人がいるということです。
ですので、今回はあくまでも私のような作り方(カメラ視点)で話を進めていきます。
一人称では当然主人公にカメラ視点が固定されます。
『きみとぼく』はまさにその典型ですよね。
今回初めて一人称視点でこれだけ長い小説を書いたわけですが、やってみて分かったことは「サブストーリーがどうしても謎っぽくなってしまう」ということでした。
これはやり方に問題があるのかもしれませんが、私の場合は何をどうしてもそうなってしまうんですよね。
それ自体が悪いことだとは思えません。
主人公が知り得た断片的な情報を書くことにより、小説のバックで行われているだろう「謎」をちらつかせることも面白さだと言えそうですから。
ただ、この時点で皆さんもツッコまれていると思いますが、それは別に一人称でなくてもできることです。
三人称視点、つまり色々な人の視点で書いたとしても「どこを隠してどこを書くのか」というのは、選ぶことが可能だからです。
自作を例にして申し訳ないのですが『きみとぼく』では、主人公バルバトス視点で書かれています。
そして主人公と相対している「王国」や「ホウライ(国名)」の人間たちの行動は、あくまでもバルバトスと接触したときのことのみが書かれることになります。
ここで主人公以外の人間が、その行動や考え方を親切に主人公に教えてくれれば、謎はなくなります(もしくは主人公が察するという形でもいいのですが)。
ところが敵対している人間の場合、そんなに簡単に色々教えてくれることはありませんよね。
そうすると、その言動が謎になっていってしまいます。
それを繰り返すと、どんどん謎が増えていきます。
今から考えれば「主人公と相対する人間を絞ること」で、これは回避できたように思えます。
つまり主人公と特定のキャラクタが何度も接触し、その度に謎が明らかになっていくという形です。
ところが相対する人間が多いと、謎がミルフィーユのように積み重なっていきます。
前に提示した謎が解消されないまま、新しい謎が増えていきます。
これが今回の小説を書いてて感じた「今後の課題」です。
もちろんもの凄い複雑な謎が絡み合った大作、というのも世の中には存在します。
でもそういう作品でも「メインの謎」以外は「引っ張る期間(ページ数と言ってもいい)」というのがあると思われます。
あまりにあっけなく謎が解けてしまうとそれはすでに謎ではありません。
しかし些細な謎を長期間放置してしまうのは、やはり問題でしょう。
で、それを解消するために「三人称視点」にしてみようかなぁと思ったわけです。
もちろん一人称でもそれを解決することはできるわけですが、まぁこの辺りは勉強も兼ねてという感じですね。
決して「三人称の方が簡単っぽから」というわけではありません!
パイロット版は多分今月中には……完成させたいなぁと思っています(再び願望)。
前にも言いましたが、これはどこかの公募に送るつもりなので完成版は当面非公開になります。
でもパイロット版は公開しようと思っています。
どこにするのかは未定です。
文量も未定ですが、3,4万字くらいかなぁ(12,3万字が完成版として、その半分以下)。
またその辺りは投稿記でもお知らせしていきますので、よかったらご覧頂いて感想など頂ければと思っています。
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