「分かっていることとできること」の話|『きみとぼくのダンジョン再建記』93話投稿のお知らせ

小説投稿記カクヨム

こんばんは、しろもじです。

『きみとぼくのダンジョン再建記』第93話「なぜあのとき」をカクヨムに投稿しました。

先週の投稿記に書いたように93話は一度書いたものをほぼ書き直しています。でも書き直したからといって決して「よいものになった!」というわけではないところが何とも微妙なところ。ちょっと説明臭いかなぁ……と思いつつ、でも極力短く済ませようと思うとどうしても説明臭くなっちゃうんですよね。難しい。

執筆状況は19日の創作日記に書いたのですが、小説以外でやや忙しくなってきてて、家に帰ってきた時点で「もうだめだ〜」という有様なので、あまり進んでいません……。次話がなんとか書けた程度です。この状況は恐らく1ヶ月くらい続くものと思われますので、10月中旬くらいまでは頑張りどころです。

その忙しいという話なのですが、上のリンク先でも書いたように資格を取りに行っています。その資格は多少、手足を使う技能的なことが求められるものなのですが、行く前は「余裕だろ」と思ってたんですよね。「始めの方は難しく感じるかもしれないけど、2,3回やればすくに慣れるだろう」と。

ところが……。

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分かっていることとできることの違い

頭では分かっているんです。その理論もどうすれば上手くやれるのかも分かっています。ついでにいえば、私自身はそれほど器用なようではないですが、かといって不器用でもない人間です。恐ろしいほどに標準的な能力の持ち主だと自覚しています。

ところが今回、久々にこういう資格の勉強をしたのですが、どうしたものか「分かっているんだけど身体がその通り動かない」というジレンマに陥っています。「しろもじさん、それダメですよ」と注意され、それは重々承知なのですが、なかなかそれができない。

疲れ果てて帰路につきながら「私ももう歳なんだな……」とがっくり肩を落としてたわけです。

で、そのときふと思ったんですけど、私の問題は確かに歳のせいかもしれない。でも「分かってるけどできない」ってことは世の中で結構多いんじゃないんでしょうか?

例えば自己啓発本とか教養本とかを読んで「なるほど!」と思ってみたものの、数週間ほど経つと何事もなかったかのように元に戻ってしまう。「小説を毎日書くことで、少しずつでも成長できる」と分かっていても、疲れた日には「明日から本気出す」と寝転んでアニメを観ちゃう。誰かの良くない行動を見て「あれはダメだよね」と言いながら、気づくと自分も同じことをしてしまっている。

そんなふうに「分かっていること、理解していること」と「できること、やれること」の間にはイコール(=)記号だけがつくわけじゃないですよね。「分かっていること>できること」の方が圧倒的に多いかもしれないし、もしかしたら「分かっていること<できること」な人もいるかもしれません。

再び私の話に戻りますが、今回の資格を取得するに当たって、ネットで調べたり人に聞いたりして予習してたんですよね。だから冒頭の「余裕だろ」という感想を持っていたわけですが、実際にやってみるとできないわけです。

小説という創作においては「できないことでもできるように書く」ことができます。というかむしろその方が面白いことも多かったりします。ですが、現実の世界では「できないことはできない」わけで「できると思っている」と言い換えてもいいかもしれません。

何もかもができないというわけではなく、中には「一度やっただけでできちゃった」ということもあるかとは思いますが、ほとんどのことは「思ってたのと違う」ということが多いのではないでしょうか。だからGoogleさんが何でも教えてくれる世の中であっても「やってみないと分からない」ということは結構多いんじゃないかな、と改めて思った次第です。

特に他人が絡んでくるようなことは、一筋縄ではいかないことも多く、先に挙げた自己啓発本なんかを読んで理論的には分かっていても、実際には上手く行かないことは世の中にたくさんありそうです。

だからこのブログでもあまり「この方法で間違いない!」という断言めいたことは、あまり書いていないはずです。人それぞれの性格がありますし、状況も様々です。「これだけやってればOK」的なのは、本のタイトルとしては優秀なのかもしれませんが、あまり誠実とはいえないのかなぁ、と思ったりしています(まぁ商業出版される本や、企業運営されているサイトなら仕方ないとも思いますが)。

ちなみに私の方は5日ほどやってみて、ようやくコツが掴めてきたかなぁという感じです。聞いたり見たりしたことをやっている内は、なんだか人形劇の人形のように吊るされた糸で操られているような感じです。その糸が切れて、自分で動けるようになったとき、初めて「できるようになる」ということなのかもしれません。