長編と短編、もしくは掌編|『きみとぼくのダンジョン再建記』第65話投稿のお知らせ
こんばんは、しろもじです。
『きみとぼくのダンジョン再建記』第65話「逃げて」をカクヨムに投稿しました。
今週(先週かな?)は、カクヨム3周年記念のアレに振り回された1週間でした。
長編と短編、もしくは掌編小説
アレとは当然「カクヨム3周年記念選手権」のことです。振り回されたと書きましたが、進んで書いただけなので、カクヨムからすれば「お前が勝手に振り回されたんだろう」という思いかもしれません。
※カクヨム3周年記念って何? という方はこちらの記事をどうぞ。
3周年記念選手権の作品は1,200〜4,000字で書かないといけないので、長さ的には掌編にあたるのでしょうか?
数万字程度の短編や、十万字を超える長編は何度も書いたことがあるのですが、数千字クラスの小説は書き慣れていないんですよね。
Writone用に書いた『V・R』や『おとなの階段』がそのくらいでしたでしょうか(『僕がひとめぼれした彼女の秘密』はもう少し多く6,000字くらい)。
これらを書いたときも相当苦労した覚えがあるんですけど、今回はお題がある上に締め切りも短いということで、それはもうとても苦労しています。
ここまで4作投稿していますが、1作目の『ミラーの中のフクロウ』以外は、比喩ではなく「脳が加熱しているのが分かる」くらいに頭を使いました(とは言え、良作かどうかはまた別の話です)。
PCで言えば「CPU使用率100%」が続いているような感じです。アツアツです。
その原因は「4,000字まで」という文字数の規定があるせいです。
昔から文章を長く書くのは苦痛に思ったことはなく、どちらかというと冗長な文章を書く癖があります。
「なんでもいいから十万字の文章を書いて」と言われれば、時間はかかっても苦労なく書ける自信はあります(繰り返しになりますが、クオリティは別の話です)。
でも「4,000字で書いて」と言われると、とてつもなく苦痛なんですよね。
何が苦痛って「削るのが苦痛」なんです。
今回の4作品は、書き終えた段階でおおよそ6,000字から1万字の文章になっています。
これを4,000字に圧縮するために、エピソードを削ったり、冗長な言い回しを直したり、場合によっては書き直したりしていて、それがとてつもなく苦痛に感じます。
「苦痛の正体はなんだろう?」と考えていたときに、始めは「面倒くさい、折角書いたものを消したくない」のだと思っていたんですが、よくよく考えると「自分の文章がいかに稚拙で面倒くさい言い回しになっているのか」というのが見えてきたのが苦痛だったと分かりました。
書きたいように書きたいだけ書いているときというのは、どちらかというと快感を感じます。
ですが、そこから「必要ない表現」や「無駄なエピソード」を削っていったりして、軽量化していく過程というのは、そういう要らないものが見えてきます。
それが少し楽しく思えてきたのは、今回の収穫だったのかもしれません(ほんの少しですが)。
まぁ、そんなことを書いているこの記事が、そもそも冗長であるとも言えるのですが(笑)。
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ディスカッション
コメント一覧
確か映画の話だったと思うのですが、『捨てたフィルム(使用されなかったフィルム)の分だけ、作品の質が上がる』的な話を聞いたことがあります。
プロの作家に4000文字を依頼する側は、『好きなように書いた4000文字』ではなくて、『推敲を重ねムダを削ぎ落とした完成された文章としての4000文字』を要求する訳です。
『私が考えた文字は一文字たりとも削りたくない!』というのは趣味で書いてるアマチュアで、そこに手を入れて一段上の水準に持っていっているのが、プロ(あるいはセミプロ)なのだと思います。
私の文章なんて悪い見本の典型で、レビューやら応援コメントがやたらと長いことがあります。
レビューも上手い方は、文字数まで考えて書いておられるようです。
でも削るのは嫌だよね〜。そんなこと言ってるから、いつまで経っても文章力があがらないんだろうけれど★
ゆきさん、こんばんは。
私も冗長な文章を書くきらいがあるので、耳が痛いですよ。
投稿サイトに書く場合は1エピソード単位で書くわけですから、その辺りが最も重要になってきますしね。
ブログ文章なんかだとイラストや写真を多用することである程度コントロールが可能ですけど、小説はそうはいきませんしね。
どこを残してどこを削ったらしいのか。
削ったとしてそれは読者に理解できる文章なのか。
逆に盛った方がよい場合はあるのか。
不要な文章は全て排除すべきなのか。
本当に悩みどころです。